お見舞いの手土産で現在の夫が持ってきてくれたというサンドイッチ。大きな支えになったそう

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 1998年、フィギュアスケートのアイスダンス競技で長野オリンピックに出場を果たした河合彩さん。定期的な人間ドックを受けていたにもかかわらず、4.5cmの乳がんが判明。全摘手術も受け、現在は寛解しているが、当時なぜ、これほど大きくなった腫瘍に気づかなかったのか―。

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付き添ってくれた母のほうがパニックに

「2014年6月のことでした。入浴中、右胸にしこりのような違和感があったんです。10か月前に親友が乳がんを発症したこともあり、“一応、検査しておこうかな”と近所のレディスクリニックを受診したんです」(河合さん、以下同)

 8か月前の人間ドックでは何もなかったので、この時点ではまさかとは思っていた河合さん。しこりの様子がどんなものだったか振り返る。

「乳腺症によるしこりだとプルンと動く感じがするらしいのですが、石のように硬くて動かない。さらにはトゲトゲした感じで……」

 最初に訪れた医院は、乳腺は専門外の婦人科だった。

「医師は、“マンモグラフィー(乳房専用のレントゲン)はないけれど、エコー(超音波検査)ならできます。まずはこれで診てみましょう”と。結果は“早めに専門機関を受診してください”。それでその日のうちに紹介状をもらい、乳腺外来のある病院に診察の予約を入れたんです」

 そこで、マンモグラフィー、エコー、細胞診(細い針を刺し吸引した細胞を調べる生検)と乳がんを前提とした検査を受け、結果を聞くために1週間後病院へ。ところがもっと詳しく検査をしたいと、組織診(局部麻酔をした上でより太い針を刺しての生検)まで受けることになってしまった。

「組織診の結果を見たドクターから、“来週は家族の方と一緒にいらしてください”と。“乳がんです”とおっしゃっていたはずなんですが、私もショックを受けていたのか、ちゃんと理解できていなくて。その日は“乳がんの可能性が高いらしいぞ”といった程度の認識で帰りました」

 1週間後、ドクターの指示どおり家族と一緒に病院へ。

「がんの大きさは4.5cmで、ステージが、2Bから3Aとの予想を告知されると付き添ってくれた母のほうがパニックになってしまって。おばに“彩はもう助からないかも”と電話しているのを横で聞いて、“そんなことないだろう”と。だって、たった8か月前に人間ドックも受けていて、胸のしこりも大きい感じはしなかったので……」

乳がんと聞くと、丸い腫瘍が胸の中にできるように思われるでしょうが、私のがんは円柱状でゴツゴツとして、胸の奥底に縦に伸びるタイプでした」

早急に決めていく感じに不信感を抱く

 触診しても、縦に長く胸の奥の位置にあったことで、触れても4.5cmの大きさを感じとれなかったのだ。がんを発見してくれた病院ではすぐに手術をすすめられたが、強い違和感を感じたという。

「最初から全摘を提案されて。“全摘しない方法はありませんか?”とお聞きしたら、“リスクが高くなるので全摘をすすめます”と」

 河合さんが戸惑っていると、ドクターは明らかにイラついた様子を見せた。

「この先生に手術を任せるのは嫌だなと。説明された用語がまったくわからなく、それをフォローする感じもないまま手術日だけを早急に決めていく感じにも不信感を抱きました。わからないまま人に命を任せるのは怖いなと」

 全摘以外に方法はないのかを知りたく、セカンドオピニオンを求めたものの、そのドクターはいい顔をしない。

「それまでの検査資料を出してくださらなくて。病院の事務所に連絡してやっと出してもらえたんです」

 河合さんはセカンドオピニオンを求める作業を着々と進めるうちに、乳がんに対する知識を深めていく。そんなあるとき、前出の親友から乳がん治療についての本をすすめられた。その本でがん細胞を凍結させる最新治療があることを知った。

「その本の著者である昭和大学病院の中村清吾医師の診察を受けたかったのですが、セカンドオピニオンを受けられるまで2か月待ちの状態でした」

 かなり先の予定だったので、もう1か所、乳がんの凍結療法を行っている千葉県の亀田病院にも行ってみることにした。しかし、「手術の予定が埋まっていて手術まで2か月待ち」との答え。最終的に3か所診察を受けたが、すべて全摘しかないとの意見だった。

 ここに至ればもう覚悟を決めるしかない。すると幸いにも昭和大学にキャンセルが出て、3週間後に手術を受けられることとなり、右乳房全摘出に至った。河合さんは経緯を振り返って言う。

「正直、私もセカンドオピニオンを申し出るときには勇気がいりました。先生に失礼に当たるかもしれないと思いましたし。とはいえ、命にかかわることですから、理解してから命を託したかったんです。それでなければ満足のいく治療なんて受けられるわけがないと」

 がん発見から2か月後の8月。がん切除の手術と同時に再建用のエキスパンダーを入れた。

「女性の場合、胸が片方ないと転びやすくなるそうです。それもあり、再建をすすめる医療機関は多い。見た目の問題だけじゃないようです」

乳頭と乳輪の再建は断念

 想定外だったのが、自分がケロイド体質であったこと。

「手術で乳頭と乳輪を切除しました。耳の軟骨で乳頭をつくり、医療イレズミで乳輪を再建することができるので、当初は私もそうするつもりでした。ところが手術の傷口が、体質でケロイド状になってしまって。これ以上、身体を傷つけることはしたくないと、乳頭と乳輪の再建は断念しました」

 再発は防止したいが、抗がん剤治療は避けたい。そこで遺伝子検査を受けた。

「中村先生の見立てでは、私は、“抗がん剤を使用することなく、ホルモン治療のみ”で再発が避けられるタイプのがんだそう。ただ、そのためには遺伝子検査を受けてはっきりさせないと、と」

 その費用で45万円。がん保険に入っていてよかったと思ったという。

「がんとわかると保険で百万円が受け取れたんです。百万円あれば遺伝子検査も受けられるし、およそ10万円のPET検査(陽電子放出断層撮影)も躊躇なく受けることができますよね。がん治療って、治療は保険でどうにかできても、検査にお金がかかるもの。その部分の選択肢を広げてくれるのががん保険で、入っていて助かったなと」

 がん判明から10年たった今年の夏。

「普通に生きられていることのありがたさを感じますね。かつては負けず嫌いなアスリートだったけれど(笑)、人生勝ち負けじゃない。いろんな人の思いに触れられた、がんを経験した今のほうが幸せですね」

河合彩 元フィギュアスケート・アイスダンス日本代表。1998年、大学在学中に日本代表として長野オリンピックに出場。1999年、アナウンサーとして日本テレビに入社。現在は日テレ学院講師、フィギュアスケートインストラクターとして活躍。

取材・文/千羽ひとみ