県立那覇商業高等学校(沖縄)
今から約23年前の1993年。那覇商は39年ぶりとなる秋の県大会を制すると、九州地区高校野球大会でも福岡大大濠、鹿児島商工(現樟南)、熊本工を下し決勝へ進出。鹿児島実に敗れたものの、堂々の準優勝。そして悲願であった全国選抜高等学校野球大会への出場を果たすと、夏の沖縄をも制し、全国高等学校野球選手権大会の初戦で強豪横浜高校を4対2で倒して甲子園初勝利を手に入れた。
その後も県内では95年春4強、96年夏4強、98年秋4強と上位進出を続けた。21世紀に入ると秋季大会ではなかなか勝ち進めない時期が続いたが、昨年、秋の県大会で17年ぶりのベスト4入りと古豪復活ののろしを上げた。今回、その那覇商へ訪問してみた。
校舎に続き体育館も老朽化のため、グラウンドが使えない体育館の下だけが彼らの練習場だ(県立那覇商業高等学校)
前回(第4回 県立那覇商業高等学校 2013/06/15掲載)訪問した際、体育館下のスペースとその脇のグラウンドしか使えなかった那覇商だったが、現在はさらに環境が厳しくなっていた。グラウンドは立ち入り禁止の工事現場と化し、体育館下だけしか使えない。20m×30mほどの長方形が彼らの練習場だ。
内野のダイヤモンドも作れず、連係プレーはもちろん外野からの中継プレーなど完全不可能だ。普通なら試合になるはずがない。一昨年秋から指揮を執っている安富 勇人監督は、「普通は投手陣が肩が痛いとか、肘が痛いと言ってきますよね。でもここは違う。ダイヤモンドを作ることができず、普通に送球できる機会が少ないから野手陣が痛いと訴えてくるのです」と語った。
通常練習で30m以上を投げることが出来ない那覇商ナイン。強く遠くへ送球ができない選手たちの肩の筋力は、どんどん弱まっていった。土日に球場を借りてノックをすると外野陣が音を上げる。「大会でも、那覇商の選手たちはテーピングする子が多いねと言われる。やっぱり普通じゃないなと」。どうにかしてそれを補わないといけないと考えた安富監督は昨年の冬、沖縄尚学へ訪問。
そこで彼らが採り入れているゴムチューブに目をつけた。「それでも、実際にここで毎日投げられるわけではないので。どこに行ってもぶっつけ本番で投げなければならない。だけど、ゴムチューブでだいぶ肩関節周りの柔らかさと強さは(導入する前よりも)補えた」と安富監督は話した。
「ノックも、この中でやらないといけない」普通のノックは出来ない。基本の捕球姿勢やバウンドの合わせ方を地道にやるしかなかった。運動量はノックと比べると落ちるので、さらに体力も他校より落ちていく。しかし練習の中で創意工夫をしながら、実力はつけていった。昨年、那覇商ナインが変わるきっかけとなったのが、昨夏の沖縄尚学戦だった。
[page_break:勝ちを意識したところからのサヨナラ負け]勝ちを意識したところからのサヨナラ負け安富 勇人監督(県立那覇商業高等学校)
昨年夏の選手権沖縄大会2回戦。那覇商は9回表を終えて3対0と沖縄尚学をリード。勝利を掴みかけたがまさかの同点にされ延長へ。それでも11回表に3点を奪い今度こそ!と思いきや、その裏に悪夢の4点を入れられ敗退した。「選手たちは悔しいです、と。でも単純に悔しいだけではいけないよと。何が悔しくて、何が原因だったのかを考えないと解決にはならないよと」
それまで出ていなかったミス(四球からのワイルドピッチ)がなぜ最終回の裏に出たのか。選手たちは誰一人答えられなかったが、安富監督はその一瞬(隙)を見逃していなかった。「選手たちが明らかに”勝ち”を意識したのです」
ゲームに入る前、選手たちには絶対にスタンドを見たりするなと告げた。那覇商にとってはホームでもあるセルラースタジアム那覇での試合。さらに相手が沖縄尚学とくれば、大多数の応援が駆けつけることは容易に想像できる。だからこそ、君たちの相手はスタンドではないんだよと集中させた。だが最後の最後で、スタンドからの黄色い声援に応えてしまった。それが勝ちを意識してしまい、心に隙を作ってしまったのだった。
3人の継投プランが実り17年ぶりの4強そして新チームになっても、基礎練習を積み重ねる日々は変わらない。昨年引退した3年生と比べると力のある選手は少ないが、新人大会那覇南地区予選、那覇商ナインは2位決定戦まで勝ち残った。小禄高校に敗れ新人中央大会への進出は逃したものの、ナインの中に「戦える!」という意識が芽生えた。「あの試合が僕らの自信に繋がった。やっていることは間違いではない」と、松永 太地主将が振り返った。
さらに安富監督の脳裏にひとつのプランが浮かび上がる。県大会の2回戦以降、先発に左サイドハンドの安里 純一を回すことを決めた。今年の那覇商にはエースの上間 康貴がいるが、それまで登板機会がない安里を先発に使う意図は何だったのだろうか。「安里の性格を考えると、後ろで使うよりも一番前に持ってきた方がいいと思うよと、部長先生との話で出てきました」
[page_break:3人の継投プランが実り17年ぶりの4強]逆境を背にして 県立那覇商業高等学校ナイン
初戦の首里東戦に勝利した那覇商。2回戦まで間があるため、練習試合を組んで安里を先発にしてみたところこれが上手くはまった。突出した能力のある選手がいない那覇商が大会で勝ち進むためには、一人の投手に長いイニングを任すのは後半に打たれる危険があった。「今まで先発完投が理想でしたけど、この大会から上間、安里、照屋 弘幸の3人で、一人3イニングずつ、回していく方法にしました」という新たな策が生まれた。これがピタリとはまる。
比較的点差が開いた2、3回戦は照屋の登板は無かったが、準々決勝の宜野座戦でエース上間 康貴を含む3投手リレーが実現。2対2の4回に逆転されたが「3人で3失点ならOK」と、安富監督とナインたちは分かち合っていたため焦ることは無かった。
上位打線から始まる7回表にバントヒットと2つの四球で満塁とすると、真銅 泰良にセンター前タイムリーが生まれて試合をひっくり返した。そして7回からマウンドに上がった照屋がヒット1本に抑える好投を見せ、9回裏も三者凡退に斬り、17年ぶりのベスト4進出を決めたのだった。「決して強いチームではない。地味な野球しか出来ない。地味に粘り強くいくしかない。選手たちもこのような戦い方もあるんだなと分かってくれたからこその秋4強でしょう」
逆境は逃げれば逃げるほど追い掛けてくるが、もし立ち向かえば嫌なことや辛いことは少なくなっていく、とは2010年に甲子園春夏連覇を果たした興南高校我喜屋 優監督(関連コラム)の言葉だ。まさに今の那覇商ナインにピッタリの言葉だろう。頭で分かっていても、毎日の練習を薄暗く狭い軒下でやらねばならないことが、選手たちのうっぷんやストレスになっていることは想像できる。しかし、この中でしか出来ない練習法を積み重ねていった結果が、実りの秋となったのだ。
この冬になっても、彼らの逆境、環境は変わらない。変わるのは自分自身なのだ。「ベスト4になったからといって、誰もが調子に乗ることのないようにしようと皆で話し合ってます」と締めた松永 太地主将の言葉が全てを物語る。22年ぶりの夏の聖地へ!忍耐強さ、勝負強さをさらに磨く那覇商ナインの挑戦はこれからだ!
(取材・写真:當山 雅通)
注目記事・【2月特集】実践につながる ティーバッティング