英のEU離脱問題 離脱派が大規模集会(撮影:2019年)(写真:Alamy/アフロ)

政府統計や人口調査と聞けば、私たちはつい「信頼できるもの」だと思い込んでしまう。しかし、その内実は驚くほどのドタバタ劇に満ちている。イギリスでは2011年の国勢調査で、約50万人の移民が見落とされていたという驚愕の事実が判明した。その衝撃は、「人の自由な移動を認めるEUからイギリスは離脱すべきだ」という世論に火をつけ、2016年のブレグジットの国民投票へと繋がっていった。いったいなぜ、「入国してくる移民を丸ごと見落としてしまう」というような、あまりにもお粗末な事態が生じることになってしまったのだろうか。統計学者のジョージナ・スタージ氏が上梓した『ヤバい統計』から一部を抜粋して紹介する。

移民たちが丸ごと見落とされていた

「英国の人口が推測よりも50万人以上多い」という、2011年の国勢調査前の10年間で生じたずれでは、いくつかの移入民の集団が、丸ごとすっかり見落とされていた。

この事態を説明するには、2003年秋のハンガリーに時間を戻さなければならない。

ビジネスマンのヨージェフ・ヴァーラディは、自身の運を好転させなければならなかった。というのも、彼は不振にあえぐマレーヴ・ハンガリー航空のCEOを辞職したばかりだったのだ。

新規のビジネスに挑戦したかったヴァーラディは、余計なサービスを省いた格安航空会社「ウィズエアー」を共同で創業した。このビジネスモデルの有効性は、英国のイージージェットやアイルランドのライアンエアーといった同業他社によって実証ずみだった。要は、旅はしたいが、余計なサービスのために大金を払いたくない人が大勢いるということだ。

しかも、場合によっては10ポンド(約1900円)未満でチケットが買えることを考えれば、ルートンやリーズといった、ヒースロー空港(注:ロンドン西部にある英国最大の空港)よりも華やかさに欠ける地方空港から出発することはなんの問題もなかった。

そもそも、免税価格で香りつきのウォッカや、ひどく高いサングラスを買おうかどうか迷いながらヒースローで2時間過ごすのを、心から楽しんでいる人などいるのだろうか?

また、このタイミングでの業界参入にも、きわめて大きな意味があった。2003年4月に行われた、ハンガリーのEU加盟の是非を問う国民投票では、賛成票が83%だった。そうしてハンガリーの人々は、ヨーロッパ大陸のどこにでも住んで働ける自由を、翌年からほぼ無条件で手に入れられることになった。

2004年にEUに加わった国は、ハンガリーだけではない。東欧諸国では、チェコ、エストニア、ラトビア、リトアニア、ポーランド、スロバキア、スロベニアも同年に加盟した。この8カ国は「グループ8」または「新規加盟8カ国(A8)」と呼ばれ、当時の総人口はおよそ7300万人。

これらの国の人々が強い関心を抱いていたのは、ルートンまで週末旅行に出かけることではなかった。彼らは英国への移住を視野に入れていた。

見落とされていた「地方空港」からの入国者

EU拡大に向けて、英国政府はこれらの国から英国への移入民は毎年どれくらいになるのかを予測するよう専門家に依頼した。そうして得られた回答は、「5000人から1万3000人ぐらいと予想される」だった。

だが、実際にやってきた人数はこの予測の20倍以上であり、とりわけ多かったのはポーランド人だった。2001年の国勢調査では、英国在住のポーランド出身者の数は5万8000人。それが2011年には67万6000人にまで増えていた。

予測は大幅に外れ、英国は突如として、東ヨーロッパの人々に最も人気の高い移住先となった。ウィズエアーはルートン、スタンステッド、バーミンガム、ドンカスター・シェフィールドへの新規路線を開設し、イージージェットとライアンエアーもあとに続いた。

これは英国国家統計局にとって大問題となった。基本的に、国際旅客調査(注:この調査で移民も含めた入国者の数が調べられていた)での標本の「母集団」となるのは、英国に出入りするすべての人だ。

そして、好都合にも国の大半が1つの島に収まっていることから、出入国時に必ず通らなければならない出入国管理所の数は限られていて、国を出入りする人の流れがどこで起きているかを正確に捉えやすかった。

国際旅客調査が進められるにあたり、英国に移り住んで働く人(それにもちろん観光で訪れる人も)の大半は、この国の「主要空港」であるヒースロー、ガトウィック、マンチェスターに降り立つはずだとみなされた。

そのため、2000年代半ばに東ヨーロッパからの到着便が大幅に増加した小規模な地方空港においては、2009年以前は調査がまったく行われていなかったか、あるいはごく一部でしか実施されていなかった。

つまり、何十万人もの入国者が見落とされ、推定値を出すためのデータにまったく含まれていなかったのだ。

スープの塩加減を確認するときは、鍋からスプーンで1杯だけすくって味見をすればいい。英国の出入国管理所が全国に1つしかなかったら、そこで標本を抽出して移入民の数を推測するのは、スープを1つの鍋からスプーン1杯だけすくうのと同じぐらい簡単な話になるだろう。

揺らいでしまった統計調査への信頼

だが実際は、英国には公認の出入国管理所が、113の主要施設も含めて少なくとも270ある。要は、量も塩加減もそれぞれ異なるスープが入った、270の鍋がいっせいに火にかかっているようなものだ。統計職員がこのすべての鍋から味見をするのは無理な話だ。それゆえ、各空港に到着する人数の割合を事前に推測しなければならない。

ヒースローとガトウィックに入る人が圧倒的に多いはずだと考えた統計職員たちは、それらの空港で集中して調査することにした。昔は、ポーランドのポズナンからドンカスター・シェフィールド空港に人々が大挙して押し寄せることはなかった。そのため、統計職員たちは同空港には調査員を1人も配置していなかった。

だがその後、まさにそうした大移動が始まったことで困った事態に陥った。さらに、「A8圏からの新たな移入民の数は、英国への移入民の総数にほとんど影響を及ぼさない」と予測されていたにもかかわらず、まったくの見当違いだったという問題も起きた。

そんなわけで、2007年にブルガリアとルーマニアがEUに加盟した際、両国からの移入民の数の予測に英国政府がきわめて慎重だったのもうなずける。

それは、両国に対する移民制限が廃止された2014年の時点で副首相を務めていたニック・クレッグの、「私たち政府は、安易な予測を触れ回るべきではない。曖昧な推測は、移民制度に対する国民の信頼を損なってしまう恐れがある」という発言にもはっきりと表れていた。

また、一部の政界関係者は、例の予測が大幅に外れた原因は「前の労働党政権の怠慢のせい」だとした。下院公共業務精査委員会は、国際旅客調査を「当てずっぽうよりも少しましなだけ」「要領の悪い手法」と評した。

「EU離脱の是非を問う国民投票」案が現実となった2016年においても、推定値の精度はたいして向上していなかった。

国の統計部門の最高執行責任者である国家統計官を務めるジョン・プリンガーは、下院特別委員会で次のように尋ねられた。

「私たちは移住者について正確に把握できていない、ということでしょうか。つまり、この国にやってくる人、この国で働いている人、この国に定住する人、この国を去る人についての情報がないということですか?」。

プリンガーはおおむねそのとおりだと答えるしかなく、精度があまり向上していないことについても認めざるをえなかった。

人々に大きな不安を抱かせた


統計データは客観的で確かなものだと思われがちだ。だが、移住者の数が従来の推定値よりもはるかに多かった事実が国勢調査によって明らかになったことによって、数字の確かさに対する信頼は揺らいでしまった。そして、この衝撃のあとには不安が沸き起こった。

多くの人にとって、「この国はやってくる人を正しく数えられていない」と思えるこの状況は、移民問題自体が手に負えなくなっている証拠のように見えた。人というのは、あることについてのデータがあると、なんらかの権力を与えられた気になる。一方、なんのデータもないと、世の中が大混乱していると思ってしまうのだ。

※各国の通貨は、国際通貨基金(IMF)のデータをもとに、可能な限り、当時の為替レートで円に換算して( )で記しています。

(ジョージナ・スタージ : 統計学者(英国議会・下院図書館所属))
(尼丁 千津子 : 英語翻訳者)