橋本環奈

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視聴率の理由はストーリーの小ささ

 朝ドラことNHK連続ドラマ小説の新作「おむすび」が、スタートから約2週間過ぎた。その視聴率は低く、14日放送の第11回終了時点での世帯視聴率の平均値は15.17%にとどまっている。放送開始時間が午前8時に繰り上げられた「ゲゲゲの女房」(2010度上期)以降、最低だ。どうして観てもらえないのか。(視聴率はビデオリサーチ調べ、関東地区)【高堀冬彦/放送コラムニスト、ジャーナリスト】

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「おむすび」の現時点までの視聴率は低い。14日放送の第11回までで世帯視聴率の15%割れが5回。第11回は朝ドラとしては屈辱的な12.6%にとどまった。試しに観てみる人が加わる序盤でこれだから、下手をすると二ケタ割れもあり得そうだ。

橋本環奈

 なぜ、あまり観られていないのか。その理由は第1にストーリーが小さいから。観る側の気を引かない。橋本環奈(25)が演じる主人公の米田結がハギャレン(博多ギャル連合)の仲間になろうが(第5回)、なるまいが、視聴者側にとって大きな関心事にはなり得ないのである。

 思わず人助けをしてしまう米田家の呪いの発覚(第1回)や、結の祖父・米田永吉(松平健)と父親・聖人(北村有起哉)との小競り合い(第4回)もそう。結と米田家にとっては大問題かも知れないが、観る側にはそうなっていない。このギャップが作品を取り巻く不評や視聴率が高まらない一番の原因にほかならない。

 小さなストーリーでも広く共感を得るドラマは数多い。ただし、そうなるためには胸を打つ普遍的なエピソードの積み重ねが求められる。だが、残念ながら現時点までの米田家やハギャレン、結の通う糸島東高校にそのような余話は見当たらない。

「おむすび」は最初から不利な条件下にあった。主人公に偉人のモデルがいる作品が「らんまん」(2023年度上期)、「ブギウギ」(同下期)、「虎に翼」(2024年度上期)と3つも続き、あとを託された結が普通の女子高生だからである。おのずとストーリーが小さく見えてしまう。

 また、主人公にモデルがいると、その知名度によって観る側を惹き付けやすい。さらに偉人の足跡は知りたくなるのが人情である。一方で「おむすび」はオリジナルストーリーであり、誰も知らなかった結が主人公なのだから、ハンデを背負わされて始まったのと同じなのである。

 NHKも主人公に偉人のモデルがいたほうが有利であることは当然分かっている。だから2000年度以降の朝ドラ49本のうち、主人公に偉人のモデルがいた作品は17本もある。

 主人公が偉人の作品はこのところ増えている。次回2025年度上期の「あんぱん」も、漫画家のやなせたかしさんと妻の小松暢さんがモデルなのはご存じの通りだ。

モデル不在は言い訳にならない

 もっとも、ドラマには良作か凡作か、人気作か不人気作かしかない。仮に「おむすび」の評価このまま高まらず、人気も低調のままであろうが、「オリジナルストーリーの現代劇で、主人公が普通の女性だったから」という言い訳は通用しない。

 視聴率を度外視し、現時点までのドラマの質を推し量ると、出演陣の演技は出色である。芸能生活50周年の松平健は一流のベテランらしい仕事を見せている。たとえば見てくれの悪い野菜を売るときの永吉のセリフは含蓄に富んでいた。

「形が悪かろうが、見てくれが酷かろうが、この世にクズなんてものはなか」(第4回)

 知らぬ間にハギャレンたちのことも指していた。キザなセリフなのだが、松方の言い方に奥行きがあるから、そうなっていなかった。

 永吉は貫禄ある男なのだが、トホホなホラを吹いたり、味噌汁くらいのことで腹を立てたりと可愛げもある。味のある松平の演技力があってこそ成立する役柄である。

 北村有起哉の演じる聖人と永吉は仲が悪いが、納得の不和だ。豪放な面のある永吉と神経質な聖人では折り合うはずがない。北村も飛びきりうまい人なので、線の細い聖人を巧みに演じている。2人の不仲ぶりは安心して観ていられる。安定の確執である。

 北村の亡父は元文学座の名優・北村和夫さんだ。「おしん」(1983年度)では、おしん(田中裕子)の舅・田倉大五郎に扮した。今は息子の北村 が名優に成長し、初めてヒロインの父親役に扮している。朝ドラ60年余の歴史を感じさせる。

 橋本の結役も持ち味が生かされた適役に違いない。福岡県糸島で暮らす結のセリフは博多弁だが、橋本も博多育ちとあって、地でいけている。それもあってか、溌剌と演じているところがいい。

 母親・愛子役の麻生久美子(46)もまた演技巧者として知られる。ハギャレンで女王然としている真島瑠梨(みりちゃむ)が福岡・天神の交番に深夜徘徊で補導されると、愛子が忽然と現れ、婦人警官・河合紗香(兒玉遥)に向かって「すみません。うちの子と友達がご迷惑を掛けて」と鷹揚に言ってのけた。瑠梨と会ったこともないくせに彼女の身元引受人を買って出た(第10回)。

 愛子は融通が利く。頼りがいもある。一方で「こういう物わかりのいい母親がときに子供の非行を生むんだよな」とも思わせた。結の8歳年上の姉で元伝説のギャル・歩(仲里依紗)が育まれた環境との整合性を感じさせた。麻生の演技に奥深さがあるから想像力が掻き立てられた。

 序盤の出演陣の演技にはミスやエラーはない。となると、やはり序盤の低調の理由はストーリーとしか考えられない。結の周辺のストーリーも綺麗にまとまってはいるが、小さいのである。

 低血糖症で倒れてしまったハギャレンのスズリンこと田中鈴音(岡本夏美)を結が助けたり(第5回)、瑠梨の深夜徘徊の理由は両親のネグレクトだったり(第10回)するが、予定調和の範囲内である。良いほうに解釈すると、それぞれのエピソードが卑近で現実味があるのだが、凡庸な話が続くから引き込まれにくい。

 ちょっと不思議なのは平成元年(1989年)生まれの結たちにパラパラをやらせて、仲間をギャルにしたところ。物語は現時点で2004年であり、パラパラブームもギャルブームも峠を越している。

 ルーズソックスや「アムラー」などのギャル文化が全盛だったのは歩の世代なのだ。あえて廃れゆくギャル文化を追う少女たちをフィーチャーし、寂寥感を表そうとしているのだろうか。

震災の回顧でV字回復か

 一方でこれからのストーリーが大きくなっていくのは間違いない。結が栄養士となり、食の知識と卓越したコミュニケーション能力で人と人を結び付ける。

 また、平成元年(1989年) 生まれの結が中心となって、平成期という時代の全体像を表すという。身近過ぎて逆に見えにくい時代だから、成功すれば面白い試みになるはずだ。

 平成期には大災害と大事件が多かった。その中の1つで現代人にとって忘れられない大災害が阪神・淡路大震災(1995年)である。結の一家は震災を機に神戸市から福岡県糸島に引っ越してきたから、震災は当然描かれる。

 震災から30年。震災時に6歳だった結は今、何を思うのか。また、天職と考えていた理容の仕事から離れざるを得なかった聖人の胸中はいかなるものなのか。興味深い。

 登場人物が偉人ではなく、普通の人であるからこそ描ける世界もある。ただし、どこまで視聴者が待ってくれるかという問題はある。そう長くは待ってくれないのではないか。

 SNSを眺めると、「『おむすび』の緩さこそ昔ながらの本来の朝ドラ」といった考え方が存在するようだが、それは誤解にほかならない。

 そもそも朝ドラは全ての作品が唯一無二。本来の形なんて、ない。毎回、制作統括も脚本家も主演も違うのだから、当たり前だ。振り返ると分かるが、過去に似た作品なんて1本もない。

「朝ドラらしい作品」なるものも存在しない。そんなことをNHKが言った試しはない。このところ、「虎に翼」が異端だったとする向きがあるが、それを言い始めたらアイドル文化を描いた「あまちゃん」(2013年度 前期)もヒロインが3人いた「カムカムエヴリバディ」(2021年度後期)も異端になってしまうのである。それぞれが個性を競ってはいるが、異端は存在しない。

 また、往年の朝ドラも決して緩くなかった。山田太一さんの脚本による「藍より青く」(1972年度)や石森史郎さんの「水色の時」(1975年度)、「おしん」。みな先鋭的でメッセージ性を内在していた。「おむすび」の序盤の緩さも先祖返りしたわけではなく、単なる個性と捉えるべきだ。

 脚本の根本ノンジ氏はNHK「正直不動産」(2022年)などほのぼの系などの作品を得意とする。制作統括の管原浩氏も代表作に「これは経費で落ちません!」(2019年)、「いいね!光源氏くん」(2020年)があり、やはりほのぼの系を得手とする人。

「おむすび」の緩さも狙ったうえでの味わいなのだろう。

高堀冬彦(たかほり.ふゆひこ)
放送コラムニスト、ジャーナリスト。1990年にスポーツニッポン新聞社に入社し、放送担当記者、専門委員。2015年に毎日新聞出版社に入社し、サンデー毎日編集次長。2019年に独立。前放送批評懇談会出版編集委員。

デイリー新潮編集部