久田恵「〈理想のすまい〉と移住した那須の高齢者住宅を6年で退所。今は東京の自宅できままなひとり暮らし。学生時代の友人との交流を楽しみに」
2018年、栃木県・那須高原の高齢者住宅に移住し、息子家族とは距離を置いて「自由」と「理想の住まい」を手に入れた久田恵さん。しかし今年2月から、東京の実家でひとり暮らしをしています。終の住処にもなりえた家を76歳で引き払った理由は――(構成=内山靖子 撮影=本社・武田裕介)
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<前編よりつづく>
老人ホームに遊びに行く毎日
東京に戻ってきてからは、学生時代の友人とよく会うようになりました。後期高齢者になると、夫に先立たれておひとり様になっている女友達があっちにもこっちにも。
私自身もそうですが、ひとり暮らしの女性がポツンと家に籠もっていると、気持ちがどんどん暗くなっていく。
そこで、自分と同じようなおひとり様の友人に「うちに泊まりに来ない?」と声をかけ、10代に戻った気分で夜中までおしゃべりを楽しんだりしているんです。
シニア世代の女性は、ひとりで外食したり映画を観に行ったりするのが苦手という話もよく聞きます。でも、学生時代の友人と一緒なら気軽にお出かけできるでしょう。
私はなぜか友人からフラダンスのレッスンによく誘われるのですが(笑)、同世代の女性が集まっていそうな習いごとや地域のサークルに思いきって参加してみるのもいいかもしれません。
せっかく自由な時間ができたのですから、人とのつながりを広げていけば、毎日をより楽しく過ごせるのではないでしょうか。
最近は、両親が亡くなるまで入居していた老人ホームにも遊びに行っています。実は、2月に東京に戻ってきてからしばらくの間は、段ボールの荷物も開けられないほど疲れ果て、家の中でずっと横になっているような状態でした。
「アフター更年期」で心身ともにガクッと落ち込んだ時期と引っ越しが重なり、体調を崩してしまったのかもしれません。「なんだか、人生に疲れちゃった」と、気力も失せてグッタリしちゃって。
そんなある日、「老人ホームで津軽三味線のコンサートをやるよ」と、友人が声をかけてくれたのです。そこで、両親の最期を看取った切なくも懐かしいホームに出かけてみたところ、当時のままのアットホームな雰囲気が、たまらなく心地よく感じられました。
職員の方と顔なじみということもあり、それ以来、毎日のように顔を出しています。ロビーで行われている「転ばない体操」に参加したり、食堂の一角で入居者の方たちとおしゃべりしたりトランプをしたり。
「ご飯でも食べていけば」と職員の方に誘われてからは、1食600円をお支払いして皆さんと夕食をともにするのが、すっかり習慣に。おかげで、ひとり暮らしとはいえ、ちっとも寂しくありません。
週末になると、息子や孫娘たちも「安否確認」を兼ねて遊びにやってきますしね。
今年7月、自宅近くの老人ホームにて。この日はフラダンスを体験(写真提供◎久田さん)
最期に過ごす場所を決めておく
この先、さらに年齢を重ねて要介護状態になったら、《第二のわが家》のようなこの老人ホームに、私も入居することに決めました。
今すぐ入ると長生きした場合にお金が足りなくなる心配もありますから(笑)、自分ひとりで生活できる間は現在の家で過ごし、人の手を借りないと暮らせないようになったらお世話になろう、と。
私は放浪癖があるので若い頃からあちこちを転々としてきましたが、さすがにこの年齢になったら、これまでのように「なるようになるわ」では済まされません。自分の気持ちを整理して、どこで最期を過ごすかを決めておかなければ。
もしかしたら、私はこの老人ホームを終の住処にするために、東京に戻ってきたのかもしれません。
私に限らず、年齢を重ねて自由な時間ができたら、自分が最期に過ごす場所を見つけておくのがいいと思います。
これまで全国各地の高齢者施設を取材してきましたが、ひとくちに「老人ホーム」と言っても千差万別。居住者の自由な意思を尊重してくれる施設もあれば、管理がきびしく家族でも気軽に会えない施設もある。一概に、建物の外観がきれいだからいいというわけでもありません。
自分の足で動けるうちにお気に入りの施設を見つけておけば、見当をつけないまま心身ともヨボヨボになり、子どもに「近くて安い施設」へ入れられてしまうこともないでしょう。(笑)
私はこのホームで両親を看取り、どこで過ごすかによって晩年が幸せになるか不幸になるかが決まるのだと実感しました。
同居する家族のいないおひとり様にとって、自宅にしても施設にしても、終の住処が決まっているのはとても安心なこと。そういう安心感があればこそ、人生を最期まで楽しむことができるのだと思います。