札幌第一高等学校(北海道)【前編】

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 過去3回夏の甲子園に出場した札幌第一が、2015年の秋の全道大会を制した。全道大会で常に上位を争う同校だが、意外にも秋は5回目の決勝進出で悲願の初V。札幌支部予選から全道大会までの8試合で失点はわずか8と固い守りで接戦を勝ち抜き、新たな歴史を作ったチームはどのように誕生したのだろうか。

どん底からのスタート

菊池 雄人監督(札幌第一高等学校)

 全面人工芝にブルペンを完備した真新しい室内練習場(25メートル×20メートル)には、ティー打撃やマシン打撃の心地よい音が響き渡っていた。秋季全道大会で初優勝したチームのモチベーションは、オフシーズンに入っても高い。だが、緊張感と活気であふれた練習を見つめる菊池 雄人監督(43)が照れくさそうに明かしたのは、意外な事実だった。

「新チームの練習が始まっても、しばらく放心状態でした。キャプテンを誰にするのか、いつから本格的に始動するのかも決められなくて。新聞も見なかったですし、高校野球の“こ”の字も見たくない心境。まさにどん底でしたね」

 母校を過去3回夏の甲子園に導いた菊池監督にこれほどのダメージを与えたのは、夏の敗戦だった。

「個々の能力も高かったし、精神的にもいいチーム」が、夏の札幌支部予選準決勝で札幌南に逆転負け。12年夏の甲子園出場後、毎年もどかしさを感じ、昨年3月の宮崎合宿では、元横浜高校部長の小倉 清一郎氏を招いて指導をお願いした。やれることはやり、手応えもあったチームがまさかの支部予選敗退。それも2点リードで迎えた8回裏に一挙5点を失うという悔しい敗戦だった。

 就任15年目で受けた最大の衝撃に現実逃避の気持ちがあったのかもしれない。7月中旬、菊池監督は専修大に進んだ教え子の優勝祝賀会に出席するため、上京した。南北海道大会出場なら欠席していたはずの祝賀会を終えると、翌日には高校野球神奈川大会の試合をふらりと見に行った。そして夜には東京ドームで行われていた都市対抗野球を観戦。

「他の県の試合を見る機会はなかなかないので見てみようかなと。祝勝会以外はノープランで東京に行ったのですが、結局行くところは野球しかないんだと気がつきました。いつまでも引きずっていられない」敗戦から2週間を経て、やっと気持ちの整理をつけた。

 菊池監督が不在の間、札幌にいる選手たちは大掃除に追われていた。30年前に建てられた野球部専用室内練習場の大改築のためだ。練習場にあったものを選別し、廃棄したり移動したり。指導者の心のリセットと時を同じくして、環境面でも再スタートとなった。

[page_break:異例づくしの組織づくり]異例づくしの組織づくり

練習で指示を出す川村 友哉マネージャー(札幌第一高等学校)

 まずは新チームの組織づくりだ。菊池監督の頭に真っ先に浮かんだのは、マネージャーの人選だった。

「私立強豪校ではマネージャーがキャプテン以上に重要。これまでは、自分から言い出す子を待ったり、けががきっかけになったりしていましたが、あいつしかいないと思い、東京から帰ってすぐに本人に話をしました」

 指名を受けたのは川村 友哉(2年)。新チームでは選手としてベンチ入りも狙える状況だった川村は、1週間悩んだ末に受諾した。

「3年生のマネージャーに相談に行った時に『チームを裏でまとめる人間が必要。お前は人を動かす能力もあるし、まとめる能力もある』と言われたことが決め手になりました」と先輩に背中を押されて、裏方に徹する覚悟を決めた。

「自分は監督側から見ていますが、やっている方は何を言われているのかわかっていないなと思うことがあります。そういうことをきちんと伝え、覇気のある練習を目指しています」と言う川村マネージャーは、今や指揮官の右腕としてチームに欠かせぬ存在になっている。

 マネージャーが決まると、残りの人選は早かった。前チームから公式戦に出場していた上出 拓真投手(2年)を主将に指名。過去に投手を主将にするケースは少なかったが、川村マネージャーが“陰の主将”を務めることで上出の負担を減らすことができると菊池監督は判断した。プレーヤーとしても活躍できる可能性があった選手にマネージャー転身をお願いしたのが異例なら、エース兼主将も異例、そして副将を4人置くのも異例のことだった。

 7月末から始まった練習試合では、けが人が多かったこともあり、なかなか結果は出なかった。チームとして形になってきたのは8月の東北遠征から。周囲がはっきりわかるほど、上出にエースとしての自覚が出てきたのだ。「夏までは後ろに先輩がいるという気持ちだったと思うが、一人で投げきらないといけないという感じになってきた」と菊池監督は振り返る。

 投手がしっかりすると、チームがまとまる。打線も1年生4番の高階 成雲左翼手が結果を出し、エースと4番というチームの軸ができた。それでも「手応えは最後の最後までなかった。必死に1戦ずつ戦いました。余裕の“よ”の字もかった」と指揮官は打ち明ける。「本当に弱い」というチームがライバル校を次々に撃破して、秋初優勝という快挙を成し遂げたのだから高校野球は不思議だ。

「このチームは自分たちでいろいろ感じてやってくれた。弱いけれど、いい意味でつながろうとする姿勢がある。誰かがけがをしても誰かがカバーするとか、試合でも割と集中打が出る傾向にある。うまくないけれど、強くないけれど、粘りはついてきたのかなと感じます」と菊池監督は振り返った。

 全道大会優勝の背景には、まずチームの核となるマネージャー、主将の人選があった。後編ではそこから次々と強豪校を破っていった戦いの模様を振り返る。

(取材・写真:石川 加奈子)

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