『夢違』恩田陸/角川書店

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第146回直木賞候補作を全部読んでみました。芥川賞編はこちら。

*1/17の芥川賞直木賞の受賞作発表をうけての感想レビューはこちら

『城を噛ませた男』伊東潤
天正17(1589)年、北信の地にて真田安房守昌幸は焦っていた。今や天下人となりつつある豊臣秀吉に関東の支配者である北条家を攻めさせて戦の中で武功を上げ、あわよくば一国の主になろうという目論見が、水泡に帰そうとしていたからだ。北条が戦を始めなければ豊臣は動かない。均衡を破る策として昌幸が思いついたのは破天荒な奇策であった。わが城を餌として投げ出し、北条家に攻めさせればよいのだ――。(表題作)
『城を噛ませた男』は全5篇を収めた作品集で、戦国時代の関東を舞台としている。いずれの話でも、主役を務めるのは知名度のある武将ではない。北条、上杉、武田といった大大名の顔色をうかがうことなしには生き延びることができなかった。あるときは知略をもって生き延び、またあるときは小勢力なりに意地を貫き通した。そうした戦国人たちの群像が生き生きと描かれるのである。
たとえば巻頭に収録された「見えすぎた物見」は、下野国人・佐野一族を紹介する一篇である。大勢力に領土を挟まれた佐野領は頻繁に旗色を変えなければならない運命にあった。筆頭家老の天徳寺宝衍は文字通りの土下座外交で同家の命脈をつなごうとするのである。「地に這いつくばっても民のために尽くすことが、われらの拠り所」と言い切るたくましさに魅了される。
伊東は本書で、命ぎりぎりの瀬戸際でしぶとく生き抜こうとする者たちを描いた。「城を噛ませた男」のような詐欺小説に似た味わいのものがあれば、「鯨のくる城」のように海に生きる者たちを活写した心躍る一篇もある。5篇の作風がすべて異なっているのもよいところで、さまざまな彩りで読者を楽しませてくれる。お得感のある短篇集だ。

『春から夏、やがて冬』歌野晶午(文藝春秋)
ベンキョードー吉浦上町店で保安部長を務める平田誠は、ある日万引きをした女と面談をした。彼女の名前は末永ますみ。免許証を調べ、彼女の生年が昭和60年であることを知った平田は、甘い対応をしてますみを放免してしまう。平田には、昭和60年生まれの女性に対する複雑な思いがあったのだ。数日後、昼食を摂る平田の前に末永ますみが再び姿を現した。なぜか彼女は、平田に関心を持ったようなのだ。
あらすじの紹介はこの程度に留めておく。帯のコピーを見る限りでは、版元は本書のサプライズを売り物にしたいようなので、その意図を尊重するためだ。書けることだけ書いておくと、主人公である平田の人生がシャッフルされ、異なる時間の出来事が並行するような形で綴られている。そうすることによって読者の脳裏に彼の人物像を組み立てさせるのが狙いだろう。昭和60年生まれということの意味や、彼のどことなく世俗を超越した生き方の理由がそうした叙述によって明らかになっていく。平田は人生のあるときに、それまで築き上げてきたものが一気に瓦解するような、衝撃的な出来事に遭遇したのだった。絶望を抱えて生きるしかない男の肖像が浮かび上がってくる。
本の帯には熱烈な煽りが書かれているが、過度の期待はしないほうがいい。そうした〈驚き〉の衝撃度で煽るような小説ではないからだ。主人公を含む登場人物たちの、荒涼とした心象風景こそが本書の読みどころである。

『夢違』恩田陸
これは人間の夢を映像情報として解析することが可能となった、近未来の小説だ。「夢判断」を生業とする浩章は、ある日10年以上前に死んだはずの人物を街で目撃した。古藤結衣子、兄の婚約者だった女性だ。彼女に恋愛感情を抱いていた浩章は動揺する。
そんな中、浩章は不可解な事件にまつわる依頼を引き受けた。G県の小学校で、教室にいた児童たちがパニックに駆られて一斉に飛び出してくるという事件が起きていたのだ。彼らを動揺させたものの正体は不明であり、他県でも同様の事件が起き始めているという。原因究明のために児童たちの「夢札」を繰り始めた浩章は、彼らが同じような夢を見ていることを知る。夢の中では「何か」が教室に侵入してくるのだ。そのもののおぞましい姿を見た浩章は、自分が目撃した結衣らしき人物との間に奇妙な符号があることを知る。
夢に関する設定は独自のものだが、中心にあるのは古藤結衣子という女性に対する、浩章の思慕だ。もういなくなってしまった人、失われた時間を想うとき、誰もが感じるであろう胸の痛みが鮮やかに描かれている。SF的な設定を利用することにより、作者は漠然とした感情に明確な像を結ばせているのである。
児童が見た悪夢の不穏なイメージなど、質量感を備えた夢が何度も描かれる。この小説では夢は、外部から「やって来る」ものなのだ。夢は、自分の中に存在しながら意のままにはならない異物でもある。その特質が端的な形で表現されているのだ。思いがけない場所で思いもよらなかったものに遭遇したときの心の動きが描かれた作品でもある。ざわざわと心が騒ぐ音を聴きながら読者はページをめくり続けることになる。

『ラブレス』桜木紫乃
杉山百合江という年老いた女性が意識不明の状態に陥る。姪である清水小夜子は、百合江の娘の理恵とともに彼女の部屋を訪ね、伯母が小さな位牌を抱いたまま眠りに就いているのを見た。小夜子と理恵側の現代の視点を交えながら、作者は百合江の過去へと遡っていく。物語が始まるのは標茶町、北海道東部の開拓地だ。時は昭和26年。
中学生の百合江は、10年もの間別々に暮していた妹の里実と再会する。里実は幼いころ里子に出されていたのだ。しかしそれは2人にとって不幸の始まりでもあった。養い親から引き離され、裕福な町家の暮らしから極貧の開拓地へと連れてこられた里実にとって、すべては悪夢のような出来事だった。そして彼女が来たことで弟たちの子守役が不要となり、百合江も無理矢理商家へと奉公へ出されてしまう。それには父・卯一が飲酒でこしらえた借金の清算という意味合いもあった。商家の主人に強姦されて希望を失った百合江は、旅芸人の一座に逃げ込んで故郷を捨てる。唯一の希望である歌だけを頼りにして生きようと決意したのだ――。
百合江は心の拠りどころを求めて放浪していく。旅芸人の一座はやがて崩壊し、百合江は女形の宗太郎とともに荒波の世間へと投げ出されるのだ。根無し草、浮き草の生き方は他人からすれば決して幸福には見えないものだろう。運命に翻弄される百合江の姿はひどくはかない。自分を主張することさえしない。そうした受身の姿が冷徹に描かれているため、本書は読者の安易な同情を阻む。なぜここまで辛苦に耐え忍べるのか、と読者は主人公に問いかけたくなるだろう。その落ち着かない気持ちをぜひ忘れないでもらいたい。
弱点もある。構成に凝るあまり、作者が展開の不自然さに目をつぶってしまっている箇所があるからだ。無理に事件性の要素を加えず、淡々と年代記として書かれるべき作品だったと私は考える。それだけの存在感が主人公にはあり、装飾は無用だった。

『蜩ノ記』葉室麟
豊後・羽根藩が小説の舞台だ。刃傷沙汰の不祥事に巻きこまれた壇野庄三郎は、死すべきところ一命を救われ、藩家老・中根兵右衛門から幽閉中の元郡奉行・戸田秋谷の監視を任される。秋谷は先代藩主の側室と密通し、人を殺めた罪により7年前に切腹を命じられていた。命が下ってから10年後には、手がけている家譜の編纂を終えて腹を切らなければならない。つまり秋谷の余命はあと3年しかないのだ。
秋谷の邸に赴いてその人物を知った庄三郎は、彼が不義を働くような人物ではないと直感する。7年前に本当は何が起きたのか。そして秋谷はなぜ罰を受け入れようとしているのか。庄三郎は時間を遡り、事件の真相を知ろうとする。
士農工商の身分制度の中で上に立つことを求められる武士の覚悟、他人に恥じることのない人生をまっとうしたいと願う強い精神、そして人を信じることの大切さ。そうしたものを揺るぎのない筆致で描いた傑作である。注目したいのは、本書が完璧なエンターテインメントの作法で書かれているということだ。3年後に切腹の期限が来てしまうというタイムリミットや藩政に不満を持つ農民たちの不穏な動きがあるため、常に背景のどこかで事態が動いているような気配があり、一瞬たりとも話が停滞することがない。主人公の真相解明への熱意が推進力となり、強大な権力を持つ敵と相対しようとする意志に読者は共感する。脇役のキャラクターもなじみやすいものであり、特に秋谷の息子・郁太郎の親友である源吉がいい。要するに、読者を乗り気にさせる要素がすべて詰め込まれているのだ。
庄三郎が強い影響を受ける戸田秋谷が口にする言葉の数々には重みがあり、「高貴な者の義務(ノブレス・オブリージュ)」とでもいうべき気品に満ちている。思わず居ずまいを正したくなるような小説なのだ。

『コラプティオ』真山仁
日本の社会に致命的な打撃を与えた東日本大震災。その後に立ち上がった人物がいた。宮藤隼人、気鋭の衆議院議員である。与党の対応は後手に回り、政治家たちは浅ましくも自らの護身に躍起となった。その態度を批判し、宮藤は革命といってもいい政権交代を成し遂げる。「戦後最高の総理大臣」と呼ばれるほどの支持率を獲得し、カリスマを遺憾なく発揮し始めた宮藤は、誰もが思いもしなかった一手を打つ。原発事故によって国際的な競争力を失った日本を、原発産業で救おうという奇手だ。
その政策の原型を立案し、秘書として従っていた白石望は、宮藤が急ぎすぎることに一抹の不安を覚える。白石の中学時代の同級生だった神林裕太は暁光新聞の記者になっていた。その神林も、官邸周辺にきな臭いものを感じ取って執念を燃やす。ディープスロートを名乗る匿名の内通者が、神林に謎めいたメッセージを送りつけてきたのだ。
昨年3月11日の震災以降、わが国を巡る状況は一変した。その世相において、もし輝くようなカリスマの政治家が登場したらどうなるのか。そうしたシミュレーションを行った小説だ。もちろん宮藤隼人は架空の人物だが、社会的不安を背景として「大義の前には小事を捨てよ」と説く政治家はいつ現れてもおかしくない。その危うさを描いている。
小説としては案外広がりがなく、すべてが白石望と神林裕太の周辺で完結してしまうという弱点がある。政界はもう少し奇妙であり、複雑に入り組んだものだろう。単純化された世界観はわかりやすいが、物足りなさを感じる。

大本命のいた芥川賞と比べ突出した候補作がない印象の直木賞でした。私の心の直木賞は『夢違』に贈りますが、みなさんはどの作品が気になるでしょうか?
(杉江松恋)



1月22日(日)のラジカントロプス2.0は文学賞メッタ斬り!大森望(書評家・SF翻訳家)、豊崎由美(書評家)が第146回芥川賞、直木賞の結果を受けて感想戦! 芥川賞直木賞受賞作予想もポッドキャストで聞けますよ!