受刑者のバックグラウンドに目を向けると総じて「ある共通点」に気づく(撮影:今井康一)

自分のことしか考えない親にかまってもらえなかった子どもが、幼少期に孤独におちいり、大人になって苦しむことがある――。『親といるとなぜか苦しい』(リンジー・C・ギブソン著)では、精神的に未熟な親が子どもの人生に与える影響と、その苦しみと向き合い楽になる方法を説いている。

前回の記事では、著書『母を捨てるということ』で自身の母娘問題と向き合っている、おおたわ史絵氏に親子のいびつな関係について、また、その困難を克服する方法について考えを聞いた。

ここからは法務省矯正局医師(プリズン・ドクター)として、刑務所受刑者の診療をするなかで日々感じていることについて語ってもらう。

母娘問題からプリズン・ドクターの道へ

私は今、刑務所の受刑者や医療少年院の若者の診療にあたっています。法務省に所属する医師は整形外科医、眼科医、精神科医などさまざまな専門医がいますが、つねに人手不足であらゆる専門医を日本全国に配置することはできません。総合内科専門医として皮膚症状も関節痛にも対応しています。


高収入を得られず、先端医療にも携われず、できる医療行為に限りがある法務省矯正局医師の職場は、多くの医師にとってモチベーションが上がらないため人気はありません。ただ私は、いつか薬物依存者の医療に携わりたいという思いがあり、法務省からのお誘いをお受けしました。そのあたりの背景は、前回の記事でも話しましたが、母との関係が影響していると思います。

日本の受刑者の多くは窃盗や薬物に関わっています。法務省から矯正局医師にならないかと言われた2018年、コメンテーターをしていた情報番組では、芸能人の薬物問題や窃盗(万引き)関連のニュースを取り上げることがありました。薬物も窃盗も依存症と深く関わっています。依存症は正論で問いつめても厳罰化しても治りません。「もう二度と戻らないようにがんばります」と言って刑務所の外に出ても依存症の再犯率は極めて高いのが現状です。

処方薬の注射の依存症だった母と向かいあったものの、その病をどうにもできず完膚なきまでに負けて終わり、悔やまれる思いが私にはあります。依存症を疾患としてとらえ、法と医療がタッグを組んで取り組めば再犯率は下がるのではないか。医師として依存症からの脱却に必要なのは制裁でも圧力でも、論破でもないと身に染みてわかっている医師のひとりとして私がやれること。刑務所のお医者さんにならないかとお声がけいただいたとき迷いなく、これをやるために医師になったのではないかと思いました。

最先端医療に携わることも高収入を得ることも興味がなく父が医師だったからという理由で医師になった私は、それまで雲の上を歩いている感じがしたんです。医師になることの意味がようやくわかり、これまでのさまざまな苦しみが腑に落ちた瞬間でした。

成育環境が影響する罪を犯すリスク

薬物関係、傷害、強盗、殺人など受刑者の罪状はさまざまです。ただ、彼らのバックグラウンドに目を向けると総じて、成育環境は影響していると感じます。親や家庭を知らない、片親で義務教育さえまともに受けさせてもらえなかった、誰からも愛された記憶がない……。教育を受けていないから仕事に就くことが難しく、稼ぐことができないから盗むか悪事に加担するしかないのです。

生まれてすぐに父親は逃げ出していて、母親は出産後すぐに自殺した子どもは、人生で誰かに期待されたことも褒められた経験がありません。そういった環境で育ちながら自身のアイデンティティを確立し、恥ずかしくないように迷惑をかけないように生き、人に喜ばれたいし幸せにしたいといった感情を持つのは難しい。犯罪に手を染めることでしか生きられない人がいるのだと、今の職場で実感しました。

もちろん、成育環境だけではなく持って生まれた素養や精神面での特徴など複雑な要因が絡みあって罪を犯すリスクが高まるのだとは思います。

それでも、「教育を受ける機会に恵まれず、字を書けない人が現代の日本にどのくらいいるのか」まわりにいないから想像できないと、見て見ぬふりをして生きていくのは残念な気がします。

社会に適応するだけの力がない人がいること、生きづらさを抱えコミュニティに入れず孤独を抱えている人、働くことができない人……成育環境が整っていればそうはならなかっただろう人がいるということを多くの方が知るだけでも、世の中は少し変わるかもしれないと思うのです。

まずは「普通の生活」の大切さを教える

患者が受刑者だからといって、医師としてやるべきことは変わりません。塀の中だろうと外だろうと、病気を探し苦痛を取り除き快適に過ごせるように頭を働かせる。これまで30年やってきた医療と何ら変わりません。

心身は表裏一体で、精神状態が悪いと身体の状態も良くないということがあります。不定愁訴、皮膚に湿疹が出る、お腹を壊す、夜眠れない……。そう訴えてくる彼らに、まずは「普通の生活」の大切さから教えるようにしています。朝起きる、夜は寝る、昼間は学ぶ、働く、規則的に食事をする、病気は治す努力をする。

依存症になったのは、病気になったのはあなたのせいではないけれど、変わろうとしないのはあなたのせいだと気づいてほしい。再犯防止のための生き方を100回教えてダメだとしても、101回目には何かが変わるかもしれない、そのくらいの心づもりで受刑者の治療にあたっています。依存症治療は継続こそが重要で、あきらめてはダメだと思うからです。1人でも多くの人が依存症を理解し、誤解と偏見で彼らを排除しない社会になるようにと願っています。

(構成:中原美絵子)

(おおたわ 史絵 : 総合内科専門医・法務省矯正局医師)