※この記事は2011年11月28日にBLOGOSで公開されたものです

赤木智弘の眼光紙背：第202回

　香川県の老人ホームで、入居者の老人同士のいざこざによる殺傷事件が発生した。ナイフで刺したのが86歳の老人で、刺されたのは79歳と68歳だという。(*1)

　どうも私の中に「人間は年を取ると角が取れる」という意識があって、老人の殺人ということに違和感を覚えてしまうのだが、老人とはいえ、人間である以上は当然そこにエゴやプライドというものが存在する。
　そして、人間が集まり、交流する以上、それらがぶつかり合っていざこざが起こる。その大半はせいぜい口喧嘩で終わるのだろうが、中には暴力が伴ったり、殺傷沙汰に繋がることもある。
　それはあたりまえの話なのだけれども、もし、加害者も被害者も含めて、彼らが老人ホームで生活していなかったら……と考えてしまう。各自が別々に暮らしていて、どこかの公園で会う程度の仲であれば、しばらく顔を合わせないこともできたのかもしれない。しかし、老人ホームという空間で共同生活をしていれば、必ずどこかで顔をあわせてしまう。
　犯罪白書によれば、平成21年の場合、殺人事件における被害者と被疑者の関係は、９割弱が親族知人の「顔見知り」であり、見ず知らずの人間による犯行は１割程度(*2)。老人ホームの人間関係は、老後の寂しさを癒してくれる一方で、様々なバックグラウンドをもつ人たちが、アパートよりも濃密な人間関係を構築しながら共同生活を送るということ自体がリスクにもなりえるのである。

　私は貧困問題を考えるときに「自立とは、人ひとりが、好きな場所で一人で生活を営むことができる状態」であると定義している。そして社会保障などの基準は、その自立の定義に合わせられるべきだと考えている。
　妻が夫の収入に頼らなければ生活できないという状況では、妻は夫に隷属せざるを得ず、人権が守られているとは言いがたい。フリーターフルタイムで働いてもが親元でしか生活できないのであれば、その給与水準を見直す必要がある。そして、老人が家族や老人ホームに頼って生きていかざるをえないという状況があるというのは、やはり何かが決定的に足りていないのだと思う。
　老人の場合に一番問題になるのは、身体機能の衰えである。老人が一人暮らしで家事を全部行うのは重労働であるし、また高度経済成長期の集合住宅のように、エレベーターがついておらず、階段を何段も登り下りしなければならない住宅もある。また、時折独居老人がいつの間にか死んでいるという事件が起きるように、いざというときに周囲の目が無いことの問題がある。だから食事の世話も掃除もしてくれて、いざというときにも対応してくれる「老人ホームにいれば安心」ということになりがちである。

　しかし、だからこそ私は、自立すなわち老人が一人暮らしできる環境を、行政は最終的な目標とするべきだと考える。
　住居に対するバリアフリーの徹底や、近くに商店があったり、電話やネットで買い物ができる環境の保持。孤独では無いけれども緩やかな人間関係の構築。いざというときには誰かに緊急連絡が行くシステム。そして何より、お金がなくても安心して一人暮らしができる社会保障のありよう。
　そうして考えていくと、老人が安心して一人暮らしができる社会というのは、私達全てにとって暮らしやすい社会であるということがわかってくる。「もし老人が一人暮らしをするとすれば、どのような環境が必要だろうか」を考えることは、そのまま「社会全体のユニバーサルデザイン」を目指すということになる。
　もちろん、そんな社会であっても、殺人がなくなることはない。人間が関係を持つ以上、殺人という犯罪は必ずどこかで発生する。しかし、お互いの距離さえ適切に保つことができれば、殺人に至るような摩擦を抑えることはできる。
　私たちは、誰と一緒に生活して、誰と関係をもって、誰と関係を持たないかを自由に選択できるべきなのだ。そのためには、老若男女誰でも「一人暮らしの権利」がある。そのことを認識しなくてはいけないのではないかと、私は考えている。

*1：養護老人ホームで８６歳が２人刺す…１人死亡（読売新聞）http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111120-00000663-yom-soci
*2：平成２２年版 犯罪白書 第5編/第1章/第5節 被害者と被疑者の関係（法務省）http://hakusyo1.moj.go.jp/jp/57/nfm/n_57_2_5_1_5_0.html

プロフィール


画像を見る赤木智弘（あかぎ・ともひろ）
 1975年生まれ。自身のウェブサイト「深夜のシマネコ」や週刊誌等で、フリーター・ニート政策を始めとする社会問題に関して積極的な発言を行っている。著書に「若者を見殺しにする国 (朝日文庫)」など。