「42歳の元刑事」はいかにして転落していったのか… 誰もがハマる「ギャンブル依存」の深い沼

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水原一平氏の違法賭博問題で話題になっている「ギャンブル依存」。「自業自得」「意志が弱い」などといった意見もあるが、実際には、誰もがその沼から抜け出せなくなっても不思議ではない。『ギャンブル依存 日本人はなぜ、その沼にはまり込むのか』(平凡社新書)では、長年にわたり医療現場を取材してきた著者が、「ギャンブル依存」によって人生の危機に陥った人々の体験談を紹介している。九州のとある県警で刑事として働いていたケイさん(仮名・42歳)もその一人だ。真面目で正義感に溢れる警察官が、なぜ「ギャンブル依存」に陥ってしまったのだろうか。

自分は周囲から見下されている

20年前、出身地である九州の国立大学経済学部を卒業したケイは、まずは地域の団体職員となった。 24歳のときに職場で知り合った女性と結婚し、すぐに子どもが生まれた。

妻の父親は元警官で、親戚にも警察関係者が多かった。親類の集まりに出向くと、どうしても警察の話題が中心であり、そのたびに疎外感に襲われていた。というよりも、「警官ではない自分」に意味のない劣等感を覚え、周囲から見下されているように感じていた。自分は難関の国立大学を卒業したにもかかわらず、だ。

「もちろん、現実には親戚の誰も自分を見下したりはしていませんでした。自分の勝手な思い込みです。子どものころから、地位や立場、上下関係で人を見てしまう性格だったんです」

勤務先での仕事に大きな不満があったわけではないが、今、「なりたい自分」は団体職員ではない。まだ間に合う。警察官になろう。そう決意して、仕事の傍ら、勉強を開始した。 26歳で地元県警の採用試験に合格した。

警察学校を経て、最初に配属された交番の「お巡りさん」になった。やりがいはあったが、警察官になったからには、やっぱり刑事になりたい。犯罪者を追い、自分の家族や友人たちが住む地域の安全を守る。目標ははっきりしていた。時間があるときには、本署の刑事課に出向き、先輩の話を聞いたりして勉強を続けた。そんな意欲と姿勢が上に認められたのか、警察官になって2年が過ぎたころ、念願の刑事課に配属となった。

真面目で正義感が強い。必要なことは前向きに努力をする。ケイはそんな若者だった。制服から私服姿に変わり、毎日はさらに忙しく過ぎていったが、ストレスは感じなかった。公私ともに充実していたケイに、悪魔がそろりと近づいたのは、刑事になって2年目のことだった。

ふと思いついてパチンコ店に入ってみた。それが、自分の人生を暗転させる禁断の扉であるとは想像もしなかった。

大学生で覚えたギャンブルの味

実は、ケイにはパチスロで痛い目を見た過去があった。そもそもの始まりは高校卒業後のこと。現役で合格した大学での日常はあまりにも退屈で、勉強にも遊びにもほとんど興味を持てないでいた。ウィンタースポーツのサークルに籍を置いたものの飲み会に参加する程度。冬の活動シーズンが始まるころには、集まりに顔も出さなくなっていた。

一方、友達に誘われてやってみたパチスロは、あまりにも刺激的で、すぐに夢中になった。1990年代の終わりごろで、当時のパチンコ・パチスロ業界は「30兆円産業」として空前絶後の隆盛を極めていた。大当たりが連発する「大連チャン機」「爆裂台」が幅をきかせ、10万円単位の大勝ちが可能である反面、大金を失うのもあっという間。ハイリスク・ハイリターンが売り物だった。

ケイがハマったパチスロも同様だった。良い台に当たって波に乗れば、相当な稼ぎになる。反面、ドツボにハマれば、その日の食事代にも事欠くことになる。勝つか負けるかの高いギャンブル性が呼び起こす興奮は、退屈を持て余していた若者を夢中にさせた。それまでの生活で培ってきた理性や常識、金銭感覚はいとも簡単にズタズタになった。

パチスロ台のボタンを押し、大当たりが出るときに指先に伝わってくる独特の手ごたえに比べると、平凡な大学生のキャンパスライフなど、あくびが出てくる。

毎朝、自宅を出ると、大学には向かわずにまっすぐパチンコ店へ直行する。勝ったり負けたりを続けて夕方まで時間を過ごし、その後はバイト先のガソリンスタンドへ出向く。授業には、進級に必要な最低限しか出席しなかった。

パチンコやパチスロも、ある程度の情報戦となる。漫然と店を選び、適当に空いている 台に座っている客はネギを背負ったカモそのもので、まず店側に食われてしまう。「勝てる店」「渋い店」などは、予備知識として必要最低限であり、「新装開店」「新台入れ替え」 など、「設定が甘くなる情報」は逃さず仕入れ、朝一番から県外へと遠征することもしばしばだった。

資金が足りなくなり、親の財布に手を付けた

うまく上昇気流をつかまえれば、分不相応な大金が転がり込んでくるが、「退屈だから」 とやってくる大学生においしい思いを続けさせてくれるほど、ギャンブルは甘くない。情報戦を仕掛けているつもりでも、続ければ続けるほど、収支はマイナスに傾いていく。

バイトで稼いだ手持ちが尽きると、なんらかの理由をつけて親からもらったり、それでも足りない場合には、家の金を盗んだりして資金をつくった。大学の単位は要領よく稼ぎながら、生産性のかけらもない大学生活が続いた。

時間だけは誰にとっても平等に流れていく。漫然とパチスロとバイトに明け暮れて、 モラトリアムの持ち時間を浪費していれば、4年間などはあっという間に流れてしまう。 難関国立大学の学生だけに、ケイはさほど苦労することもなく就職先はすんなりと決まり、社会人になった。毎朝同じ時刻に起きて、出勤するという生活のリズムは規則正しく変わったが、余暇の過ごし方はほとんど変わらなかった。

勤務時間外のほとんどはパチンコ店が居場所になっていた。可処分所得が増えた分、金の使い方はひどくなった。ありったけの金がパチスロ台に突っ込まれていく。足りなくなったら、相変わらず親の財布に手を付けたり、だった。

学生時代と変わらずに、ハマればハマるほど金はなくなっていく。給料の振込口座にセットされていたカードローンは限度いっぱいまで利用を重ね、その返済日が過ぎると、通帳の残高は常にマイナスになっていた。そうなると、「お決まりのコース」が待っている。 消費者金融に駆け込み、高い金利の返済に四苦八苦するようになるまで、そう時間はかからなかった。

社会人生活をきちんと送ることで自分を正当化

その一方で、団体職員としての仕事はきちんとこなしていた。ずる休みなどは一度もない。パチンコ店に出向くのは仕事を終えてから、もしくは休日だけとけじめをつけていた。

「消費者金融からの借金が膨らんでいく現実に対し、しっかりと社会人としての義務を果たすことで、自分を正当化していたんだと思います」と当時を振り返るが、根が真面目なのか、それとも外見の体裁を整えただけだったのか、たぶん、両方だったのだろう。

就職して2年目の春、付き合っていた女性が妊娠した。このとき、消費者金融3社などからの借金は150万円に膨らんでいた。それを隠したまま、新たな生活を始めるわけにはいかない。結婚をするために彼女、そして自分の両親に現状を打ち明けた。

若気の至り──。このときは、誰もがそう判断してくれたようで、すべての借金を親が肩代わりしてくれた。

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「周囲に見下されているように感じていた」という彼の感情が、その後の彼をさらなる「ギャンブル依存」の沼に引きずり込んでいくことになる。つづく後編記事「マジメな警察官がじつは借金250万円、仕事も妻子も失い「さらなる転落」へ…「ギャンブル依存者」に共通する、ある“思考回路”」では、その後のケイさんの体験談と、ギャンブル依存者に共通する思考回路を紹介する。

マジメな警察官がじつは借金250万円、仕事も妻子も失い「さらなる転落」へ…「ギャンブル依存者」に共通する、ある“思考回路”