思い出すのは人間が焼けるにおい、腐っていくにおい。どうして正気を保てたのか─。この記事のすべての写真を見る1945(昭和20)年8月6日午前8時15分、広島市に原子爆弾が投下された当時、旧制中学1年だった大岩孝平さん(87)は九死に一生を得た。きのこ雲の傘の下、沈黙「腹痛のため学校を休んで自宅で寝ていたら、突然、ピカーッと光ったんです。昔のカメラのストロボをいっぺんに何万個も焚いたような強烈な閃光でした。原