Jリーグが2015年シーズンから2ステージ制に変更することを発表すると、各スタジアムではサポーターが反対の横断幕を掲げ、各メディアも批判的な論調の記事を掲載した。だが、時が経つにつれ、2ステージ制への議論は薄まっていく。

 それは、日本プロサッカー選手会会長である佐藤寿人が、「納得する、しないではなく、僕たちは決められたレギュレーションで、プロ選手としてしっかり戦っていくだけ。選手たちも理解を深めていくことが必要だし、前を向いて戦うというポジティブな考え方を持っていきたい。1シーズン制が一番なのは、すべての人が理解していること。ただ、これからの発展を考えた時に、ポストシーズン制導入は避けて通れない道だと思った」と2ステージ制を受け入れる発言をしたことも影響しているだろう。

 選手たちが前に進んでいるのならば、サポーターはそれをサポートする。不満がなくなれば、世論は収まる。そうなると、多くのメディアが取り上げなくなるため、今や「2ステージ制」というワードを目にすることはほとんどない。だが、2ステージ制に対する佐藤のコメントには続きがある。

「ACLの出場権や、ポストステージの開催方法、年間順位の決定方法、降格の考え方など、まだ決まっていないことが多い。選手たちが不満を持って戦うことがあってはならないので、それらはこれから議論を重ねてクリアしていかなければならない」

 つまり、まだ議論を終わらせるのは早い。特に、完全優勝を果たせないレギュレーションになっていることは、問題視すべきだろう。

 Jリーグが開幕時から採用してきた2ステージ制だが、1997年から、両ステージの優勝クラブが同一の場合はそのクラブを年間優勝とし、チャンピオンシップは開催しない規定となった。

 このルールにより、ある意味で2ステージ制でも、リーグ戦に近い形で優勝を収められることになり、これが選手たちの一つの目標となっていた。

 それを物語るのが、黄金期を築いたジュビロ磐田選手たちのコメントだ。

 磐田選手たちは、99年シーズンの優勝は、「モヤモヤがあった」と振り返っている。というのも、年間総合順位では清水エスパルスが1位だったからだ。「年間総合順位のチームがリーグ優勝とならないのはおかしい」という批判の声があったことを磐田の選手は知っていた。

 そして、2001年シーズン。磐田は、年間総合順位で2位に17ポイント差をつける圧倒的な力を見せ付けたが、チャンピオンシップを制したのは鹿島アントラーズだった。磐田は清水と同じ苦汁をなめることになる。

 迎えた2002年シーズン。磐田選手たちは開幕前に話し合う。

「99年、2001年シーズンと悔しい思いをした。だから、2002年シーズンは、チャンピオンシップをやらなくていいように、2ステージ共に1位をとって、完全優勝してやろう」

 その言葉通り、磐田は2001年同様に勝ち点差をつけ、年間総合順位だけでなく、両ステージでも1位となり、完全優勝を成し遂げた。彼らのなかで、それは本当の意味でのリーグ制覇だったと教えてくれる。

 しかし、2015年シーズンから復活する2ステージ制は、完全優勝を認めていない。それは、あまりにも選手たちへのリスペクトを欠いたレギュレーションではないか。競技メインではなく、ビジネスメインに偏重しすぎている。

 選手たちは1ステージ制がベストだと思っている。それでも、Jリーグ側のビジネス面を考慮して、2ステージ制を受け入れた。その2ステージ制からは、レギュレーション、日程も含め、選手たちへのリスペクトが感じられない。

 こういった構図を見ていると、本来は選手のために作られたJリーグが、Jリーグのために選手を振り回しているように映ってしまう。

 誰のためのJリーグなのか。今回の問題の本質として、“Jリーグ事務局改革議論”も是々非々で論じるべきである。議論を終わらせるのは、まだ早い。

◇著者プロフィール:石井紘人 Hayato Ishii
C級ライセンス・三級審判員の資格を持つ。自サイトFootBall Journal(fbrj.jp)にて『審判批評』『インタビュー』『Jリーグ紀行』『夏嶋隆コラム』を更新。審判員は丸山義行氏から若手まで取材。中学サッカー小僧で『夏嶋隆氏の理論』、SOCCER KOZOで『Laws of the game』の連載を行なっており、サッカー批評などにも寄稿している。著作にDVD『レフェリング』『久保竜彦の弾丸シュートを解析』。ツイッター:@FBRJ_JP。