DeNA南場智子会長と、ハイセンスジャパン李文麗社長(写真:ハイセンスジャパン提供)

2024年3月4日に日経平均がバブル後最高値を更新したが、生活ベースでの景気回復の実感が薄い。少子化に伴う人口減で、市場縮小や労働力不足への対応も差し迫った課題だ。

経団連副会長も務めるディー・エヌ・エー(DeNA)の南場智子会長と、販売台数世界2位のテレビメーカー「ハイセンス」の日本法人トップを2011年から務め、東芝のテレビ事業を買収して経営再建も指揮したハイセンスジャパンの李文麗社長が、日本企業の競争力やダイバーシティ、女性登用の取り組みについて、自身の体験を交えながら直言した。(前後編の前編)

日本は女性のリーダー層が少ない

――少子高齢化、人手不足も背景に日本はダイバーシティや女性活躍の取り組みを一生懸命やっています。日本航空(JAL)の次期社長にCA出身の女性が昇格するなど、女性トップも増えています。今の潮流をどう見ていますか。

南場:職場における女性の比率って日本は統計的に低くはないんですね。リーダー層にはまだ数が少なくて、そこは課題と言えば課題だとは思います。中国のほうがうんと女性の活躍が目立ちますし、当たり前ですよね。

:中国でも管理職や経営者は男性のほうが多いです。実際、ハイセンスは海外法人が60以上ありますが、女性トップは私が初めてですし、全体でも2人だけです。ただ、昇進意欲が高い女性は多いし、昇進したければ公平に機会が与えられます。

私は2011年に来日しました。日本企業とのお付き合いの中で、たしかに職場の男女比はそう違わないけど、電話を取るとか、受け付けとか、女性の仕事の幅が限られている印象を受けました。

南場:私は(組織において)必ずしも女性が50%でなければとは思っていません。たとえば子どもを産んだ後に夫婦で平等に話し合いをして、お母さんのほうが家で子どもを見たいということが結果として多くなっているということもあるかもしれません。

ただ社会的なプレッシャーでそうなるっていう要素をゼロにして、個々人の生きたいような生き方を選択するうえで障害がないというのが重要だと思います。個人が自由意志で、何も我慢せずに選べる社会になればいいと思っています。


南場智子(なんばともこ)/1986年、マッキンゼー・アンド・カンパニーに入社。1990年、ハーバード・ビジネス・スクールにてMBAを取得し、1996年、マッキンゼーでパートナー(役員)に就任。1999年に株式会社ディー・エヌ・エーを設立し、現在は代表取締役会長を務める。2015年より横浜DeNAベイスターズオーナー。2019年デライト・ベンチャーズ創業、マネージングパートナー就任。著書に「不格好経営」(写真:ハイセンスジャパン提供)

私自身は女性だということで苦労したことがないので知らなかったんですけど、日本が選びたい生き方を選べる社会になっているわけではないと、最近聞くようになりました。そこに関しては経営者として、性別や国籍で与えられるチャンスが違うと感じる人をなくす。そういう会社を自らつくっていきたい。

子どもに対する支援を国がもっとすべき

――自由意志で選んでくださいというと、管理職を積極的に選ぶ女性は多くない気がします。李社長も、「日本の女性は昇進したくない」という印象をお持ちのようです。

:日本は女性が昇進できない時代が長かったので、もはや文化になっているように見えます。中国は数十年前まで貧しかったので、夫婦でお金を稼いで豊かになろうという考えでした。結婚して、子どもを産んで、そこで仕事を辞める「寿退社」という発想は昔からなかった。

たぶん日本は違いますよね。会社に入って一生懸命頑張ってリーダーを目指すより、いい男性と結婚して、家庭で自分の役割を果たしたいと考える女性が結構多い。質の高い教育を受け、大学にも通っているのになぜ?と最初は感じました。

中国に比べて母親が子どもを見る時間が長いし、それが女性の昇進に影響しているとも思います。育った環境の影響があって文化として定着しているので、変えるのは時間がかかる。

保育園や預かり保育の整備、子どもの面倒を見てくれる祖父母への支援、また、ベビーシッター、家政婦利用の補助など国がもっとサポートすべきと思います。

――中国は上昇志向で昇進への意欲を主張する女性が多いと感じます。それも文化ですか。

:中国は一人っ子政策が長く、一つの家庭にこの子しかいない。そういう状況なので、男女関係なく、一人の子に教育を受けさせて、仕事も思う存分やってほしい。そんな社会なので待遇に男女差が出にくいということはあります。

私も社長として能力のある女性社員を昇進させたい。社内では「女性だって社長を目指せるんだよ」と話していますし、女性が上を目指しやすい環境はつくるべきです。

ただ、南場会長と同じく管理職の数値目標設定には賛成できません。数値ありきだと適性のない人を登用し、男性が不公平感を感じるかもしれません。女性自身もやりたくないのにやらされたら居づらいですよね。

なぜ管理職になりたい女性が少ないのか

南場:おっしゃっている通りだと思います 。今そんなに管理職になりたくない人になりたいと思いなさいっていうのは違うし、無理がある。男性もそうですよ。やりたくない人に、やりたいと思いなさいっていうのも。

DeNAでの管理職は役割にすぎないので、上下関係がないものですから、マネジメントに関心がある人もいれば、エキスパートとして優秀という人もいる。全員にマネジメントをやりたいと思えというのも無理があります。

でも、なぜ管理職になりたい女性が少ないかという原因を遡ると、どこかで社会的なバイアスを受けて育っている可能性がありますよね。

それを取り除いていくことのほうが重要で、やりたくないという状態なのに数を合わせることを優先するとひずみが大きくなります。

:教育も関係があると感じます。私の印象ですが、日本の小学校は競争を奨励しませんよね。そうすると社会に出てからマネジメントしたいとか、競争したいとなかなか思わないでしょうね。

――南場会長は女性であることで苦労を感じたことがないとおっしゃっていますが、今の40代くらいの女性までは、例えば学校の成績がよかったときに「女にしておくのはもったいない」とか、「女が勉強できても仕方ない」と言われることが多かったです。

南場:たしかに何をやったらほめられるかっていうのは子どものときは男女でだいぶ違ったかもしれないですね。

私の場合は(若いときに)抑えつけられていた分、自由に対する欲望が強く残りました。だから、やりたいことをやらせてもらえなかったというのが、逆にばねになったところはあります。

今は自由に選べる時代だと思っていますが、抑えつけられているうちに、欲望を忘れちゃったり、自分のやりたいことを修正しちゃったり、ハングリーさを失う人は何割かはいたかもしれないですね。

――制限がない社会になってほしいのはもちろんですが、男女問わず、長い間働くうえでさまざまな事情で全力疾走できないことは起こりえます。そういう経験はありますか。そのときどう調整したのでしょうか。

:私は1995年に新卒でハイセンスに入社しました。ハイセンスはその数年後に海外進出を始め、海外ポストは空きだらけでした。私は世界を見たいという気持ちが強くて、手を挙げてアメリカ、オーストラリア、ベルギーに赴任しました。

その後本社に戻って出産しましたが、娘が2歳のときに日本に法人をつくるから社長にならないかと打診されました。テレビ市場がアナログからデジタルへの移行期で、1000万台の市場をゼロから開拓できるよと言われて、「絶対やりたい」と思いました。


李文麗(りぶんれい)/1972年生まれ、中国・青島出身。1995年、青島大学電子工学科卒業、Hisense国際有限公司入社。2001年、Hisense USA、2003年、Hisenseオーストラリア、2007年、Hisenseヨーロッパ、2011年、Hisense韓国オフィス、ハイセンスジャパン代表取締役社長・CEOに就任(写真:ハイセンスジャパン提供)

だから家族会議をしまして、自分は海外でもっと上を目指したい、家族に裕福な暮らしをさせるから家庭のことを手伝ってくれないかと相談しました。

兄が高齢の親を、姉が私の子どもをみてくれることになりました。姉は自分の子どもが中学生で手が離れつつあり、私の子をみる余裕があったのが大きかった。姉が手伝ってくれるから私は社長ができています。夫も背中を押してくれました。

夫が賛成しなかったらたぶん日本に来てなかった。そうして最初は日本に単身赴任して、子どもが5歳のときに姉と子どもが日本に来ました。夫も時々日本に来て、こういう環境で子どもを育てられるのは幸せだと喜んでくれた。

(母親が子どもと離れて働くことについて)中国では家族の理解があれば、ほかの人は何も言いませんよ。家族のサポートがあるかどうかは大きいと思いますが。

やりたいことが全てできるわけではない

南場:私は家族の看病で仕事を離れたことがあるんですけど、自分でそうしたいと思いました。私はそんなに我慢をしたことがなくて、仕事を休んだときも、家族の課題に向き合いたいと純粋に思ったんですけど、仮にそうしたくなくても、人としてやらなきゃいけないときもあるかもしれませんね。

さっき自分で選択ができることが重要だと言ったけれども、必ずしも自分のやりたいことが全部できるわけじゃない。生きているとどうしても対処しないといけない差し迫った課題があって、自分のしたいことに没入できないときもある。そういうときは受け入れてやっていくしかないと思います。

――看病で仕事を離れたときはすぱっと決断できましたか。

南場 :だいぶすぱっとやりましたね。気持ちも切り替わりました。

――社業を任せられる人がいたのも大きかったのでは。

南場:いなかったら歯を食いしばってやったかもしれないですし、その状況その状況で我慢しなきゃいけないこともありますよ。

例えばあのとき私は家族に向き合いたかったけど、仕事をどうしても抜けられなかったら、そっちに残ったかもしれないです。でもやりたくないことをやらなきゃいけないって日常茶飯事じゃないですか。

仕事をしたくても洗濯もしなきゃいけないときもあるじゃないですか。これは非常に小さなことだけど、その延長でものすごく大きなことってあるじゃないですか。

本当は犬が死にそうだからずっとそばにいたいのにやっぱり会社行きましたし、それはやっぱり、我慢しなきゃいけないことってありますよ。人間だれだって。

人生で選択肢がないときもある

――ぎりぎりの判断の中で、後悔した経験はありますか。

南場:判断できる状態だったらいいですけど、選択肢がないときもありますよね。ばかばかしい例ですが、家が火事になって、隣の家に燃え移りそうなのに、私デートですって言えないわけで。

選択肢がないときはあるんですよ。本当はこういう生活したいけど、お金が足りないとか、みんなそういうの抱えて生きていると思いますよ。違うかしら。

――南場会長の配偶者が亡くなられたすぐ後に、ウェルク(WELQ)の問題で会見に出られたときのような。

南場:まさにそういうときです。もうどうしようもないことってあります、人間は。

自分の両親の介護の問題があるときに、夫の両親も具合悪くなって。そんなタイミングで管理職になっちゃった。全部は無理って。それは人として選択しなければいけないときもありますよ。

昇進が遅れても、親の面倒をみたいとか、みないといけないとか。せっかくチャンスが訪れたから、経済的に豊かであれば(親を)別の人に見てもらってチャンスを取ることもできるけど、そんなにうまくいかないこともある。

――一度レールを外れても、追いつける社会だったらいいですよね。

南場:そう、1回パスを外れたらもう駄目とか、そういう社会はよくないですね。そしてそういうのが性別によって起こるのがよくない。男性だって起きていますよ。

脂が乗ってきて、希望していた海外プロジェクトに行けるってときに、家族が病気になっちゃうとか。連れて行けないとか自分が行けないとか、全部取ることができない。

問題はジェンダーが理由で諦めないといけない、チャンスが少ないってのは成熟した社会ではあってはいけないということだと思います。

――李さんは、家族の後押しを得て海外で社長をされているわけですが、日本で働いているときにご主人が亡くなりました。

:夫は仕事があったので中国で生活していました。そして2019年、46歳のときに心筋梗塞で突然死しました。

その10年前から糖尿病で闘病していたけど、普通に仕事もしていたし、まさかこんなに急に亡くなるとは思わなかった。まったく心の準備ができていませんでした。

夫は何でも話せる唯一無二のパートナーでした。離れて暮らしていたけど、しょっちゅう行き来していたし、会えないときはテレビ電話で毎晩仕事や家族のことを話して、助言をくれたり寄り添ってくれました。

夫が亡くなってからは、精神的にもつらく崩壊寸前でした。10歳の娘は私のこのつらさを全部はわかってくれない。誰もこの苦しさをわかってくれないと追い詰められました。

それでも日々仕事はある。こんな状態では社長の重責を担えないと思い、日本の社長を辞任したいと本社に申し出ました。

人生は山登りのようなものだ

――それで辞められた?

:いえ、今のハイセンスグループの会長が「仕事をプレッシャーに感じることはない。成果を上げようと頑張らなくていいから」と引き留めてくれて、その後も気にかけてくれました。

私も日本が大好きで、日本を離れたいとは思っていなかったので、少し気が楽になって、そこから運動をしたり、娘が大きくなって私の気持ちを理解してくれるようになり、最近ようやく生きていることの幸せを感じられるようになりました。

仕事の能力に男女差や国籍の差はないですが、管理職や企業のトップを目指す道のりで家庭や個人の事情と板挟みになることはあります。

人生って山登りのようなもので、途中でもう登れないとくじけそうになっても、家族や同僚、日本の取引先など周囲の人々に支えてもらって、私は降りなかったから新しい景色を見て「登り続けてよかった」と思う日が来た。夫の話もこうしてできるようになりました。

人の潜在能力は無限だと思っています。自分に制限をかけなかったら、新しい景色を見られると信じています。

(後編に続く)

後編は3月15日に配信予定です

(浦上 早苗 : 経済ジャーナリスト)