横山やすし、高田延彦、アントニオ猪木…カオスすぎた参議院選挙の主役たち

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今年行われた参院選も、元SPEEDの今井絵理子が初当選を果たすなど、タレント候補の話題が多かった。しかし参院選といえば、昔からタレント候補の巣窟。特に90年代の乱立ぶりは、現在以上だったかもしれない。90年代に行われた参院選の顔ぶれを振り返ってみよう。

1992年、青島幸男も出馬


有名人をトップに据えたミニ政党が花盛りだった92年の参院選。以下のような政党が議席を獲得していたのだが、覚えているだろうか。
第二院クラブ(コロンビア・トップ、青島幸男)
スポーツ平和党(江本孟紀)

作家でタレントの青島は、3年後に東京都知事選に出馬。参院選と同様に「選挙活動をしない」スタイルでみごと当選を果たしている。
スポーツ平和党は、党首のプロレスラー・アントニオ猪木が、89年の参院選で「国会に卍固め、消費税に延髄斬り」のキャッチコピーで初当選。野球評論家だった江本がそれに続いた。なお、猪木は13年の参院戦で18年ぶりに再選。現在は「日本を元気にする会」の代表として、今なお精力的に政治活動を行っている。

小池百合子の初当選も1992年


さらに、議席こそ獲得しなかったが、風の会(野村秋介、横山やすし)、モーター新党(マイク真木)などのミニ政党も比例区に出馬していた。俳優の森田健作(無所属)も初当選。森田は現在、千葉県知事を務める。
また現在、都知事選候補として話題の小池百合子(日本新党)も、キャスターから転進、初当選を果たしている。

高田延彦も立候補していた1995年


ミニ政党ブームは92年に比べて沈静化していたが、平成維新の会(大前研一、三浦雄一郎)、さわやか新党(小林繁、高田延彦)などが比例区に候補を擁立。
今でこそ「維新」といえば橋下徹の代名詞だが、90年代当時は経営コンサルタントの大前が発案者。スキーヤーの三浦や財界の実力者たちを巻き込んで、同年の都知事選にも出馬したが、「維新」を成し遂げることはなかった。さわやか新党は、スポーツ平和党と「スポーツ人気」を奪い合う形となり、両党とも共倒れの結果となった。

橋本聖子と馳浩が初当選


なお、この選挙では、当時の新進党からキャスターの畑恵、宝塚女優の松あきらが初当選。いっぽう自民党からはスケート選手の橋本聖子が初当選、以後4期を勤めている。また、無所属からプロレスラーの馳浩も初当選。馳はその後、自民党所属の衆議院議員となり、現在は文部科学大臣に。スポーツ畑出身議員の出世頭となった。

その時代、その時代の人気者たちの「光と影」を浮かび上がらせてきた参院選。3年後、またどんな逸材がスポットを浴びるのか、今から注目していきたい。
(青木ポンチ)

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