音楽活動の一時休止を経て再出発を果たした歌手の島谷ひとみさん(筆者撮影)

25周年を迎えた歌手の島谷ひとみさん(43)。2002年に「亜麻色の髪の乙女」で大ブレークし、歌手のみならず役者、モデル、タレントとしても活躍しました。そこから苦悩の30代、気づきの40代と時間を重ねる中で見えてきたこと。そして、今後を見据える中で大切にしている言葉とは。

25年前、初ステージに立って思ったこと

今年25周年を迎えました。

振り返ってパッと思い起こされるのは、スタート地点ですね。まさに転機というか、そこから全てが変わったし、全てが始まりましたから。

歌手になりたくてオーディションを受けて東京に出てきました。レッスンを受けて、何とかデビューにたどり着きました。待ちに待った場のはずですし、そこを目指してやってきたはずなのに、なんでしょうね、ステージに立った時に初めて腹をくくったんです。「もう私は後戻りできない」と。

歌手として生きていく覚悟というか、そこが目標だったはずなのに、実際にお客さんの前に出た時にその意識が完成したというか。これだけのお客さんが私のために集まってくださっている。「逃げるなら今しかない」みたいなプレッシャーも感じました(笑)。それくらい、プロとしての一歩を踏み出した時の感覚は大きなものだったんだなとも思います。

そして、実際に歌手としての日々が始まりました。そこで感じたのが「この仕事は出会いの積み重ねなんだ」ということでした。歌手は歌うのが仕事。歌の積み重ねが日々の積み重ね。そう思ってもいたんですですけど、歌を通じて人と会う。そのご縁を大切にする。そこから学びを得る。そしてまた次のご縁を育てる。それも大きな要素だと感じました。

デビューした頃にavexの当時の会長さんから「あなたはどんなに売れたとしても変わってはダメですよ。“実るほど首を垂れる稲穂かな”だから」と言っていただいて。時間が経てば経つほど、本当に大切なことを教えてもらっていたんだなと強く思うようになりました。

20代は歌を軸にしながら、本当に多くの出会いをいただいたなと思っています。わからないこともたくさんある中で大人が引っ張ってくれた。「こうやりなさい」と言ってくれた。バタバタとなかなか追いつかないこともありながら、必死に追いかけていく。そんな時代だったなと考えています。

30代になると、それが変わったというか、自分の足で歩くことを求められた。そんな感覚があるんです。もちろん自分の足で、意志で進むことは大切だし、それこそが本来の形なのだとも思うんですけど、自分の中でいきなりそのステージが始まったという感じもあったんだと思います。

スタッフも年下が増えてきて

年下のスタッフさんも増えてきて、今までは周りの大人が手を引っ張ってくれている方向に行けば“島谷ひとみ”が成立する状態だったのが、もう自分自身がアーティスト“島谷ひとみ”を一番知っている存在になっていた。

20代から30代になって求められることや環境が変わる。これって、すごく当たり前というか、どんな仕事でも普通にあることだと思うんですけど、私はそこですごく考えたんです。

とにかく自分がしっかりしなきゃいけない。自分の人生だけでなく、周りの方の人生にも自分がしっかりしないと影響を及ぼしてしまう。そこがさらに進んで、自分が凝り固まっていく。そういう状況が続いて、30代後半になった時に音楽活動もいったんストップすることになりました。

私は歌うために東京に来たはずなのに、今の自分はそこと思い切りかけ離れてしまっている。それがまた次の悩みにもなっていく。そんな渦に入ってしまいました。

人生も折り返し地点に立った時にこう今一度自分で一回リセットボタンを押して自分が本当にどれぐらいの歌を歌っていきたいのかとかを問い直すという気持ちになったんです。

母の病気で自分のことも見つめ直した

そして、どういう流れなのか、その時期に母が病気をしたんです。地元に戻る頻度も増えました。親との時間、自分自身の時間、そして歌手としての時間。いろいろなことを否応なく考えるようになって、今一度、思いを精査することになりました。本当に、本当に、自分の中で何が大切なのか。優先順位をつけていくことで、やっぱり自分は歌を歌いたい。そう思ったんです。

40歳からの再出発で、長くお世話になってきた事務所も出て、本当に一からのスタートになりました。

今、何もかも自分でやらないといけない状況で30代の頃よりもプレッシャーを感じるといえば感じる環境なのかもしれません。でも、今が一番自由に歌えている気がするんです。そして今が一番楽しく生きている。それも感じています。


「やっぱり自分は歌を歌いたい」という思いに気づいたという島谷ひとみさん(筆者撮影)

ファッションに通じるところもあるのかなと思うんですけど、20代の頃はいっぱい重ね着もして、アクセサリーもつけて、いろいろと派手なことも試す。そこから30代で今の自分と照らし合わせて取捨選択をしていく。

40代になったら、もう自分の好きなものは決まっているし、無理なく、シンプルに気に入ったものを着る。どの年代も無駄なことではないと思うんですけど、そこを強く感じてきた25年だったなと思っています。

25周年を迎えていろいろなことを振り返る中で気づいたんですけど、私、小学校の頃にお習字の時間に自分が大切にしている言葉を書く時があって、そこで「真心」って書いてるんです。

その時はどれくらいの思いで書いていたのか、もうかなり前のことなので(笑)、覚えてはないんですけど、今になって真心は本当に大切なことだなと改めて感じました。

何をしていても、本来の姿に戻るもの

何事においても真心を持って接することが大事だし、真心を持って接したいと思う人とだけ時間を共有する。その見極めの意味でも、真心は大切だなと思います。そうやって常に真心を軸に生きていけば、そうそう悪いことは起こらないのかなとも思います。

人間、カッコつけて生きててもバレますしね(笑)。何をしていても、本来の姿に戻るものだとも思いますし、自分としてこれからも積み重ねをしていきたいと思っています。

■島谷ひとみ(しまたに・ひとみ)
1980年9月4日生まれ。広島県出身。1999年、関西テレビ「紳助の人間マンダラ」内の企画で演歌「大阪の女」でavex traxからデビュー。オリコンの演歌チャートで初登場1位を獲得する。翌年ポップスへ転向。2002年に「亜麻色の髪の乙女」をカバーし、大ヒットとなる。歌手以外に、女優、モデルとしても活動。2023年、自身とシンガー・ソングライターのHIPPYが発起人となった平和の祭典「PEACE STOCK」を立ち上げ。今年8月17日、18日には東京・お台場R地区特設会場、9月22日にホットスタッフフィールド広島で開催する。

(中西 正男 : 芸能記者)