前田 健太投手(PL学園−広島東洋カープ)「素直であり、吸収力もあり、取捨選択できる野球選手だった」
昨年もっとも輝いていた投手―。それは広島の前田 健太投手だろう。昨シーズン15勝をマークして、2度目の最多勝のタイトルを獲得。投手にとって最高の栄誉とされる「沢村賞」も2010年に次いで受賞した。「侍ジャパン」でも中心投手として存在感を示す前田投手は、全国の高校球児の憧れでもある。そして1月8日、ロサンゼルス・ドジャースの入団が決まった。
そんな前田投手はどんな高校時代を送っていたのか?PL学園時代に監督として前田投手を指導し、現在は佐久長聖で指揮を執る藤原 弘介監督に、高校時代のエピソードや成長の秘訣など、たっぷりお話いただきました。
藤原 弘介監督(佐久長聖高等学校)
投げ方が柔らかい子だな―。
これが前田 健太の最初の印象です。今と同じでキャッチボールをすると、(フィニッシュの時に)手が背中に当たってましたからね。聞けば2歳の時から水泳を習っていたようで、それもあって肩周りの可動域が広いのでしょう。ただボールそのものは同期の冨田 康祐(青山学院大−香川オリーブガイナーズ−横浜DeNAベイスターズ−レンジャーズマイナー<関連記事:メジャー挑戦ダイアリー>)の方が速かったですね。
前田が入学後、初めて対外試合で好投したのは「私学大会」でした。大阪には「大阪府私学総合体育大会」という(昭和29年から始まった)大会がありまして、PL学園も参加しています。メンバーはベンチ外の3年生と、次期レギュラー候補の2年生が中心なんですが、1年生の前田に投げさせたんです。そしたらいいピッチングをしましてね。もう1回見てみたいと、その後の6月の九州遠征に連れて行きましたら、今度は長崎日大を完封した。そこで投手が1枚足りなかったこともあり、私は(04年)夏の大阪大会で、前田をベンチに入れることにしたんです。その大会ではリリーフで起用しました。
すると4回戦から準決勝まで、よく試合を作ってくれましてね。それで、これだけ投げられるなら、と、大阪桐蔭との決勝再試合の先発を任せたんです。ですが、この試合は調子が悪かったですね。確か、四球を7つか8つ出しているのでは…。失点も同じくらいだった気がします。打線がよく打ったので、結果的に前田が勝ち投手になりましたが「甲子園に行けたんはお前の力やないよ。先輩たちのおかげやぞ」と前田に言ったのを覚えています。
私は前田を甲子園の初戦(対日大三)でも先発させました(前田は5回3失点で降板。PL学園は5対8で敗れた)。1年夏から出てくる選手は、ともすれば同期から浮いてしまうこともありますが、前田はそういうことはなかったですね。仲間をすごく大事にするからでしょう。プロで活躍するようになってからも、忙しい中を縫って、同期の結婚式には必ず出席しているようですし。マウンドのマナーも良かったですよ。たまに2アウトから平凡なフライが上がると、捕球を確認しないでマウンドから降りてくる投手がいますが、そんなことは絶対にしませんでしたし、どんな状況でもロジンバッグはそっと置いてましたから。
[page_break:素直さとアドバイスを取捨選択できる賢さを兼備]素直さとアドバイスを取捨選択できる賢さを兼備前田 健太投手(広島東洋カープ)
前田は性格も素直でしたね。一度「140?投げられるのがそんなに偉いのか」と怒ったこともありましたが(笑)、厳しくいさめたのはそれだけ。手がかからない選手でしたよ。辛い練習でも嫌な顔はしませんでしたし、まず与えられたことに真摯に取り組んでいた。このあたりは全ての高校球児が見習うべき点かもしれません。
その一方で、取捨選択できる賢さもありましてね。プロからも注目されるようになってから、私は色々な方からアドバイスをいただいた方がいいと考え、前田を社会人の名門・日本生命の練習に行かせたんです。これは桑田 真澄さん(元巨人ほか・2013年インタビュー)、清原 和博さん(元オリックスほか)たちの1つ上の代の主将で、(88年から02年まで)PL学園でコーチをされていた清水 孝悦さんの同志社大時代の2学年下に、当時、日本生命で監督を務めていた杉浦 正則さん(関連記事:杉浦正則物語)がいらした縁で実現したのですが、そこでも、試してみて合わないものは取り入れませんでした。
プロの選手でもアドバイスを全て受け入れてしまい、その結果、フォームを崩す選手がいると聞く中、前田は高校生の段階で取捨選択ができたのです。前田は状況判断ができる選手でもありました。同じ失敗はしないんです。これはよく周りを見ていたからだと思います。
そして普段は温厚な前田でしたが、いざ試合になると勝ち気になるというか、闘争本能をむき出しにしました。打席でもデッドボールを恐れず、ベースギリギリに立っていましたからね。
前田は2年夏、大阪大会の大阪桐蔭との準々決勝で、1学年上の辻内 崇伸君(元巨人。現・女子プロ野球イースト・アストライアコーチ・2009年インタビュー)から右腕にデットボールを喰らったんですが、これもベース近くに立っていたからです。もう少し離れていればよけられたでしょう。この試合、前田は6回まで無失点に抑えていました。しかし、このデットボールの後、一気に球速が落ちてしまい、やはり1学年上の平田 良介君(中日ドラゴンズ・2009年インタビュー)にホームランを打たれるなど、チームを勝たせることができませんでした。
こういうところは時としてマイナスになることもありますが、野球選手にとっては必要な部分だと思います。私はPL学園時代、監督、コーチとして後にプロになった選手を18人指導していますが、広島の小窪 哲也(青山学院大−広島東洋カープ)をはじめ、プロになった連中は、ユニフォームを着ると強気になる選手が多かったですね。
[page_break:先輩・桑田に憧れ、真直ぐとカーブだけで勝負した]先輩・桑田に憧れ、真直ぐとカーブだけで勝負した前田 健太投手(広島東洋カープ)
前田は高校時代、3年になってからはスプリットも投げていましたが、球種は基本的にストレートとカーブだけでした。一時、今は勝負球になっているスライダーを覚えようとしたのですが、真直ぐがいかなくなりましてね。前田の球種が少なかったのは、PL学園の先輩である桑田さんの影響もあります。前田は中学時代から、桑田さんに憧れていましてね。前出の清水さんからは「桑田も真直ぐとカーブであれだけ勝ったんだから、お前も真直ぐとカーブで勝負せい」と言われていたようです。
前田の高校時代の最速は148?ですが、常時140?を超えるようになったのは、3年春に出場したセンバツからだったと思います。前年秋は近畿大会でベスト4に進出したものの、前田は夏の大阪桐蔭戦でのデッドボールの影響で本調子ではありませんでした。
その悔しさもあったのでしょう。もともと前田はよく走っていたのですが、2年のオフは徹底的に走り込みましたね。球速が上がったのはその成果だと思います。前田にはよく「球速ではなく、終速にこだわろう。初速と終速が変わらないストレートを投げよう」という話をしました。初速がいくら速くても、終速との差がある速球は、真の速いボールとは言えませんからね。
3年春のセンバツでは良かったですね。1回戦の真岡工業戦で16三振奪うと、2回戦の愛知啓成戦では完封。準々決勝では本盗も決め、清峰との準決勝に進出しました。ところがこの試合、疲れもあったのか、インステップする悪いクセが出てしまって球速が落ち、6失点。前田は高校時代、インステップする欠点があり、体が横に流れてしまうことがあったのです。
2015年、前田は5回目のゴールデングラブ賞を受賞しましたが、入って来た頃はそこまでフィールディングは良くなかったですね。でも足の運びを教えるとすぐにできた。飲み込みは早かったと思います。打撃はプロ入り後も“投手の強打者”の1人に数えられていますが、前田は高校時代、通算27本塁打を記録しています。
投げた試合でしか打席に立っていませんからね。そう考えると、本塁打率はかなりのものだったのでは。前述のデッドボールを受けた2年夏の大阪桐蔭戦でも、前田はホームランを打っているんですよ。フィールディングといい、バッティングといい、思えば高校時代から、投手としてというより、野球選手として必要な資質を持ち合わせていたような気がしますね。
前田は06年の高校生ドラフトで広島から1巡目指名されました。これはある程度予想していたのですが、実はもう1球団、1巡目で、という話があった球団がありましてね。それは千葉ロッテでした。結果的に千葉ロッテは八重山商工の大嶺 祐太君(2011年インタビュー)を1巡目で指名し、前田は広島から単独指名を受けた。もし千葉ロッテに入っていたらどうなっていたか…
それにしても正直なところ、前田がこれほどの投手になるとは思いもしませんでした。投手より野手の方が伸びるのでは、という評価もありましたし。今では私も「前田、(俺に)サイン書いてくれるか」ですからね(笑)。それでも私が佐久長聖の監督になり、長野に拠点を移してからも、長野に遠征に来れば、必ず連絡をくれます。
前田には「侍ジャパン」でも中心になるなど、プロの第一線でやっていることに感謝して、おごることなく日々レベルを高めながら、1年でも長くプレーしてほしいと思っています。
ついにロサンゼルスドジャースの入団が決まった前田 健太投手。近年の実績はまさにプロ野球ナンバーワンピッチャーに相応しい成績である。憧れだったMLBの舞台。前田投手が背負う「18」がドジャー・スタジアムで輝くことを大いに期待したい。
(取材・構成=上原 伸一)
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