アジア大会に臨んだU-21代表はベスト8止まりだったものの、足下の技術がある長身CBの岩波など、将来的な可能性を感じさせる人材も目についた。(C) Getty Images

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 3世代の日本代表がアジア各国との真剣勝負に臨み、図らずも全チームが“アジア8強の壁”に行く手を遮られた。日本サッカー界の育成に突きつけられた重い現実……。この3世代の戦いすべてを現地取材した、スポーツライターの浅田真樹氏が、各年代別代表に共通する問題点をあぶり出す。
 
【U-21日本代表photo】アジア大会招集メンバー
 
 今秋、U-16、U-19、U-21、それぞれの日本代表がアジアの年代別大会に臨み、揃って準々決勝敗退に終わった。
 
 U-16、U-19については、来年開かれる世界大会の出場権獲得に失敗。U-19代表が出場権を逃すのはこれで4大会連続となり、両代表がともに世界大会に出場できないのは91年以来のことである。
 
 一つひとつがそれぞれ十分に衝撃的な敗戦だったにもかかわらず、わずか2か月足らずの間にそれらすべてが集中すると、ショックの大きさは何倍にも膨らむ。なぜ日本はこれほどの“惨敗”を喫したのだろうか。
 
 実際に現地で3大会を取材した印象として、まず言っておきたいのは、日本の育成が全否定されなければならないほど、ネガティブな材料ばかりではなかったということだ。
 
 例えば、CB。日本ではサイズのあるCBの人材不足が長年指摘され続けているが、3世代の代表を見ていると、かなり状況は改善されているように感じる。
 
 しかも、単にサイズがあるというだけでなく、U-21代表の岩波拓也やU-19代表の中谷進之介のように、足下の技術も安定したCBが増えている。これは育成年代において、各クラブや高校が地道な活動を続けてきた成果だろう。
 
 また、U-16代表の阿部雅志や、U-19代表の奥川雅也のようなドリブラーが各世代に現われてきていることは、育成の多様化が進んでいることの証明だ。とかく個性がないと言われがちな日本の選手だが、彼らのように国際試合でも決め手となれるレベルの選手が出てきていることは明らかな変化だと言える。
 
 だが、その一方で、CBと同様に日本での人材不足が指摘され続けているストライカーについては、依然として課題が残ったままだ。点取り屋の存在がいかに重要であるか。そのことは、偶然にも3世代すべてで行なわれた日韓戦が物語っている。
 
 U-16ではイ・スンウを擁した韓国が勝利し、U-19では南野拓実を擁した日本が勝利。日韓ともに点取り屋の人材に乏しかったU-21(韓国はU-23だったが)では、PKによる1点のみで韓国が勝利した。つまり、必ずしも試合全体の内容とは関係なく、何年かにひとりというタレントの存在が勝負を決したわけだ。
 
 こればかりは育てようと思って育てられるものではないのかもしれないが、ストライカーの有無が勝敗の大きな決め手となっている以上、やはり看過はできない。偶発的なタレントの出現を待つばかりでなく、もっと育てるという感覚が必要だろう。
 
 具体的に言えば、昨今重視されているパス技術ばかりでなく、シュート技術がもっとクローズアップされるべきだ。相手DFが前にいる時、どうすればシュートコースを開けられるのか。どういうタイミングでシュートを打てばGKはタイミングを取りづらいのか。そういったことが当たり前に浸透していってこそ、突出したストライカーも現われてくるのだと思う。
 とはいえ、日本の惨敗の原因はストライカー不足にある、と結論づけるつもりは毛頭ない。気になった問題はもっと他にある。今回、3世代の日本代表の戦いぶりを見ていて、一番気になったのはメンタル面の問題だ。
 
 メンタルと言うと、球際の激しさなどと結びつけられて、どうしても闘争心や戦う気持ち、ひいては根性や精神力といったことと混同されがちだが、ここで言いたいのはそれだけの話ではない。あえて言うなら、「試合に臨む心構え」とでも言うべきものだ。
 
 例えば、U-19代表が韓国を下したU-19アジア選手権のグループリーグ最終戦。負ければグループリーグ敗退という瀬戸際で、日本戦では普段以上の力を発揮してくる韓国を相手に勝利したのだから、彼らの精神力が弱かったはずはない。
 
 ところが、それ以外の3試合はどこか淡泊で勝負に徹し切れていなかった。そんな印象を受ける。要するに、メンタル・コントロールがうまくできていないのである。
 
 サッカーに限らずどんな競技であれ、世界の頂点に立つチームや選手がすべての試合に同じ気持ちで臨んでいるとは考えにくい。ワールドカップやオリンピックの決勝であれば、むしろ相応のテンションの高さが必要であり、それをパワーに変えることが必要なのだ。いつも以上に集中力を高め、神経を研ぎ澄ます、といったところだろうか。
 
 しかし、日本の選手は感情を抑え、平常心でいることをよしと考えるせいか、よくも悪くも常に淡々とプレーしている(ように見える)。挙句、時に抑え切れなくなるほど感情の起伏が大きくなると、ガクッとパフォーマンスが低下してしまうのだ。
 
 要するに、試合の重要度を理解していれば当然起こりうる緊張感や気持ちの高まりを、プレーの向上につなげることができていないのである。
 

 先のブラジル・ワールドカップがいい例だ。日本選手は初戦のコートジボワール戦を前に気持ちが高まっていたし、試合の重要性も痛いほど分かっていた。しかし、だからこそ動きが硬くなり、キレを欠いた。
 
 それとは対照的に、そもそも当然起こりうるはずの緊張感や気持ちの高まりがあったのかどうか疑わしいのが、U-16アジア選手権の準々決勝で韓国に敗れたU-16代表だ。
 
 試合後、ピッチ上でさほど悔しさを見せることのなかった選手たちは、バスに乗り込んでからも韓国選手と笑顔で手を振り合っていた。それまでに何度も手合せし、気心が知れ、仲良くなっていたのだろう。だとしても、彼らの様子を見ていると、この試合で勝つと負けるとではどれほどの違いがあるのかを正しく理解していたとは、とても思えなかった。
 
 ある意味において、彼らは平常心で戦っていたのかもしれない。だが、そのことが重要な一戦に臨むに当たってプラスに作用したとは考えにくい。メンタル面で正しい準備をしていたならば、試合後にこうした反応にはならなかったはずである。
 
 これに関連して最近の育成年代の選手を見ていて気になるのは、感情表現の乏しさだ。
 
 勝ってもさして喜ばず、負けてもさほど悔しがる様子はない。本人にしてみれば、感情を抑えて平常心で戦っている、という感覚なのかもしれないが、実際のところはやせ我慢や無感情に近く、結果として感情の高ぶりをパワーに変えることの妨げになっているのではないだろうか。
 
“勝負弱さ”は世代を問わず、しばしば指摘される日本の弱点だが、そこにはこうしたメンタル面の問題が大きく影響しているように思う。
 
 サッカーにおいて、技術、戦術が重要なのは言うまでもないが、それらを実践するのは生身の人間である。その人間が存分に力を発揮できるだけの精神状態になければ、どんなに優れた技術や戦術も宝の持ち腐れでしかない。
 
 特に慣れない環境で行なわれる国際試合においては、メンタル面での準備をいかに整えておくかが勝負の分かれ目でもある。劣悪なピッチコンディションでミスを多発するなど、日本の選手がアウェーゲームになると途端にひ弱さを露呈するのも、メンタル面の影響と無関係ではあるまい。
 
 以前に比べて他国が力をつけ、日本のアドバンテージが小さなものになっている(あるいは、なくなっている)以上、メンタル面の問題に対してもっと繊細であるべきだ。そうでなければ、いつまで経っても同じことを繰り返すばかりである。
 
文:浅田真樹(スポーツライター)