かつては「効果がある」とされていた治療も、医療の発展とともに“本当の効果”が明らかになっていく(写真:tomcat/PIXTA)

科学的には有益な効果を証明できないにもかかわらず、身体によい影響をもたらす「プラセボ」。効き目がないはずの薬を飲んで症状が改善されたり、実は意味のない手術をして体調がよくなったりすることがある。このプラセボの効果は、医療発展の歴史の中でも、つい最近わかってきたものだという。

世界の “歴史的外科治療”を、教養とユーモアたっぷりにまとめた書籍『黒衣の外科医たち 恐ろしくも驚異的な手術の歴史』(オランダの外科医、アーノルド・ファン・デ・ラール著)より一部抜粋、編集してお届けする。

薬効があるかのように見せかける「プラセボ」

中世の頃には、自分の葬儀に少しでも華を添えたいと思った人は、修道士の一団を雇って葬儀で『旧約聖書』の「詩編」第116編を歌ってもらったという。特に最後の一文は、最後の別れをさらに盛り上げた。「この世でわたしは主を喜ばせよう」。決して安くはなかったが、参列者の記憶に残る葬儀となったに違いない。

言うまでもなく、歌い手たちは故人と何の関係もない人たちだ。彼らの嘆き悲しむ声は、すべて演技だった。結局のところ彼らは偽の参列者、営利目的の聖職者で、彼らがもっとも大げさに歌った言葉で軽蔑的に呼ばれた――プラセボ。「喜ばせる」という意味のラテン語だ。

プラセボ(偽薬)は、健康上の問題を治すほどの薬効はないが、薬効があるかのように見せかけることで、有益な効果を生み出すことができる。よく知られている例にホメオパシーがある。ホメオパシーでは、病気に対して有効性のない成分を調合した薬を処方する。

プラセボはいつも薬や錠剤とは限らない。善意の鍼治療や整骨療法も“治療”の形を取っているが、実際は治療ではない。そんなわけで、プラセボそのものには有益な効果はないが、あるはずだと信じることで効果が生まれる。

その効果をもたらす仕組みは純粋に心理的なもので、期待、注目されること、思いやり、提案などの要素から成る。プラセボが治療に役立つと考えられていた時期もあったが、やがてそれは間違いで、実用的な効果はごく限られていることが判明した。プラセボ療法の効果は有益な場合もあったが、大抵の場合は役に立たなかった。

たとえばホメオパシーの場合、医師と患者との関係は長引きがちだ。その関係は病気が治って終わるどころか、患者は効き目のない薬を繰り返し処方されるため、症状が長引いてしまう。ホメオパシーの最大の欠陥は、患者が徐々に慢性疾患患者として扱われるようになり、ごく普通の健康的な生活に戻るのが難しくなることだ。

プラセボ効果にはいくつかのルールがある。第1に、患者は効くと信じていなければならない。つまり治療法が偽物だと知っていてはいけない(または、知りたくない)ということだ。治療をする側も効くはずだと信じていると、効果はさらにアップする。

さらに、ある程度ものものしさと儀式張ったことがあればさらに効果的だ。つまり、外科手術は強力なプラセボ効果を発揮する可能性があるということだ。結局のところ、患者も外科医も手術が成功すると信じているからこそ、合併症に罹るリスクを冒してまで手術を断行するのだから。言うまでもなく、手術は錠剤や飲み薬よりもはるかに大掛かりだ。

プラセボ効果は、健康状態が悪いことでかなりの満足感を得ている人に対しては効き目が弱まる。たとえば、その問題のおかげで人々から同情されて、注目されることに喜びを感じている人だ。その反対に、治療が成功するとかなりの恩恵が得られる人には、プラセボ効果が強まることがある。

ある宇宙飛行士を襲った悲劇

1969年、アラン・B・シェパードが手術に同意したとき、彼以上に病気が治ることで得られるメリットが大きい人はいなかったのではないだろうか。シェパードは究極の冒険を担おうとしていたところに、ある病気に罹り、一生に一度のチャンスを逸するところだったのだ。

シェパードが宇宙飛行に成功した初のアメリカ人の一人となったのは、37歳のときだった。飛行時間はわずか15分だったし、彼の乗った宇宙船マーキュリー号がおこなったのは弾道飛行だったが、シェパードは少なくともアメリカで一時的に英雄としてもてはやされた。

実のところ、そのミッションは少々遅すぎた――ほんの23日前に、ロシアのユーリ・ガガーリンが人類初の宇宙飛行に成功し、1時間以上の地球周回飛行に成功したばかりだったからだ。

だがシェパードの飛行はもっと大きな冒険が始まることを予兆するものだった――月旅行だ。 マーキュリー計画のあとには、ジェミニ計画とアポロ計画が続いた。マーキュリー号に搭乗した7人の宇宙飛行士のうち、6人が月面着陸へと続く一連のミッションのなかで、何らかの役割を担った。

ジョン・グレンはアメリカ人で初めて地球周回飛行をおこない、スコット・カーペンターは2番目となった。ゴードン・クーパーは宇宙で一晩を過ごした最初のアメリカ人となり、ガス・グリソムは月探査計画の訓練中に亡くなった最初の宇宙飛行士となり、ウォルター・シラーはアポロ宇宙船で有人飛行をおこなった最初の宇宙飛行士、ディーク・スレイトンは7人のうちで最後に宇宙飛行をおこなった人物となった。

アラン・シェパードだけが足踏み状態にあった。メニエール病の一種、正確には突発性の前庭機能障害を患っていたため、医学的な理由による不適格とされたからだ。「突発性」とは原因がはっきりしない病気という意味で、「前庭」とは内耳にある平衡感覚をつかさどるシステムのことだ。

この病は、発作的なめまいや耳鳴りを引き起こす。シェパードは、突然左耳から耳鳴りがしたかと思うと、周囲がぐるぐると回転しているかのように感じたという。次に、船酔いにも似た吐き気をもよおし、ときに嘔吐したこともあった。

彼は治療のためにダイアモックスと呼ばれる薬を服用した。内耳の前庭か三半規管に内リンパ液がたまり、その圧力のせいでめまいが起きたのではないかと推測されたからだ。ダイアモックスは利尿剤で、水分の排出を促す働きがある。この薬で内耳にたまった過剰な液体を減らせると思われたが、残念ながら、シェパードの場合は効果が見られなかった。

何百時間もジェット機に乗るテストパイロットにとって、予期せぬめまいや嘔吐、平衡感覚の喪失は致命的と言えるだろう。ましてや乗るのは宇宙ロケットなのだ。

「手術」の結果、45歳で宇宙飛行が叶った

1969年にニール・アームストロングが月に向けて旅立つ数カ月前、シェパードはロサンゼルスで、ウィリアム・ハウスという耳鼻咽喉科医の手術を受けた。ハウスは、側頭骨の錐体部から内耳までシリコン製の細い管を挿入して、過剰にたまった内リンパ液を排出した。「内リンパ囊開放術」と呼ばれる処置だ。理論的には、これで前庭系への圧力を下げられる。

ここではあまり関係がないため、手術の詳細は省く。重要なのは手術後にシェパードが発作に悩まされなくなったことだ。NASAで健康診断を受けたシェパードは、医師たちから宇宙飛行任務に就くことを許可された。

1969年5月、シェパードは45歳にして宇宙飛行士として復帰し、アポロ13号のミッションに向けて訓練を開始した。だが、年齢的に月面飛行までに身体の準備が整わないことが判明したため、その次のミッションに臨むことになった。

今にして思えば、彼にとってラッキーな決定だった。アポロ13号は飛行中にトラブルに見舞われたからだ(あの歴史的なセリフ「ヒューストン、問題が発生した」は、シェパードの代わりに搭乗した宇宙飛行士の声だった)。

だが1971年1月31日、ついにアラン・B・シェパードが月面飛行へと旅立つ日がやって来た。アポロ14号の船長として、彼はもっとも困難なミッションを遂行することとなった――月着陸船「アンタレス」を月上のフラ・マウロ高地に無事に着陸させることだ。

1971年2月5日、彼は見事にミッションを成功させ、アポロ計画のミッションのなかで、もっとも正確な月面着陸だったことがのちに判明した。 宇宙飛行士は月着陸船を立ったまま操縦しなければならなかった。月は重力が弱いため、自分たちのバランス感覚で月着陸船の動きを感じ取れるようにするためだ。

その「手術」、実はプラセボだった

10年以上のちに、内リンパ囊開放術には効果がなく、プラセボでしかないことが判明した。にもかかわらず、シェパードがこのミッションを完璧にこなしたのは、驚異と言わざるを得ない。 内リンパ囊開放術には効果がないことは、次の実験から実証された――メニエール病の患者を何人か集めて、手術をすることにしたのだ。

被験者には、まずくじを引いてもらった。内リンパ囊開放術では、側頭骨の一部で耳の後ろに突き出ている乳様突起という、堅い塊のような感触の骨を除去することが重要だ。これを除去すれば、内耳にある細い空洞にアクセスできるからだ。

実験では、被験者の半数には完全な内リンパ囊開放術をおこなったが、残りの半数は乳様突起を切除しただけで終わった――切除するだけでは症状に何の影響も与えないだろう。誰がどちらの手術を受けたかは、目で見ようが、手で触ろうが、外見からはわからなかった。

患者も手術した外科医も、誰がどの手術を受けたかわからないまま、3年かけて検査がおこなわれた。この方法を二重盲検試験、正式には、無作為化プラセボ対照二重盲検試験という。

実験の結果、本物か偽物かどちらの手術を受けたかとは関係なく、被験者の3分の2以上が症状に改善が見られたことがわかった。 プラセボ効果が手術の成功にどれだけ貢献しているのかは、一概には言えない。わたしたちが考えている以上に重要かもしれない。

幸いにも、二重盲検試験のおかげで、アラン・B・シェパードが受けたような手術――純粋にプラセボ効果に頼った手術――は、徐々におこなわれなくなってきている。

原因不明の慢性的な症状を緩和するために手術したところ、症状が改善した場合は、問題が解決したからというよりも、プラセボ効果のおかげである場合が多い。原因がはっきりしない症状を、医学用語で「e causa ignota」(e.c.i.)という。「原因不明」を意味するラテン語だ。

さまざまな手術で治療がおこなわれた典型例に、慢性腹痛がある。原因不明のときですら手術がおこなわれた。まさかと思われるかもしれないが、こうした新しい術式ほど効果が上がる。一時的な流行と同じで、新しい術式はぽつりぽつりと現れる傾向がある。新しいものは古いものよりもすぐれているように思えるし、イノベーションというと有望な気がするものだ。

たとえば1960年代と1970年代には、原因不明の慢性腹痛を治すために、健康な虫垂を切除する手術が流行った。1980年代と1990年代には、このような不可解な不定愁訴は腹腔内の癒着を絶てば緩和されると信じられた。

まったく同じ症状に対して、今日では腹壁の前皮神経を切断する手術が流行っていて、もう誰も癒着を断ち切ったり、健康的な虫垂を切除したりはしない。 外科医は、自分が治療した患者に良い結果が見られると、ほぼ自分の治療のおかげだと考えがちだ。

彼らはこう言うだろう。「患者が調子が悪いといってわたしの診察を受けに来たんだよ。それで、確実に効きそうな治療を施した。患者は、症状が治まったと満足して帰っていった。わたしの治療が功を奏したんだ。もちろん、予想どおりだがね」。


このような考え方や自分のやり方を過信した働き方を「自己奉仕バイアス」と呼ぶ。外科医は、手術を終えるたびに、患者の症状が緩和されたのは手術のおかげなのか、それとも手術とは無関係なのかを自問したほうがいいだろう。

症状が勝手に消えたのではないか? 症状がぶり返したものの、患者が診察に来ないだけではないか? 治療の真価をはかる唯一の方法は、患者と外科医という一対一の関係から距離を置くことだ。手術の真価を決めるのは、同じ症状のために同じ手術を受けた大勢の患者を客観的に評価してからでなければならない。

さらに、できれば複数の病院のさまざまな医師がおこなった手術を検証するのが望ましい。現代の外科医学では、そうした結果に基づいて、手術の真価が国内および国際的なガイドラインに反映される。新たな患者の結果から新しい洞察が得られるため、ガイドラインは定期的に見直さなければならない。

「プラセボ」のおかげで月面着陸できた

12人の男たちが月面に立った――ニール・アームストロング、バズ・オルドリン、ピート・コンラッド、アラン・ビーン、アラン・B・シェパード、エドガー・ミッチェル、デイヴィッド・スコット、ジェームズ・アーウィン、ジョン・ヤング、チャールズ・デューク、ハリソン・シュミット、 ユージン・サーナン。

彼らのなかで、シェパードは最年長だった。内リンパ囊開放術を受けたシェパードが、宇宙滞在中にメニエール病の発作に襲われたらどうなっていたか想像してみてほしい。ヘルメットを被ったまま嘔吐したら、窒息死する可能性があった。

アポロ13号の事故のあとにそんな事態になったら、月面着陸というミッションも終止符を打たれていただろう。地球に帰還後に、彼がメニエール病を再発したかどうかはわからない。シェパードは1998年に白血病で亡くなった。

(アーノルド・ファン・デ・ラール : 外科医)