一時はベッドから起きることもできなかった父は、富士山を目標にしてリハビリを続けた(写真:『諦めない心、ゆだねる勇気 老いに親しむレシピ』)

2023年8月、 冒険家・三浦雄一郎氏の次男、豪太氏(54歳)は、要介護4の「寝たきり状態」から奇跡の回復を果たした父・雄一郎氏(90歳・当時)の「富士登山」挑戦を、多くの協力メンバーをまとめ、アウトドア用車椅子を使うことでサポート、無事に成功させた。

しかし、車椅子を使った雄一郎氏の富士登山は賛否両論を呼び、富士山登頂を伝えるYahoo!ニュースには2300件を超えるコメントが寄せられた。 要介護4の寝たきり状態から、富士山頂に至るまで――その裏側にはいったい何があったのか?

両親の介護と住む場所探し、そしてきょうだいで目指してきたサポートのありかたについて、雄一郎氏との共著『諦めない心、ゆだねる勇気』の豪太氏執筆部分から、一部抜粋・再編集・加筆してお届けします(全3回、第1回はこちら、第2回はこちら)。

札幌に移住したが、同居は無理だった

コロナが落ち着き始めて仕事が増えてくると、忙しいのは姉、兄も同じだった。

姉の恵美里、兄の雄大、そして僕の3人がローテーションで、両親のサポートをする日々。しかし、全員が50歳を過ぎた僕ら「きょうだいのローテーション介護」には、あらゆる面で限界が来ていた。

父が「頸髄硬膜外血腫」に倒れ、リハビリが続いていた頃、僕は札幌に移住することになった。近くにいる分、両親のサポートができるようになったが、常にみていられるわけではない。

2022年の1月〜2月は老人ホームに両親を預かってもらうことにした。


父は2021年6月に東京オリンピックの聖火リレーランナーを務めた。そのためのトレーニングにも、移住したことで付き添えるようになった(写真:『諦めない心、ゆだねる勇気 老いに親しむレシピ』)

僕は北京オリンピックの解説の仕事が入っていたし、姉や兄もスケジュール調整ができなかったので「ショートステイ」を利用したのだ。

ところが、ふたりが一緒に入れる部屋が空いていなかったことから、夫婦で階が異なる別々の個室で過ごすことになってしまった。

父は標高8000mのテントのなかで何泊もしている人なので、環境の変化にことさら強い。世界有数のレベルかもしれない。老人ホームでの暮らしにはあまり気乗りしないが、僕らにも迷惑をかけられない、仕方ないという理解だった。

ところが、認知症の傾向がみられる母はそうではなかった。自宅を離れて、初めての老人ホーム。住み慣れない個室での生活に、せん妄のような状態になってしまった。

強制的に収容所のようなところに閉じ込められたように思ったようだ。

昼夜問わずいろいろな人に電話をかけて、「私は捨てられた」「もう死にたい」とネガティブな話ばかりをするようになる。

「これ以上、ここにはいられない」と父から悲鳴があがった。仕方なく1週間で自宅に戻らざるを得なかった。

両親が安心して健やかに暮らすにはどんな環境がいいか?  それを、考えなければならなかった。

父は孫たちをかわいがっていることもあり、僕の家族と一緒に暮らすことを望んだ。しかし僕が考えるに、それは現実的ではなかった。

もし、同じ屋根の下で暮らすとなると、認知症気味でイライラすることの多い母の存在が、妻や子どもたちにもストレスになるのがわかっていたからだ。母にとってもその環境はよくないだろう。

悩んだ末に、父と母の住み場所を決める

両親の住む場所を考えていたときに、テレビで父の旧友でもある俳優・歌手の加山雄三さんが生活支援サービス付きの高齢者向け住宅の話をしていた。

高齢者の暮らしを支えるサービスを提供する「ケアハウス」やサービス付き高齢者向け住宅(通称「サ高住」)は、原則はマンションのような集合住宅で、自由度が高い生活ができるといわれている。

「なるほど、これはいいかもしれない」

姉と僕は早速、ケアマネジャーさんに相談し、いろいろ情報を集めた。すると、望ましい条件を備えていたサービス付き高齢者向け住宅に近々、空きが出ることがわかる。父と母がふたりで同じ部屋に入れるようだ。環境も素晴らしかったし、ずっと父を診てくれていた病院がすぐ目の前にあるという立地も魅力だった。すぐにそこをおさえた。

父はこの転居をすんなり受け入れてくれた。

問題は母だ。そこで、「お父さんの心の支えはお母さんですよ。お母さんがいてくれないと、お父さんはどこにもいけないし、何もできないですよ」という話をして、役割を与えることで理解してもらった。


姉と僕で、札幌周辺の10カ所以上を見てまわり、便利な部屋をおさえることができた(写真:『諦めない心、ゆだねる勇気 老いに親しむレシピ』)

2022年6月、父と母はサービス付き高齢者向け住宅で新生活を始めた。バリアフリー仕様で、キッチン、浴室などがついた普通の2LDKのマンションと同様の部屋だ。コロナ禍にあっても訪問は自由で、地下の駐車場の使い勝手もいい。

少し前までは攻撃的になっていた母も穏やかになった。やはり、父のそばにいると安心するのだろう。母の口からも「ここはいいところね」という言葉が出た。

ともに目標に向き合う「ポジティブサポート」

頸髄硬膜外血腫に倒れ、苦しそうだった父の手術が成功し、命が助かった時点で、心配していた僕らきょうだいは気持ちを切り替えた。

「お父さんもさすがにトシだし、これからは穏やかに余生を過ごしてもらう」と考えたのではない。

「どこまで戻れるかわからないが、少しでももとの三浦雄一郎に近づいてもらおう。山を歩き、スキーを楽しむ父に戻ってもらおう」と決めたのだ。

父・雄一郎は昔から名コピーライターだが、姉もそのDNAを受け継いだのか、何かを言語化するのが得意だ。僕らの両親への取り組みを「ポジティブサポート」だと言った。

単に前向きに、明るい気持ちで親を支えるという一方通行の関係ではない。状態の悪化を恐れ、あれもしてはダメ、これもしてはダメと、本人の希望・目標を否定し、ネガティブに縛りつけるようなことはしない。

老親とひとつのチームとして一体になり、共に目標に向き合い、それを妨げる要素を一つひとつ取り除くことをサポートする。それが“ポジティブサポート”だ。

姉が言語化することで、きょうだい3人で、共通する意識を持ちやすくなった。

父と母では状況が異なる。

父は、大雪山でスキーをしたい、富士山に登頂したい、といった明確な目標を持っている。僕らはそれを実現するために、困難に全力でぶつかる。

母も「船で世界一周したい」とか「温泉に行きたい」といったことを口にする。「それじゃあ行こう」と言うと、本人は尻込みするのだけど、できればそれも実現させてあげたい。

ときどき姉と話すのだが、“ポジティブサポート”をやっていると、エベレスト登頂などのプロジェクトがずっと続いているような感覚がある。

僕らきょうだいは力を合わせて、自分の人生をも豊かにする行動だと感じながら父の冒険をサポートしてきた。ほかにも頼もしい遠征隊のメンバーや、シェルパ、登山ガイド、スポンサー、医師、メディア、そのほかいろいろな人が、父が登頂すること、無事に下山することを最大の目標に力を合わせた。

近年、僕らが取り組んでいる両親の介護、サポート活動は、その感覚に近いのだ。

今は、きょうだいのほかに、医師、看護師、ケアマネジャー、理学療法士、ほかにも多くの人の力を借りている。姉がケアマネジャーと細かいやりとりをしてリハビリのスケジュールを組んでいる姿は、エベレスト遠征の日程を組んでいるときと見事に重なる。


エベレスト登山ではさまざまなメンバーが力を合わせた。両親への介護もそれに似ている(写真:『諦めない心、ゆだねる勇気 老いに親しむレシピ』)

2023年8月末、足にしびれの残る障がいをもった父は、多くの仲間たちと一緒に富士山に挑み、自分の足とアウトドア用車椅子の併用スタイルで登頂に成功した。

そして下山後に父は、今後の目標を新たに宣言した。

その目標は、「99歳のときに、モンブランのバレ・ブランシェ氷河をスキー滑走!」すること。

ヨーロッパアルプスで最も高い山、モンブランのバレ・ブランシェ氷河のスキー滑走は、ヨーロッパスキーの醍醐味を味わえる究極のスキー。自然の作り出した山々に囲まれ、クレバスが点在する氷河のど真ん中を滑ることが出来る、山岳スキーの真髄だ。

父は、三浦敬三(雄一郎の父、僕の祖父)に続き、99歳でこの「モンブランのバレ・ブランシェ氷河でのスキー滑走!」に挑戦するつもりだ。

ただ、祖父・敬三との大きな違いは、父・雄一郎は「要介護4」を経験して、懸命なリハビリで“奇跡の回復”をしたものの、神経性の障害は完全には治らず、今も下半身に麻痺は残り、長時間に及ぶ活動は難しい状況だということ。

しかし、父はそれでも「これからの目標」は失わない。「100歳に向かって、のんびりとがんばりたい」と、新たなステージへの意欲を語っている。

親の犠牲になっている感覚はまったくない

少子高齢化が深刻化する日本では、介護というのは重い問題なのだと思う。


家族ごとに環境と状況が異なるので、すべて一概には言えない。我が家はきょうだいが多く、全員が健康だという面ではラッキーなのだろう。

ただ、どんな場合であっても、介護を自分だけが背負う十字架のように感じながら暗い気持ちで後ろ向きに取り組むのと、チームを組んで関係者全員で明るく前向きに取り組むのとでは、大きく違うのではないだろうか。

僕らには、親の犠牲になっている感覚はまったくない。親が生きている時間の中身も、自分の人生も同じように大切にしている。

むしろ、父が持っている“夢の力”が、自分たちの力にもなっているような感覚もあり、それぞれの仕事にも全力で取り組める。

父・三浦雄一郎の想いはシンプルだ。

「人間はいくつになっても、あるいはどんなハンディキャップを持っても、挑戦することができる」

(三浦 豪太 : プロスキーヤー、博士(医学)、慶応義塾大学特任准教授)