■天皇杯最大のサプライズ

第91回天皇杯全日本サッカー選手権大会に於ける最大のサプライズは京都サンガF.C.だった。鹿島アントラーズと横浜F・マリノスを撃破し、J2中位からの決勝進出。
率いる監督は大木武。2006年にJ1昇格を果たし、一大センセーションを巻き起こしたヴァンフォーレ甲府の、当時の指揮官だ。

娯楽性と勇気に富んだ大木サッカーの進化版を世間は期待した。大木監督は大木監督で「甲府をJ2に降格させた十字架を負っている」と、今度はいいサッカーを見せるだけではなく、勝たなくてはならないと自らに高いハードルを課していた。

大木サッカーを象徴する言葉として用いられた「クローズ」という単語を、京都では封印した。フットサルのように狭いゾーンを設定してその内側でショートパスを廻す戦術は、躍進の記憶だけでなく惨敗の記憶とも結びつけられていたからだ。

甲府のときそのままではない、京都のサッカー。開幕前のキャンプでは中盤の巧い選手たちが流麗にパスを廻し、宮吉拓実や中山博貴がウラに飛び出し、現在のプロトタイプのような成果の一端を見せていた。2月18日の練習試合対ジュビロ磐田戦では、主力組が出場した90分間は1-1の引き分け。意気軒昂に鹿児島合宿を打ち上げた。

■序盤のつまずきとそこからの巻き返し

ところが開幕戦で負け、いきなりつまずいた。東日本大震災発生の翌週に京都を訪ねると、大木監督は会議に召集されるところだった。のちに知ったところでは、その時点で唯一の公式戦である開幕第1節の黒星についてひとことあったらしい。

リーグ戦が再び開幕してからも敗戦はつづいた。今季J2に降格してきた京都は昇格候補と目されていたが一年でのJ1復帰はならず、勝ち点58の7位でシーズンを終えた。

しかし7位とは言っても、10試合を消化したJ2第16節(2〜7節は東日本大震災のため順延)の時点では勝ち点8でブービーの19位だったチームである。そこからいかな巻き返しがあったか、想像するのはたやすいだろう。
9月10日のJ2第27節でFC東京に1-6と大敗を喫した時点では16位だった。そのあとのリーグ戦14試合を10勝3敗1分け。終盤の強さは本物だった。

27節にしても、序盤の10分は完全な京都ペース。強烈なプレッシングで押しまくり、先制点をもぎとった。以後はその時間帯が長く伸び、試合そのものを支配するに到った。

ゴール裏からこの変遷を見守ってきたサポーターのひとり、サポーター倶楽部エタニティエイド代表の林孝信さんはこう語る。
「シーズンの初めから人もボールも動くアクションサッカーを標榜してやってきたんですが、この戦い方は難しく、若い選手、新人も多いということで、実現は簡単ではありませんでした。それが、いまようやく浸透してきた。できれば天皇杯に優勝して、ことし(12年)J1に上がれるようになってくれるといい。内容? 十分満足です。でも結果を出さないとダメですね」

──前半戦に負けが込み、不満を抑えるのはたいへんではなかったですか?
「不満だらけですよ。誰もが不満を抱えていました。でも信じて戦うしかない。方向性は決してまちがっていないと思うんです」
──誇らしいですか?
「誇らしいです。まだまだ完成はしていませんが、このサッカーがしっかりと根づいてくれたら、J1でも十分通用する。たとえノックアウト方式の一発勝負だからという前提があるにしても、J1を倒したことで実力が身についてきたことは証明できている。今後もこのサッカーをつづけてもらって、J1に定着できるチームをつくってもらいたい」

■猛烈なプレッシングと素早いパス交換

ディエゴを期限付きで放出して京都サンガF.C. U-18出身の若手を中心に据えた先発メンバーにシフト。大木監督のイズムと戦術が浸透し、土台を築いた。目先のJ1昇格よりも、未来に投資をした恰好。そのリターンを受け取る機会が早くも天皇杯決勝に巡ってきた。