「神様、仏様、稲尾様」の投球術 「3つの球種はすべて同じ握りだった」
伝説の右腕・稲尾氏が明かしていた驚くべき投球術、その真相とは
球史に名を残す大投手として、数々の「伝説」を残してきた元西鉄ライオンズの稲尾和久氏。1961年にはヴィクトル・スタルヒン(1939年)に並ぶ歴代最高記録のシーズン42勝(14敗)をマークし、1957年の日本シリーズでは5連投、4完投などの活躍で「神様、仏様、稲尾様」と称えられた。
直球に加え、シュート、スライダーを得意としていた稲尾氏だが、その投球の裏にはどのような“秘密”が隠されていたのか。現役時代に南海、ヤクルトでプレーし、引退後は野村克也監督の「右腕」としてヤクルト、阪神、楽天でヘッドコーチや2軍監督を務めた松井優典氏は、稲尾氏が引退後に偶然、神宮室内練習場で話す機会があり、驚くべき投球術を教えてもらったという。
松井氏はまず、稲尾氏の持ち球について「直球とスライダーとシュート、あとカーブがあります。ただ、カーブは小学生でも投げられる、ふわーんというボールです」と説明する。つまり、実際にはほぼ直球、スライダー、シュートの3球種で打者を抑えていたことになる。ただ、「その3つは全て同じ握りだった」という。
どういうことか。どのピッチャーであっても、ボールの握りは当然、球種によって違う。ただ、稲尾氏はすべて直球と同じように、人差し指と中指をボールにかける握りで、スライダーとシュートも投げていたのだという。そして、指先の調節で投げ分けていた。
キャッチャーへの要求は「真ん中に構えてボールだけ見ていてくれ」
「スライダーで意識する指は人差し指だったそうです。逆に、シュートは中指」。普通に考えれば、スライダーを投げるためには、中指に力を入れたくなる、逆にシュートならば、人差し指に力が入るはず。つまり、意識する指はそれぞれ逆という印象が強い。ただ、稲尾氏は違ったようだ。松井氏は続ける。
「考えてみると、スライダーというのは(中指を意識すれば)力が漏れる。漏れたらスピードが落ちる。稲尾さんのスライダーは、本当は今流行りのカットボールでした。スライダーのように落ちることはなく、曲がって伸びてくる。そういうボールでした」
稲尾氏のスライダーは、実際には直球の球速と大きな落差がないカットボールだったというのだ。逆に、シュートは現在のツーシームとほぼ同じだったという。「今流行のカットボール、ツーシームですが、実際には当時から投げられていたんです」。直球との球速差がそれほどなく、手元で鋭く変化するボールで、打者を翻弄していた。
そして、3つの球種を同じ握りで投げていたことで、稲尾氏にしか出来ない投球術が可能になっていた。松井氏は衝撃的な事実を明かす。
「稲尾さんは、ボールをリリースする直前にバッターを見ていた。すると、バッターの肩の線が見える。当時、日比野(武)さんというキャッチャーが稲尾さんの球を受けていましたが、『日比野さん、真ん中に構えてずっと俺のボールだけ見てくれ』と言われたそうです。それで、稲尾さんがリリース直前にバッターを見て、例えば右打者だったら、肩が(本塁側に)入っているなと思ったらシュートを投げる。逆に肩が引いていたらスライダー。握りは変えていないので、それが可能だったそうです。キャッチャーはほとんどスピードの変化がない3つの球種を捕っていた」
稲尾氏が明かした「コントロールがよくなる秘訣」とは?
稲尾氏は、リリース直前の打者の体勢を見て、相手の狙い球や心理状態などを予測し、投げるボールを考えていたというのだ。当然、捕手とのサイン交換はなし。そんな驚異の投球術で伝説的な成績を残すことになった。肩の線に特徴が出ない選手は、巨人の長嶋茂雄終身名誉監督だけだったという。
また、稲尾氏は投球で最も大切なことの1つある「リリースポイント」について「絶対に人間はリリースポイントを一定に保てない。そこをどういう風にして一定に保つかというのがコントロールがよくなる秘訣」と考えていたと、松井氏は明かす。
「例えばリリースが狂う原因に何があるのかとなると、ランナーがいるとか、ピンチだとか、心理状態によって変わってくる。あとは、ブルペンとマウンドでは背景が違う。そういった外的要素もいっぱいある。これをどう克服するかと考えたそうです」
リリースポイントが狂い、コントロールが乱れたら、自分が立ち返る場所があればいい。稲尾氏は「オレは膝や」と話していたという。「コントロールが狂って、調子が狂った時に、稲尾さんは投球フォームの中で膝の調整が出来た」。これによって、安定感のある投球が続けられた。
「神様、仏様、稲尾様」――。伝説の男は、紛れもなく球史に名を残す大投手だった。