「食えなかった期間が長いからだと思いますけど、『急に、食えなくなるんじゃないか?』とか変に考えちゃって、眠れなくなる日がありますね」と語るはやせさん(筆者撮影)

これまでにないジャンルに根を張って、長年自営で生活している人や組織を経営している人がいる。「会社員ではない」彼ら彼女らはどのように生計を立てているのか。自分で敷いたレールの上にあるマネタイズ方法が知りたい。特殊分野で自営を続けるライター・村田らむが神髄を紡ぐ連載の第114回。(前半はこちら

怪奇ユニット「都市ボーイズ」のメンバーであるはやせやすひろさん(35)。

タレント養成所「ワタナベコメディスクール」内の「作家企画専攻」コースで、後にユニットを組むことになる、放送作家仲間の岸本誠さんと知り合った。

卒業後、制作会社の手伝いをすることになったが、はやせさんとの付き合いは続いていった。

彼女の貯金を取り崩しながら生活


「僕はガキ使の時の精神的ダメージがかなり残っていてアルバイトができなくなってました。フリーランスとして仕事を取っていたんですけど、人と接する時はつい、『この人も殴ってくるんちゃうか?』とか思っちゃってパニックになったり。そもそも苦手だった対人関係も、ますます苦手になってしまいました。

がんばって行こうとしても、『●●駅集合です』って言われて、その駅に近づくとパニックになってきて、電車を降りて吐いてしまう……とか」

職場に行けなくなるたび、彼女に、

「彼の具合が悪くなったので、行けなくなりました」

と電話をかけてもらった。

なかなか仕事に行けず、月平均4万円くらいの収入しかなかった。足りないぶんは、彼女に払ってもらっていた。彼女は高校時代から貯めていた貯金を取り崩しながら、生活していた。

「そこでまた調子に乗っちゃったんですよね。『この子がお金出してくれるからいいか』みたいに思っちゃって。彼女のお金でオカルトの取材を始めるんです。中には韓国のチェジュ島など、かなり遠出をしたこともありました。2人で行って、飯代もホテル代も全部出してもらいました。結構、ヒモっぽい生活していましたね。

他にも、お義父さんやおばあちゃんにもらったお金も、全部取材につぎこんじゃいました。お義父さんは『借金を返すために』って貸してくれたので、1カ月で使ってしまったと告白したらすごい顔をして『そりゃ、使っちゃうよなあ……』って言われました。

端的に言えばクズだと思います。

当時、そんな不義理をしたのに未だに応援してくれていて本当にありがたいです」

その時代の取材の様子が、初の著書である『闇に染まりし、闇を祓う』では存分に描かれている。現地に赴いての、現場主義的な取材方法は評価も高い。書籍も発売してすぐに話題になった。

……が、それは現在の話だ。当時はただただ彼女の貯金をすり減らしていく日々だった。

岸本さんと“都市ボーイズ”を結成

この頃、同級生3人でトリオを組み、

「配信とかしてみないか?」

と話を持ちかけた。当時は3人ともまだTVの裏方の仕事をしている時代。打ち合わせなどで耳に入った“不思議な話”などをアウトプットできないだろうか?と模索していた。

結果的に1人が抜けることになり、はやせさんと岸本さんで“都市ボーイズ”を結成した。


オカルトコレクター田中俊行さんと開催した『祝祭の呪物展』はのべ1万人以上が訪れる大人気イベントになっている(はやせさん提供)

「僕と岸本さんでポッドキャストの配信をしようということになりました。名前の“都市ボーイズ”は、2人共芸人“シティーボーイズ”が好きだったのと、“都市伝説”が好きだったから、です」

「陰謀論」「奇祭」「業界の裏話」「気持ち悪い話」など毎週配信していくうちに人気は上がっていった。

「憧れだった伊集院光さんの番組と並んで表示されるようになってとても嬉しかったりしたんですが……。ただ、ポッドキャストって収益化はできないんですよ」

忙しさは増えたものの、収入は増えなかった。結局、相変わらず彼女に養ってもらっている状態だった。

「ある月末の夜、物音で目が醒めたんです。見ると、真っ暗い部屋で彼女が通帳見ながら泣いてたんです。『どうしたの?』って聞いたら『お金がなくて、今後食べていけるかわからない』って言うんです。僕はアホやから『黙って寝ろや』とか言っちゃったんだけど、僕も布団の中で泣いてました。『もうどこにも行けないんだ。もう働くしかないんだ』って思って……」

正直、岡山に帰りたいという気持ちがわくこともあった。

はやせさんは3人兄弟で、下に2人の弟がいた。2人共、「TVの仕事をします」と言って家を出たはやせさんに憧れて東京に出てきた。2人共、優秀ですぐに人気番組のスタッフや、カメラマンになったが、仕事が厳しいと岡山に帰ってしまった。

「なんか勝手に2人に夢を託される感じになっちゃって。『お兄ちゃんは東京でがんばって帰ってこないでね』って。僕もボロボロで帰りたい時期はあったんですけど、我慢して東京で踏ん張りました」

テレビ業界で、月に数万円は仕事をしていたが、環境は良くなかった。パニック症状は悪化し、体調も芳しくない。

彼女に「もう辞めて普通に働こうかな?」と相談した

「僕はテレビ業界で働くのは向いていないかもしれない」

と思うようになってきた。

「2015年くらいに、彼女に『もう辞めて普通に働こうかな?』と相談しました。すると『私はずっとあなたを応援してきたのにこんな所でやめてほしくない』って言われました」


(はやせさん提供)

数日後、彼女は携帯電話を見せてきた。画面には、オカルト番組の賞レースの企画が写っていた。

「あなたオカルト好きなんでしょ? だったらこの大会に参加して。それでもし勝ったら、一生オカルトを続けて。もし負けたら、今後の人生は私のためだけに生きて。今まで、私はあなたのために生きてきたんだから」

と彼女は言った。

「携帯電話に写っていたのは『オカルトスター誕生』という大会でした。彼女に言われるまま出場しまして、運良く優勝することができました。優勝の報告を受けたのは、2人でディズニーランドに遊びに行った日で、いつも通り彼女のお金で遊んでるにもかかわらず、『朝から歩き回って足が疲れたから、エレクトリカルパレードは見ずに帰りたい!!』って僕がわがまま言っているタイミングでした。優勝を知って、周りの目も気にせず、2人で大声上げて喜んだのを覚えています」

優勝した特典で「緊急検証!」という番組に出演することができた。昔から、はやせさんが憧れていた山口敏太郎さんに会うこともできた。番組出演をきっかけに、山口さんに誘われてタートルカンパニーに所属することになった。

「それでまた調子に乗ってしまいました。『優勝したし大丈夫だろう!!』って、彼女と結婚しました。なんと言っても優勝だし、食えるだろうって。でも、別に優勝したからと言って収入はさして増えませんでした。月4万円が月7万円になった程度でした。

タートルカンパニーは社員ではなく“オカルトに詳しいタレント”として所属していました。山口さんはすごく面倒見てくれたし、オーディションを振ってくれたりしたんですけど、なかなかメディアからお呼びはかからず。出演が少ないので、当然お金も入ってきませんでした。

その後、『稲川淳二の怪談ナイト』の2017年、2019年と優勝するんですけど、それでもまだ食えないんです。怪談やオカルトで飯を食うのってこんなに難しいんだって思い知りました」

相変わらず彼女は、朝から晩まで働いていた。その様子を見ていて、はやせさんは「俺みたいなヤツをなんで捨てないんだろう? ちゃんとした彼氏を見つけたら、生活もずっと楽になるのに」と思った。

「それまでずっと自己中心的だったんですけど、その時初めて彼女のことが気になって、『なんで俺を捨てないの?』って聞いてみたんです。そしたら彼女は、『絶対に当たる宝くじを、捨てるわけないでしょ?』って言い切ったんです。それを聞いて、絶対に俺はこの子を食べさせなきゃいけないって思いました。それでYouTubeをはじめることにしました。

実は前から岸本さんには『YouTubeはじめないか?』って誘われてたんですけど、僕が編集するの面倒くさいって渋ってたんです。それで改めてこちらから頭下げて、やらせてほしいってお願いしました」

2019年、YouTubeチャンネル「都市ボーイズ」を開始した。

最初はなかなかうまくいかなかった。収益化のハードルをなかなか超えることができなかったし、やっと超えても収益は1カ月に1万〜2万円と微々たるものだった。

「これはまずいぞ、って思っている時に、島田秀平さんのチャンネル『島田秀平のお怪談巡り』にゲストに呼んでもらいました」

人気チャンネルに出演すると、一気に知名度が上がった。オカルトを好きな人たちが、流入してきた形になった。


(筆者撮影)

そしてちょうどその頃、世界的にコロナが大流行。在宅時間が増え、YouTubeの視聴時間が大幅に増えた。

「1カ月でチャンネル登録者数がドーンと跳ね上がる感じでした。視聴回数も増え、それでやっと食べられるようになりました。

ずっと彼女に食べさせてもらってましたけど、それだけでは無理で借金もしていました。借金を全て返せたのが2021年です。ついこないだです。それでやっと、奥さんにアルバイトを辞めてもらうことができました」

傍から見ている人に、はやせさんは、

「あっという間に人気が出て、すぐに稼げるようになった人」

と思われることがあるという。ラッキーボーイと思われて、嫉妬されることもある。

「いやもう全然ですよ!! 奥さんにも『アルバイト辞めてもいいけど、いつまた食えなくなるかもわからないから体は温めといて』って言ってあります。食えない時期が長すぎたし、借金もあったし、今でも全然安心感はないです」


笑顔で「食えなかった時期」を振り返るはやせさん(筆者撮影)

今もずっと怖い。「食えなくなるんじゃないか?」と

現在は、週に10本ほど動画や音源をアップしているという。そのうち、7本をはやせさんが編集し、3本を知人に編集してもらっているという。

「1本編集するのに6〜7時間かかりますね。長い動画だと、10時間くらいかかるものもあります。もちろん取材にも時間がかかっています。なので、旅行をしていても夜はホテルで動画の編集をするということもあります。打ち上げとか行けなくて、申し訳なかったり、寂しかったりすることもあるんですけど。やっぱり、僕が個人的に交渉して聞かせてもらった話は、僕が責任持って編集したいんですよね」

YouTubeやイベントは顔を出す商売だから、炎上やバッシングのリスクもある。はやせさんも昨年は、取材のミスから炎上したこともあった。そこらへんに不安は感じないのだろうか?

「実はYouTubeやSNS内で起きた出来事は全然気にならないんですよ。何言われても平気だし、傷つくこともありません。炎上した際も、早々に関係者に連絡して、謝罪をしました。反省はしましたけど、落ち込んだり、後悔したり、というのはなかったですね。

動画のビュー数とかも基本的には興味がないですね。最初はチェックしていましたけど、今はサッと確認する程度ですね。

ただ、やっぱり今もずっと怖いです。食えなかった期間が長いからだと思いますけど、『急に、食えなくなるんじゃないか?』とか変に考えちゃって、眠れなくなる日がありますね」

YouTubeの人気が上がると、イベントでの集客も増えた。コロナ禍以降は、イベントは会場チケット以外に配信チケットが販売されるケースが増えたが、その売り上げも高い。


(筆者撮影)

また、はやせさんは呪物(超常的な呪力を持つと言われる物)を集めるコレクターとして知られ、同じくコレクターの田中俊行さんと「祝祭の呪物展」を開催している。著者も足を運んだのだが、外までずらりと長い行列が出来ていて、人気のほどがうかがえた。会場ではグッズもとてもよく売れていた。

「僕らYouTubeではスーパーチャット(YouTube内の投げ銭機能)を受け付けてないんです。『お金は自分のために使ってください』って言ってて。だから、『何か援助したい』と思ってる人たちが、グッズを買ってくれたり、イベントに来てくれたりしてくれるんじゃないかな?と思ってます」


(はやせさん提供)

「本当に出会った人たちのおかげ」

初の著書になる『闇に染まりし、闇を祓う』も好評だ。タイトルの意味は
「闇を取材しているうちに、いつのまにか闇に染まってしまう」というはやせさん自身のことだと言う。はやせさんが取材することで相手の闇は祓われるかもしれないが、はやせさん自身は闇に染まっていく。

これまでに現地に足を運んで取材した、6つのホラー事件簿が詳細に描かれている。

「僕自身がすごいとは本当に思わないですね。本当に出会った人たちのおかげです。売れるまで支えてくれた奥さん、一緒にコンビを続けてくれる岸本さん。その他おおぜいのおかげで、なんとかがんばれてると思います。

この本にしても、編集さんや、文章を描いてくださった編集さん。表紙のイラストを描いてくださった、伊藤潤二さん、石黒亜矢子さん。取材の過程で話を聞かせてくれた人たちのおかげで読まれていると思います。ありがとうございました」

はやせさんにはこれからも、怪異ハンターとして、呪物コレクターとして、そして都市ボーイズのメンバーとして幅広い活躍を続けてほしいと思った。


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(村田 らむ : ライター、漫画家、カメラマン、イラストレーター)