「伸びる銘柄が知りたい」という場合、どういった情報を注視すればいいのでしょうか(写真:makaron*/PIXTA)

投資をしている方の多くに共通するのは、「伸びる銘柄が知りたい」「これから大化けする可能性のある株を正しく見極めたい」という思いのはずです。しかし、予想に反して株価が伸び悩んだり、大きく下がってしまったという経験があるかもしれません。

それは、ターゲットにしている業界や市場の選定方法そのものが間違っているからかもしれません。“会社四季報の達人”として知られ、2023年12月をもって105冊の会社四季報を読破した渡部清二氏による最新刊『プロ投資家の先を読む思考法』より一部抜粋・再構成のうえ、市場の先読みに活かせる最重要知識について見ていきましょう。

日本の産業の規模感を知ろう

2023年6月末時点では、世界の時価総額のうち日本は世界3位。5.9兆ドルで、全体の5.6%を占めています。

では、その世界3位の日本の株式市場には、どんな産業がどれくらいの事業規模で存在しているのでしょうか?

まずは、日本の株式市場に上場している業種別の規模感を見ていきましょう。産業の分類は、経済産業省によるものと東洋経済新報社が発行している『会社四季報』では異なりますが、この本には上場企業を対象とした各産業への理解を深めるという目的があるため、『会社四季報』の分類である東証33業種に従ってご説明していきます。

『会社四季報』の巻頭ページには毎号、「業種別業績展望」というページがあります。これがとてもわかりやすいので、ぜひ一度見てみてください。以下、この記事で取り上げる売上や営業利益などの業績は、すべて『会社四季報』2023年秋号に掲載されているものを使用します。

『四季報』の読み方

『会社四季報』では日本の産業を製造業と非製造業、別枠で金融の3つに大きく分類しています。その売上高の比率は製造業が49%、非製造業が43.4%、残り7.6%が金融業です。売上高自体だけを見ると、非製造業の卸売業がいちばん大きくて約123.7兆円近くです。

ところが、売上に対して本業による儲けであるところの営業利益は、4兆7852億円とそれほどでもありません。というのも、仕入れて販売するため売上の規模は大きくなりますが、本当の付加価値(利益)は「売上・仕入れ」の差額ということで小さくなるわけです。

小売業も同様の理由で、売上に比べて本来の付加価値はそう大きくありません。

非製造業の営業利益でいちばん大きいのは、情報・通信業の7兆0822億円ですが、この数字を鵜吞みにはできません。

というのも、ソフトバンクグループのベンチャー投資のビジョンファンドの運用成績によって、兆単位で営業利益の数字が上下にぶれてしまうからです。非製造業のこうしたもろもろを割り引いて考えると、日本は非製造業ではなく、製造業で成り立っている国ということがご理解いただけるのではないでしょうか。

製造業のうち、特に中心的な存在として日本を支えている業種を見ていきましょう。売上トップ3は、1位が輸送用機器(自動車)の約121兆円、2位が電気機器の約91兆円、3位が化学の約46兆円です。

では、本業で稼いでいる金額がわかる営業利益はというと、1位が輸送用機器の8兆6616億円、2位が電気機器の7兆8324億円、3位が機械の3兆6769億円となります。

これで日本経済に大きな影響を与える業種がわかりました。

しかし、これだけでは横断的な知識を得られただけにすぎません。現実の社会では、さまざまな業種が複合的に絡み合った結果、消費者にサービスという形で届けられます。個別の業種の数字を見るだけでは、そうした実態は見えてきません。

たとえば、金融は資金調達という点でどの業種にも関わってきますし、商社は材料調達で多くの業種に関わります。横断的知識ではなく、実態に即した産業構造は、企業の事業活動を価値創造のための一連の流れとしてとらえる「バリューチェーン」という考え方をするとわかりやすくなります。

産業のバリューチェーンの考え方を知ろう

この考え方を提唱したのはアメリカの経済学者マイケル・ポーター氏で、「バリュー=価値」「チェーン=連鎖」であるところから、日本語では「価値連鎖」と訳されます。企業の事業活動は、原材料の調達から製造、流通、販売、さらにはアフターサービスまで多岐にわたります。

それぞれの事業活動がさまざまな役割を担い、価値を創出しているわけですが、こうして生み出された付加価値は、個々の事業活動が生み出した価値を単純に足し算したものではありません。それぞれが複雑に絡み合って生み出された連鎖(=チェーン)による価値(=バリュー)というのが、バリューチェーンの考え方です。

次の「産業の構造(バリューチェーン)のイメージ図」を参照してください。まず、原材料を原産国から輸入したものが素材メーカーに流れていきます。そこではたとえば鉄板や鉄骨になったり、化学製品を作るための基礎製品になったりします。これらが部品メーカーや、製品製造のための機械製造、もしくは加工・組み立てを担う工場に流れていき、小売を通じて消費者に届けられます。


日本の場合、これらの過程のほぼすべてに卸売が入っており、この図はそこまでの一連の流れに卸売や物流、そして金融が関わっているということを示しています。これがバリューチェーンの考え方です。

消費者のところに来る前の段階まではすべてBtoB(企業間取引)なので、私たちの目には見えていませんが、こうした構造になっています。日本では、BtoBの間には専門商社と呼ばれる商社があり、ほぼすべての工程に関わってきます。これらすべてをお金の面から支えているインフラが、金融というわけです。

どの業種・どの会社もお金を調達したり借りたりしなければなりませんし、資金調達のために株を発行したりすることもあるでしょう。保険をかけて損害に備える必要もあります。またリース会社から機械を借りるなど、あらゆるところに金融が関わってきます。

さらに、大枠として社会インフラというのもあります。陸運での流通には道路が必要ですし、道路には信号がつきものです。もっと基本的なことでいえば、通信が使えないとビジネスが成立しません。電気がなければ回っていかないという現実があります。建設や通信、電気、ガスに始まり、警察、役所などの公共インフラも日本の産業を支えているのです。

こうして産業社会を俯瞰して見ていく習慣を身につけると、どこに投資するのが自分にとって適切なのかを理解する手がかりになります。

投資先の選定はきわめて重要です。たとえば、あなたが20年後を投資のゴールにしたいと考えていたとしましょう。ということはつまり、あなたがこれから投資先として選ぶ会社は20年間存続することを前提条件としなければいけないことになります。株式市場は常にさまざまな要因で変化しているので、あなたの保有する銘柄がずっと右肩上がりで、業績と株価がともに上がり続ける可能性は0に近いでしょう。

業績が悪い時期があるのはやむを得ませんが、最低限、あなたが掲げる投資のゴールまでその会社が存在しなければ、投資する意味がなくなってしまいます。もっとも株式投資をするのに、1社に全財産を投資するような人はいません。分散投資が基本ですから、複数社の株式を持つことになるでしょう。

でも投資先を20銘柄に分散したとしても、20年後にはそのうちの10社が倒産などでなくなっていたということがあってはならないわけです。大切なのは、時代を作るような「ど真ん中の産業」がどの業界なのかを見極め、そこから投資先を決めていくことです。

なぜ渋沢栄一は一時代を築くことができたのか

歴史に名を残すような資本家はみな、この「ど真ん中の産業」の、それこそど真ん中に存在していました。だからこそ成功を手にできたのですね。

たとえば日本で初めて銀行を設立し、500以上の企業の設立・運営に関わり「日本資本主義の父」と呼ばれる渋沢栄一氏(以下、渋沢と表記します)は、養蚕を営む農家の出身です。

1840(天保11)年生まれの渋沢は、家業であった畑作や当時のポピュラーな染料であった藍玉の製造・販売、養蚕などを手伝いながら、学問にも励みました。ここが大きなポイントです。

横浜の税関に残されている明治時代の輸出の統計データをひもとくと、面白いことがわかります。1870(明治3)年の輸出データでは、生糸や蚕の卵が付着した蚕卵紙など、蚕糸関係が70%を占めているのです。

つまり当時の生糸というのは、今でいうトヨタ自動車くらいのインパクトがある産業だったわけです。当時の生糸生産のトップランナーは、群馬県に渋沢が設立した富岡製糸場でした(渋沢は設置主要人物5人のうちの1人)。

渋沢は実家が養蚕業を営んでいたので、日本が世界と勝負できるのはこれだ!と確信を持っていたのでしょう。運も味方してくれたと思います。ヨーロッパにおける生糸市場はフランスが独占していたのですが、伝染病によって蚕が激減。そのタイミングで日本が取って代わることになったのです。

渋沢に天賦の才と並々ならぬ努力をする能力があったことは間違いないのですが、日本の資本主義の黎明期に産業のど真ん中にいられたということも、偉業を成し遂げられた大きな要因だったのではないでしょうか。

なお、富岡製糸場が群馬に作られたことは、鉄道の敷設にも影響を与えました。日本で最初に鉄道が通ったのは、1872(明治5)年。新橋と横浜を結ぶ官営鉄道でした。横浜の港に物を運ぶため、交通網の整備は必須だったからです。

養蚕地の群馬県へ向かう鉄道路線の建設は、私鉄の日本鉄道が担いました。1885(明治18)年までに開通した前橋〜赤羽〜品川(のちの高崎線・赤羽線・山手線)は、品川〜横浜間を走る官営鉄道と合わせて、当時の主要輸出商品だった生糸や絹織物の産地と輸出港を結ぶ路線となり、日本の産業発展に大きく貢献しました。

主要産業の変遷をたどる

近代日本を支えたのは生糸に代表される繊維産業ですが、「おごる平家は久しからず」と「平家物語」にもあるように、不変ではいられませんでした。繊維革命とも呼ぶべきイノベーションが起こったのです。

1935年、アメリカの化学メーカーであるデュポン社が、石炭と水と空気から作られるナイロンの合成に成功してしまいます。ナイロンは「鋼鉄よりも強く、クモの糸より細い」をキャッチフレーズに、女性のストッキングに使われるようになりました。高価で破れやすい絹のストッキングにナイロンストッキングが取って代わるのに、そう時間はかかりませんでした。

また同時に、生糸を上回る勢いで綿織物が輸出上位に浮上してきます。

日本で近代的な工業として綿織物業が盛んになったきっかけは、豊田自動織機の創業者である豊田佐吉による1890(明治23)年の人力織機、1896(同29)年の木製動力織機の発明です。すでに日本各地に存在していた様式の紡績工場から良質の綿糸が供給されたこともあって、明治初期には輸入に多く頼っていた綿織物の生産数は急ピッチで上昇します。

このような他の繊維の台頭もあり、日本の主要産業である生糸はナイロンの登場と入れ替わるようにして、1934年以降は輸出額1位から陥落します。繊維の主役は、綿や化学繊維に取って代わられることになったのです。イノベーションが起こった結果、時代が大きく移り変わっていったわけです。

社会が「何かの出現」で変わるタイミングをつかむ

このように、何かが出現することで世の中がガラリと変わる経験を私たちもしてきています。まずは、インターネットの登場です。

とはいえ当時、人々のライフスタイルをひっくり返すほどのものになると、みんながみんな思っていたわけではないでしょう。インターネットにアクセスしやすくなったとはいっても、通信速度はそう速くもなかったですし、当初の認識としては事務作業が便利になったとか通信手段が増えたくらいに考えていた人が多かったと思います。


ところが回線が整備され、つながりやすさが向上し、インターネットショッピングが便利だと多くの人が気づいたころから、インターネットは私たちの生活になくてはならないものになりました。ですから、インターネットの登場時点ではAmazonに投資するのが大正解だったわけです。

インターネットサイトの運営会社やパソコンを製造している会社ではなく、その登場によって世の中をどう変えるサービスが出現するか、その流れにいちばんうまく乗れるのはどの会社か、というところに目をつけることが必要なのです。

私はよく「風が吹けば桶屋が儲かる的な発想が大切」と言っているのですが、これがまさにそうです。Amazonは、世界中の人の買い物の仕方を変えたと言っても過言ではありません。それくらいインパクトのあるサービスを、インターネットを利用して提供し続けているということですね。

ただ、繰り返しになりますが、Amazonが出てきた段階で、ここまでインパクトを与えるものになるとは、おそらく多くの人は考えていませんでした。そこに気づいた人が、Amazonへの投資で利益を手にすることができたということです。

(渡部 清二 : 複眼経済塾 代表取締役塾長)