航空機の安全は、過去の失敗から学ぶ姿勢によって守られている(写真:SatoPhoto/PIXTA)

東京国際空港(羽田空港)で発生したJAL A350型機と海上保安庁DH8C型機の衝突事故。国の運輸安全委員会の調査とは別に警視庁が捜査本部を設置しましたが、航空業界関係者で構成される民間団体「航空安全推進連絡会議」は1月3日、緊急声明を発表しています。
「今般の航空機事故において最も優先されるべきは事故調査であり、決して刑事捜査が優先されるものではないこと、またその調査結果が、再発防止以外に利用されるべきではないことをここに強く表明するものです」(2024年1月2日に東京国際空港で発生した航空機事故に関する緊急声明/航空安全推進連絡会議)
そのような中、SNS上で話題になったのが2016年に発刊されたマシュー・サイド著『失敗の科学』です。
同書によると、ミスを隠蔽したり、犯人探しに注力したりする業界や組織が多い中、航空業界には「失敗から学ぼうとする」文化がある、と言及。
パイロットが正直かつオープンな姿勢で自分のミスと向き合うこと、事故調査のため強い権限を持つ独立の調査機関が存在すること、失敗は特定のパイロットを非難するきっかけにはならないこと、などにより、未然にたくさんの事故を防いでいると述べています。
改めて同書から航空機の事故について取り上げた部分を一部抜粋、再編集し、4回にわたってお届けします。今回は1回目です。

航空安全対策の転機となった事故

1978年12月28日の午後、ユナイテッド航空173便は、ニューヨークのジョン・F・ケネディ国際空港からオレゴン州のポートランド空港に向けて飛び立った。天気は快晴。飛行条件はほぼ完璧だった。

この日はクリスマスの3日後で、181人の乗客の大半は休暇を終えて家に帰る途中だった。コックピットでは、3人のクルーがなごやかに世間話をしていた。マルバーン・マクブルーム機長、ロッド・ビービ副操縦士、フォレスト・メンデンホール航空機関士はいずれも飛行経験の長いベテランで、乗客は何の心配も必要なかった。

機体は巡航高度に達し、順調に目的地のポートランド空港に到着する予定となっていた。17時10分頃、ポートランドの管制から空港への進入許可が出たため、機長はランディング・ギアのレバーを下げた。通常はこれでスムーズに車輪が下りて定位置にロックされる。しかしこのときは「ドン!」という大きな音とともに機体がガタガタと揺れた。

乗客たちは驚いて周りを見回し、クルーも不安を隠せない。ランディング・ギアはきちんと定位置にロックされたのか? あの大きな音はなんだったんだ? ギアがロックされると点灯するはずのインジケーター・ランプがひとつだけ点いていないのはどういうことだ?

機長は管制に無線連絡して、「問題を確認するまで飛行時間を延長したい」と要請した。173便は管制の指示通り空港南方へ向かい、ポートランド郊外上空で旋回しながら、さまざまな手を尽くし確認に努めた。そしてすべての状況から考えて、車輪は正しくロックされていると思われた。

しかし機長は確信が持てず心配で、頭の中で必死に解決方法を探し続けた。彼には乗客とクルーを守る責任がある。胴体着陸を敢行して乗客を危険に晒すわけにはいかない。どうしても、車輪が出ていることの確証がほしかった。

だがその間、どんどん燃料は減っていく。燃料の警告灯が点滅しはじめたが機長は反応せず、車輪の問題にこだわり続けていた。航空機関士の指摘に対し、機長はタンクにまだ「15分」分の燃料が残っているはずだと主張した。「15分!?」、航空機関士は驚いて聞き返した。「そんなに持ちません……15分も猶予はありません」。機長は残りの燃料を誤認していた。時間の感覚を失っていたのだ。

副操縦士と航空機関士は、なぜ機長が着陸しようとしないのか理解できなかった。今は燃料不足が一番の脅威のはずだ。車輪はもはや問題ではない。しかし権限を持っているのは機長だ。彼は上司であり、最も経験を積んでいる。

実はこのとき、173便は安全に着陸できる状態だった。のちの調査で、車輪は正しく下りてロックされていたことが判明している。もしそうでなかったとしても、ベテランのパイロットなら1人の死者も出さずに胴体着陸できたはずだった。

結果、173便は滑走路まで約12キロメートルの地点で、燃料不足によりエンジンが停止。ポートランド郊外に墜落し、乗客8名と乗員2名が亡くなった。

失敗を「データの山」ととらえる

航空安全対策の転機となったこの事故。原因を探れば、ほかの業界で起きた事故にも共通する点はあるが、肝心なのは類似点ではなく相違点だ。

最も大きな相違点は、失敗後の対応の違いにある。「言い逃れ」の文化が根付き、ミスを「偶発的な事故」「不測の事態」と捉える業界もあるが、航空業界の対応は劇的に異なる。失敗と誠実に向き合い、そこから学ぶことこそが業界の文化なのだ。彼らは、失敗を「データの山」ととらえる

(アメリカでは)航空事故が起こると、航空会社とは独立した調査機関、パイロット組合、さらに監督行政機関が、事故機の残骸やその他さまざまな証拠をくまなく調査する。事故の調査結果を民事訴訟で証拠として採用することは法的に禁じられているため、当事者としてもありのままを語りやすい。こうした背景も、情報開示性を高めている一因だ。

調査終了後、報告書は一般公開される。報告書には勧告が記載され、航空会社にはそれを履行する責任が発生する。事故は、決して当事者のクルーや航空会社、もしくはその国だけの問題として受け止められるのではない。

その証拠に、世界中のパイロットは自由に報告書にアクセスし失敗から学ぶことを許されている。かつてアメリカ第32代大統領夫人、エレノア・ルーズベルトはこう言った。「人の失敗から学びましょう。自分で全部経験するには、人生は短すぎます」

「ミスの報告」を処罰しない

学習の原動力になるのは事故だけではない。「小さなミス」も同様だ。パイロットはニアミスを起こすと報告書を提出するが、10日以内に提出すれば処罰されない決まりになっている。

また、現在航空機の多くには、設定した高度などを逸脱すると自動的にエラーレポートを送信するデータシステムが装備されている。データからは、操縦士が特定されない仕組みだ。

例を挙げよう。2005年、ケンタッキー州のある空港近辺で、複数の航空機から次々とエラーレポートが送信された。滑走路までのアプローチに問題が発生していたのだ。当時、空港のすぐ外側の空き地には、地元の自治体が設置したばかりの巨大な壁画があり、その上部には夜間用のライトがついていた。

このライトがパイロットを混乱させた。壁画のライトを滑走路のライトと見誤り、進入高度を間違えていたのだ。幸い事故には至っていなかったが、匿名のエラーレポートのおかげで、死亡事故が出る前に潜在的な問題が明らかになった。

その後すぐ、この空港に着陸予定の全機体に壁画ランプへの注意が促された。そして数日後には壁画もランプも撤去された。

今日の航空システムはさらに進化している。大手航空会社の多くは、何万ものパラメータ(高度逸脱、機体の傾斜過剰などに関する情報)をリアルタイムで継続的にモニタリングし、事故発生につながりかねない危険なパターンを見極めている。

これについて英国王立航空協会は、「航空安全を劇的に改善する最も重要な方法」だと評価した。いずれ全データが中央集中データベースに送信されるようになれば、将来的にはブラックボックスすら不要になるだろう。

そのときも、航空業界の失敗を真摯に受け止める文化は変わらないはずだ。いつだってクルーたちは何も恐れずに失敗を認めることができる。それが価値あることだと認識しているからだ。

こうした航空業界の文化はユナイテッド航空173便の一件でも機能した。事故のあと数分以内に、アメリカ国家運輸安全委員会によって調査チームが任命され、翌朝にはオレゴン州ポートランドの事故現場で徹底的な調査が行われたのだ。

調査員がさまざまな証拠を検証してみると、事故が起きやすい「パターン」が表れた。こうした事実は、独立した機関による調査で初めて明らかになる。当事者の視点でしかものを見ていないと、潜在的な問題に誰も気づかない。失敗は調査されなければ失敗と認識されない。たとえ自分では薄々わかっていたとしても、だ。

1979年6月に公開された173便の事故報告書は、航空業界に大きな転機をもたらした。報告書の13ページには、この種のレポートらしい無機質な表現で次のように書かれている。

全運航審査官に告知を発行し、各担当航空会社に対して以下を命じるよう勧告する。乗務員がコックピット・リソース・マネジメント(チームワークを重視したリスク管理訓練)の原則に習熟するよう処置を講ずること。ことに機長は参加型管理の技術、その他のコックピットクルーは主張の技術を習得することが望まれる。

設計が不十分なシステムがもたらす人的ミス

数週間のうちに、NASAも専門家を招集し、この新たな訓練法を正式に検討し始めた。コックピット・リソース・マネジメントは、現在では「クルー・リソース・マネジメント(CRM)」と呼ばれる。CRM訓練の焦点は、クルー間の効果的なコミュニケーションだ。

副操縦士など、機長の補佐的立場にあるクルーは、上司に自分の意見を主張するための手順を学ぶ。その際にヒントとなるのが「PACE」だ。これは各手順の頭文字で、それぞれ「Probe(確認・探求)」「Alert(注意喚起)」「Challenge(挑戦)」「Emergency(緊急事態)」を指す。

一方、権威的立場にある機長は、部下の主張に耳を傾けることを学び、明確な指示を出す技術も磨く。時間の感覚が失われる問題については、責任の分担をシステムに組み込んで対処する。

「チェックリスト」は、当時すでに導入されていたが、さらに強化・改善された。このチェックリストは、上下関係を比較的フラットにする役割も果たす。機長と副操縦士が協力し合いながらチェックリストの項目を点検する作業は、コミュニケーションを活性化し、チームワークを生む。チームワークが機能すれば、緊急事態においても部下は意見を言いやすい。


こうした新たな訓練方法には、さまざまなアイデアが加えられ、即座にフライトシミュレーターなどを使って模擬実験された。厳しい条件下で慎重に検証され最も効果を上げたアイデアは、さっそく世界中の航空機に導入された。こうした改革により、173便の事故をはじめとする1970年代の一連の惨事のあと、航空事故率は下がり始めた。

航空安全専門家のショーン・プルチニッキは言う。

「今でもユナイテッド航空173便の事故は航空業界の分岐点だと言われています。『ヒューマンエラー(人的ミス)』の多くは設計が不十分なシステムによって引き起こされるという事実を理解した瞬間から、業界の考え方が変わったんです

173便の事故では10名が亡くなったが、その結果得た学習機会によって、より多くの人々の命が救われた。

(マシュー・サイド : コラムニスト、ライター)