ビートたけしが笑えなくなってから、どれくらいが経つのだろう。もうほとんど期待はしていない。見ているのが辛くさえある。しかし、世間はそうではないようだ。

特にTBSがそうだが、スタジオの面々は、たけしが何か言うと、酸欠になりそうな勢いで笑っている。ご苦労なことだと思う。

ビートたけしは、もうちゃんと話すことが出来ない。1994年のバイク転倒事故で顔面がマヒして以来、口がゆがみ、言葉がまっすぐ出なくなっている。それが年齢とともにさらに不自由になっている。もともと口跡は良い方ではなかったが、タイミングよく言葉を発することには長けていた。しかし、そうした「芸」も、はるかな昔である。

今は、“面白そうなことを言いそうな気配”さえ、無くなっている。

それ以上に悲惨なのは、「笑いの感覚」が、磨滅してしまっていることだ。

ビートたけしは、所ジョージと2009年、『FAMOSO』というパロディ誌(不定期刊)を創刊した。

写真週刊誌のパロディで全編を埋め尽くしているのだが、そもそも写真週刊誌自体が、全盛期の5誌から2誌に減っているうえに、部数も激減している。風前のともしびなのだ。

今や喫茶店でも買い揃えていないようになった雑誌のパロディという発想そのものが、苦しい。その上に、パロディがことごとく不発。大変なエネルギーを費やしていると思うが、ちょっと信じられない内容になっている。

これは、笑いのベースとなる「社会状況」をビートたけしが感覚としてキャッチしていないということだ。「TVタックル」でも、気の利いたことを言おうとしているが、ほとんどが不発だ。

時代の流れに身をさらして、そこから感じることをそのまま発するだけで「笑い」が生まれる、そういう「旬」の感覚を遠に失ってしまったように思う。

では、なぜビートたけしは、今もテレビの向こうに存在し続けているのか。

一つには、北野武の影響がある。ビートたけしは、北野武という映画監督、芸術家という顔を思っている。単なる芸人でも、MCでもなく、世界に通用するアーティストが、身をかがめて卑近なテレビに出ている、という「お値打ち感」で、人はテレビを見てしまう。ブランドなのだ。

北野武の映画の多くは、頭から尻尾まで、ちゃんと鑑賞できるような代物ではない。確かにシーンを切り取ってみたときに、斬新だったり、面白かったりすることもある。しかし、一品料理として食えたとしても、コース料理としては辛い。

西洋人は、アジア人の作品を勘違いして評価することがしばしばある。特にフランス人はそういう傾向にある。彼らの勘違いが、北野作品を「世界的傑作」にした。レジオンドヌールまで与えてしまった。

しかし、日本で興行的に成功した映画は「座頭市」だけだ。「凄い芸術作品だ」と言う評判はあるが、お客を満足させてはいない。

ただ、北野武の映画監督としての成功(作品、事業としてではなく社会的評価としての)が、ビートたけしの“延命”に、大きな力となっているのは間違いがない。

北野映画の真似をして、芸人がマスターベーションのような作品を次々と撮り出したのは、罪作りなことだとは思うが。

ビートたけしが、今もテレビ界で生き続けられる理由の二つ目。それは、過去のビートたけしが、あまりにも偉大すぎる芸人だったからだ。

漫才ブームは、たけしがいなければ一過性のブームだった。このブームを契機に、テレビ番組が大きく変貌し、芸人のステイタスが上がり、ひいては日本人の価値観にまで影響を及ぼすに至った。ビートたけしは、その最大の功績者だ。

彼は、古いモラルや価値観に、笑いという形で挑戦をした。「赤信号、みんなで渡れば怖くない」という標語がまさにそれだが、バブルに突入しようとする日本、その浮ついた時代の空気、人々の意識の変わり様を、たけしは、漫才という形で鋭く突いて見せた。当然、それは「大人たち」の顰蹙を買った。