父母に“お嬢さん”と呼ばせていた田村瑠奈被告(小学校の卒業アルバムより)

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「何を撮影したかも知りませんでした……」

「娘からビデオの撮影に誘われましたが、具体的な内容は言われてなかった。実行を容認はしていません。幇助したというのも違います……。とても耐えられないと思いました。助けを求める気持ちで、夫に撮影を依頼しましたが、何を撮影するかも知らず、手伝う意識も全くありませんでした。何を撮影したかも知りませんでした……」

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 札幌市の繁華街ススキノのホテルで昨年7月、男性会社員(62=当時)が殺害され、頭部を持ち去られたとする事件――。起訴された親子3人のうち、母親の無職・田村浩子被告(61)の初公判が6月4日に札幌地裁(渡辺史朗裁判長)で開かれ、このように述べている。

父母に“お嬢さん”と呼ばせていた田村瑠奈被告(小学校の卒業アルバムより)

 実際にホテルで殺害行為に及び遺体を切断し、その頭部を持ち帰った娘の田村瑠奈被告(30)と、現場ホテルに瑠奈被告を送迎していた父親で精神科医の田村修被告(60)は裁判裁判対象事件となっており、公判開始の時期は現時点で未定。裁判裁判対象事件ではない母親の浩子被告の公判が、最初に開かれることとなった。

 一連の事件において初めて開かれる刑事裁判では、検察官が述べたように“瑠奈ファースト”な田村家の姿が明らかにされた。また、事件に至る詳細な経緯が判明する一方、浩子被告は公訴事実を否認している。著者が傍聴席から目撃した、公判の一部始終を改めてお伝えしたい。(前後編のうち「前編」)【高橋ユキ/ノンフィクションライター】

用意した紙を読み上げる

「『隠匿を容認し』というのは違います。あまりに異常な状況に、娘に何も言うことができず、咎めることも認めることも何もできず、頭部を隠したいと言われたこともなく、頭部を持ってるとも思わなかった」(浩子被告)

 男性を殺害しその頭部を持ち帰った娘・瑠奈被告と同居していた浩子被告の初公判は、2024年6月4日15時から札幌地方裁判所805号法廷で開かれた。

 死体遺棄、死体損壊の各幇助罪で起訴された浩子被告は、罪状認否で「正確に伝えたいので……」と紙を取り出し、読み上げた。途中、涙ぐんでいるのか、言葉につまる様子があったが、傍聴席からは、証言台の前に座る浩子被告の背中しか見えない。よって涙を流しているのかは分からない。

 娘の瑠奈被告は当時62歳の男性を殺害。自宅に持ち帰った男性の頭部を、逮捕されるまでの期間、自宅に隠匿して遺棄するとともに、刃物を使用して損壊したとされる。

 起訴状によれば、浩子被告はこうした瑠奈被告の行為にあたって、頭部の隠匿を容認したという。さらに2023年7月7日、瑠奈被告が男性の頭部を撮影しながら損壊する計画を立て、浩子被告にその様子を撮影するよう求めた。だが、浩子被告はそれに応じず、修被告に撮影を依頼。結局、瑠奈被告が男性頭部から右眼球を摘出する場面を修被告が撮影したとされる。

瑠奈被告と似た“整った顔立ち”

 浩子被告が用意した紙を読み上げたのち、弁護人も認否を述べた。曰く、浩子被告は、娘が男性の頭部を自宅浴室に隠匿しているとは思っておらず、隠匿を容認もしていなかった。娘を咎めてもおらず通報もしていないが、容認する発言もしていない。さらに「ビデオを撮影しながら、娘が男性の頭部を損壊する」という計画は、娘から聞いておらず、その計画も容認していない。瑠奈被告に撮影を求められ、夫の修被告にこれを頼んだが、まさか頭部の損壊が行われると知って撮影を頼んだわけではない……のだという。

 そんな罪状認否が終わるや否や、数人の報道記者が急いで席を立ち、法廷を飛び出していった。出入りの物音が騒がしい。重大事件の判決で「主文後回し」と言われたときのごとく、落ち着かない。一般傍聴席にも、報道機関の記者が多数座っているようだ。

 さきほどまで、小さく澄んだ声でメモを読み上げていた浩子被告は、ゆっくりと弁護人の前の長椅子に戻り、腰掛けた。まっすぐ前を見つめる目元には眼鏡がかけられており、瑠奈被告と似た、整った顔立ちであることがよくわかる。薄いスモーキーブルーのロングスカートに薄いキャメルのカーディガンを羽織り、ロングヘアを後ろでひとつに結んでいた。上下スウェットでもなく、裁判裁判で見かけるようなリクルートスーツでもない。髪には白髪が交じるものの、実年齢よりもはるかに若く見える。

<奴隷の立場をわきまえて、無駄なものに金を使うな>

 双方の冒頭陳述によれば、浩子被告は北海道で生まれ、大学を卒業したのちに美術館で働き、修被告との結婚翌年に瑠奈被告を出産。その後はおもに専業主婦として生活していた。事件の少し前からアルバイトを始めたそうだが膝を骨折し、事件当時は休職中だったという。

 精神科医の夫と無職の娘との3人暮らしは、それなりに安定した幸せなもののように思えるが、実際のところ、平穏とはかけ離れた家庭だったようだ。検察官が冒頭陳述で“瑠奈ファースト”と指摘した通り、浩子被告と修被告は「幼少の頃から、叱ることも咎めることもなく瑠奈を溺愛し、成人後も瑠奈の要望を最優先し、望むものを買い与えていた」(検察側冒頭陳述より)という。

“瑠奈ファースト”には際限がなかったようだ。3階建ての自宅は、瑠奈被告の求めに応じて買い与えた物がひしめき合って、足の踏み場もなく、浩子被告は2階リビングのわずかなスペースだけで過ごし、修被告はネットカフェで寝起きしていた。夫婦は瑠奈被告を“お嬢さん”と呼んで敬語を使い、毎日の食事も瑠奈被告の食べたいものを準備していた。

 中学の頃から不登校となり、以降、仕事をせず自宅に住み続けていた瑠奈被告は、自分の持ち物の向きが変わっていた、という些細なことで両親を叱責した。修被告の運転中にもその首を絞めながら叱責し、浩子被告について「売り飛ばせばいい、さっさと売れや」と修被告に告げるなどしていたが、ふたりは娘のそうした振る舞いに怒ることもなく、謝っていた。

<お嬢さんの時間を無駄に使うな。奴隷の立場をわきまえて、無駄なものに金を使うな>

 娘に「お母さん」ではなく「彼女」と呼ばれていた浩子被告は、そんな内容の誓約書を書かされていたという。いっぽう娘に「ドライバーさん」と呼ばれていた修被告は、クラブや怪談バーなどへの娘の送迎を行っていた。家庭において瑠奈被告は「圧倒的上位者」(検察側冒頭陳述より)だったという。

【後編】では、凄惨な“事件”の目を背けたくなるような詳細と、娘の“奴隷”となった実母が味わった悪夢の日々が明らかになる。

高橋ユキ(たかはし・ゆき)
ノンフィクションライター。福岡県出身。2006年『霞っ子クラブ 娘たちの裁判傍聴記』でデビュー。裁判傍聴を中心に事件記事を執筆。著書に『木嶋佳苗劇場』(共著)、『つけびの村 噂が5人を殺したのか?』、『逃げるが勝ち 脱走犯たちの告白』など。

デイリー新潮編集部