今では当たり前のようにあるものもすべて、過去の誰かの発明やアイデアがルーツ。広く展開するチェーン店だって、スタートアップの機運に満ちた発祥の店・1号店があります。身近すぎて気にも留めなかった「おいしいもの」のはじめて物語に、食いしん坊目線で迫ります。

第4回は、文明開化の時代を先駆けた銀座で生まれたソーダ水です。

「アイスクリームソーダ オレンジ」(税込1,150円) 提供:資生堂パーラー


○資生堂の原点は薬局だった!?

資生堂は1872年、日本初の洋風調剤薬局として東京・銀座で創業しました。1888年に発売した「福原衛生歯磨石鹸」は、それまで粉末状だった歯磨き粉を固形石鹸状の練り歯磨きとして開発。こちらも、日本初の画期的な商品でした。

資生堂パーラーの外観 提供:資生堂パーラー


そういえば、現在もペースト状のものが主流で、なんとなく「歯磨き粉」と呼び習わしていますが、正確には「粉」ではありませんね!

さて、同社は次第に化粧品を扱うようになりました。創業者である福原有信(ありのぶ)氏は、パリ万博視察後に立ち寄った米国で、ドラッグストアの奥でソーダ水や軽食を出すカウンターを見たことから、「日本でもやろう」と、1902年に資生堂薬局の一角に「ソーダファウンテン」というコーナーを設置。

こうして生まれたのが日本初のソーダ水です。まだ珍しかったアイスクリームも製造販売するようになりました。

資生堂パーラー3階のカフェ 提供:資生堂パーラー


○ソーダ水からアイスクリームソーダへ

ガス灯が灯り、鉄道馬車が行き交う文明開化の象徴的存在の銀座。資生堂のソーダ水もそんな時代の気分を先取りし、機械だけでなく、グラスやスプーン、ストロー、シロップまで米国から輸入するなどの本格的かつハイカラな仕様だったそうです。

このように薬局の一角にあった小さなスペースが、のちの「資生堂パーラー」というわけです。日本初のソーダ水は、アイスクリームをのせた「アイスクリームソーダ」として今もいただけます。味はレモン、オレンジ、今月のおすすめで各1,150円(税込)。

「まずは、きれいに透き通った涼やかな見た目をお楽しみください。時間の経過とともにアイスクリームが溶けて、変化する味わいもいいですよ。最近は、月替わりのメニューが人気で、主に季節の果物を使用したものが好評です。10月はカシスのアイスクリームソーダです」と、広報担当者が教えてくれました。

○「新橋芸者」がバズらせた

資生堂があるのは銀座8丁目。新橋花柳界に近いことから、かつては芸者さんにも愛好されていたそうです。

「ソーダ水を購入されたお客様には、資生堂の化粧水『オイデルミン』を景品としてお渡しするようになりました。すると、さらに足繁く通ってくださったり、『酔った時の喉の渇きにはソーダ水が一番』と宣伝してお座敷からお客様をお連れくださったりしました。そして、美しい新橋芸者さん見たさに、粋な旦那衆や一般のお客様も続々と来店されたとか」と、広報担当者。

1922年のメニュー(表紙) 提供:資生堂パーラー


1922年のメニュー 提供:資生堂パーラー


つまり、新橋芸者さんは今でいう「インフルエンサー」の役割を果たしていたわけですね。また、芸者さんと同伴した男性客にオイデルミンを渡せば、それを家庭の妻が愛用し、妻たちも銀座で喫茶を楽しむようになって……そんなサイクルもあったのかもしれません。

いつの時代も流行の最先端をいく銀座。この街のモダンとエスプリを凝縮したような美しいソーダ水、アイスクリームソーダをいただきながら、銀座の歴史と伝統を感じたいものです。

(DATA)

東京都中央区銀座8-8-3 東京銀座資生堂ビル3階

木村悦子 きむらえつこ 出版社勤務後、編プロ「ミトシロ書房」創業。紙・Webの企画・編集・執筆を行う。著書に『入りにくいけど素敵な店』『似ている動物「見分け方」事典』など。関心領域は、食文化・動物学・占いなど。 この著者の記事一覧はこちら