11月23〜26日、38年ぶりにローマ法王が来日する。6年前に南米アルゼンチンから初めて選ばれた新法王・フランシスコは今、世界中で人気だ。比較文化史家・竹下節子氏は「就任早々さまざまな改革に乗り出した。カトリック教会のあり方を鋭く批判して多くの人々の共感を呼んだ」という――。

※本稿は、竹下節子『ローマ法王』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。

写真=iStock.com/Birute
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■597年ぶりの「生前退位」で誕生した新法王

2013年3月13日の午後、5回目の投票で、新法王フランシスコが選出された。午後7時6分、白い煙が上がり、鐘が鳴り始めた。新法王が選出されて、それを受諾したという合図だ。雨もようのサン・ピエトロ広場にはすでにかなりの人が集まっていたが、ローマ中から老いも若きも家族総出で駆けつける人がどんどん増えてきた。

ヨハネ=パウロ2世の死に続くベネディクト16世の選出の時と違って「葬儀」の重々しさは引きずっていないから明るい雰囲気だ。みんなが大喜びで興奮している。巡礼団はそれぞれの国の国旗を振っている。

ブラジルの旗が目立ち、「譬(たと)えは変ですけれどサッカーの選手権のような騒ぎです」とTVのレポーターが形容するほどだった。予測にはブラジル人枢機卿の名も挙がっていた。

「VIVA IL PAPA(法王万歳)」の幕がすでにあちこちで振られている。これが大統領選の結果待ちなどなら、勝者が決まると同時に敗者の陣営も決まるわけだが、法王選は一体誰と誰が最終的に決定投票に残ったのかすら誰も知らない。

ローマ法王の生前退位に触発されたかのように、この年、ヨーロッパの王室ではオランダ、ベルギー、翌年のスペインなど国王の「生前即位」が続いた。新王の即位なら、王位継承者が誰なのかはみなが知っているが、法王選出の場合は、白煙が上がってから名の発表までには1時間ほどのタイムラグがある。

■謙虚な人柄で人々の心をつかむ

この間に新法王はすべての枢機卿を祝福し、みなが祈り、新法王は嘆きの間と呼ばれる更衣室で自分の背負うことになる重荷を前にして一人泣くことになっている。そして3種のサイズのある法王用の白服やら赤い靴を選んで着替えてからバルコニーに出ていくのだ。楽隊が大聖堂の前に進み、スイスの衛兵たちもそれに続く。

フランス人のトラン枢機卿が出てきて名前とフランシスコという新法王名を発表した。これまでローマ法王で一番多く使われた名は23世までいる「ヨハネ」だ。新しい名によって、新法王は国籍などを超越した「ローマ司教」となるのだ。

その人物はイタリア移民の両親を持つアルゼンチン枢機卿のホルヘ・マリオ・ベルゴリオだった。聞きなれない名に広場の人々は一瞬戸惑った。すると、笑みを浮かべた新法王が姿を現し、ローマ市民にローマ司教としてあいさつし、前ローマ司教のためにまず祈りましょうと言い、「私がみなさんを祝福する前に、神が私を祝福してくれるように祈ってください」と言った。

法王に祝福してもらうのを待っている信者たちに、「祈ってください」と頼んだのだ。去る時にも、「おやすみなさい、みなさん、ゆっくり休んでください」と家族のように声をかけた新法王は化学、文学、哲学、神学を修め、スペインやドイツにも留学した碩学(せきがく)だけれど、その謙虚な人柄は一瞬で人々の心をつかんだ。

■バスや地下鉄を利用。自炊もこなす質素な暮らし

中継で「カトリックという巨大組織の頂点に立つローマ法王というよりは、世界中の信者の司祭さんという感じですね」と述べたコメンテーターもいた。コンクラーヴェに入る前の評議会では今後の改革について政治的な議論がかわされたけれど、そこでもこのアルゼンチンのベルゴリオ枢機卿の真摯(しんし)さが際立っていたという。

信者数でいうと世界のカトリックの半数以上を占める南米大陸出身のはじめての法王の誕生は、カトリックの新しい時代の到来を期待させた。イエズス会士はじめての法王であることも注目された。

イエズス会はその組織力や実行力やネットワークに優れているし、新法王はアルゼンチンの軍事独裁政権に対しても徹底的に抵抗してきた人だ。婚外子の洗礼を拒むアルゼンチンの司祭を批判したという柔軟な人間性も知られている。

歴代法王初の「フランシスコ」という名は、清貧に徹して中世のカトリック界を刷新したアッシジのフランチェスコに由来する。ブエノスアイレスでも公用車に乗らずに公共機関を利用し、自炊をし、質素な暮らしを守り、いつも貧しい人の側に立っていたという新法王にふさわしい。

南米にはヨーロッパなどとは全く別のタイプの貧困があるから、それを現場で知っている人は強い。2001年の聖木曜日にブエノスアイレスの病院でエイズ患者12人の足を洗った(最後の晩餐の前にイエスが弟子たちの足を洗ったことに因(ちな)む洗足式)姿も何度も紹介された。

■どんな権力者にも忖度しない

実際、就任後のフランシスコの人気は高まるばかりとなった。保守化が目立った晩年に病で苦しんだヨハネ=パウロ2世や学者タイプでコミュニケーションが円滑にいかなかったベネディクト16世の後で、ユーモアを忘れずシンプルに率直にものを言うフランシスコは、同時に、徹底的に弱者の側に立ち、どんな権力者をも忖度(そんたく)しないからだ。

就任前にはヴァティカンに常駐したことのないはじめての法王として、前任者には困難だった「改革」にもすぐさま乗り出した。就任1カ月後には、ホンジュラスのマラディアガ枢機卿を中心にした法王庁改革のための評議会を設置、関連基本法の改革も委託した。

歴代法王の慣習である夏の別荘でのバカンスもとらずにヴァティカンに残り、6月にはヴァティカン銀行(IOR)の腐敗を終わらせるための評議会を設置し、7月にはヴァティカン初の会計監査委員会を設置することを発表し、これまでの「イタリア式」の不透明なやり方を簡素化、合理化すると明らかにした。

この3つの決定の他に、宿舎で挙げる毎日のミサの中で少しずつ、「外見だけの信者」や「酢漬けピーマン頭の司祭」などという言葉を使って批判し、続く7月にブラジルで開催された世界青年の日大会では何百万人もの若者たちを前にして、「カトリック教会はこれまで世界を自分の基準にのみ照らして裁くただの監視行政機関になってしまっていた」と批判した。

■「人生をバルコニーの上から眺めていてはいけない」

そんなカトリック教会を不毛だとして多くの人が去っていったのは教会全体の責任であり、それらの人々のとった道と再び交わるように、信者も聖職者も教会から外へ出ていかなくてはならない、という。

法王は、若者たちの連帯に期待している、世界を変えるためには政治的にも社会的にも「現場」に関わるようにと言った。人生をバルコニーの上から眺めていてはいけない、社会を変えるために動け、イエスもそうした、と語った。教会を惰眠から覚醒しなくてはいけない、と。

当時のブラジルは翌年のサッカー・ワールドカップ、その2年後のオリンピックの開催利権が、経済格差をより深刻なものにしていたのだ。リオからローマに戻る機内でも、ジャーナリストから同性愛者についての意見をたずねられ、自分にはそんなことをどうこういう権威などない、みな兄弟だ、という趣旨の答えをし、女性の役割の重要性もコメントしている。

このような忌憚(きたん)なき言葉は、エスタブリッシュメントとしてのカトリック保守派からは当然歓迎されなかった。

前任者たちが成しえなかった「聖域なき改革」に手をつけたフランシスコは、実際、アメリカ最大のスポンサーであるコロンブス騎士会のジェブ・ブッシュなどをはっきり敵に回してしまった。フランシスコが選出されたことにはアメリカの民主党が関わっていたという陰謀論も生まれたほどだ。

■共感、福音による教会改革

それは日本のようにキリスト教がマイノリティである国と似ていなくもない。日本のカトリックの中には、「ミッションスクール出身のお嬢さま」が上流の男性と結婚した後、ブルジョワ教区の教会に通って社交に励んでいるというケースがある。そんな教区では「社会派」の司祭の話などはもちろん歓迎されないし、教会に政治を持ち込むなとも批判される。

カトリック文化圏の国でも、カトリックがブルジョアや貴族のアイデンティティとなっている教区は少なくない。それなのに、カトリックのトップに立つ法王が、信徒に向けて、「教会を出ろ、辺境に行け、無関心の地に行け、政治を変え、社会を変えろ」と言いはじめた。それを一種のスキャンダルであるかのように受け止めた人々がいるのは無理もなかった。

だからと言ってフランシスコがいわゆる「革新」というわけではない。就任後、司祭の結婚を許可しろとか修道女の叙階を認めろなどという山のような手紙を受け取ったが、そんなことは本質的な問題ではない、と言い切っている。

今や時代に合わない教会の設計思想を改革することは必要だが、それはより人間的な共感の精神、福音に拠るものでなくてはならない。現代社会に合わせて宗教をイデオロギー化することでもないし、「主との出会い」という超越を捨てた「自己啓発」のツールにするのでもない、と言っている。

■人気を増大させた「言行一致」

実は、2人の前法王たちも同じことを言っていた。フランシスコの特徴は、同じことを実践して見せるところだ。リオへの往復では左手に膨れた黒い書類カバンをしっかりつかんで飛行機に乗った。一国の「元首」の公式旅行では絶対に見られない図だ。そのことをジャーナリストに指摘されて、「私はいつも旅行の時に自分のカバンを持っていた。普通です。普通じゃなきゃだめですよ!」と答えた。

このような「言行一致」は、カトリックやキリスト教世界を超えてフランシスコの人気を増大させた。けれども前任者のように法王宮殿に住まず食事も絶対にひとりでとらないと決めたことについて、毒殺のリスクが減るから正解だ、と語る関係者もいる。

キリスト教の根本にある「清貧」を貫いて生きるのはやはり革命的なことであって、いつ粛清されてもおかしくない危険をはらんでいるのかもしれない。2019年には、アメリカのカトリック保守サイト「ライフサイトニュース」で、19人の神学者たちが司教たちに向けてフランシスコ法王の異端を糾弾するよう署名運動を開始した。

■「ハウツーもの」と似ても似つかない説教

竹下節子『ローマ法王』(KADOKAWA)

それでもフランシスコの精力的な笑顔と行動は多くの人々を力づける。深刻な顔で「罪を悔い改めよ」とか「地獄に堕ちる」などと叫ぶような「クリスチャン」を忌避する人々でも、フランシスコの裏表のない信仰の秘密を知りたくなる。

フランシスコの説教は、人生を成功させる指針を語る「ハウツーもの」の言説とは似ても似つかない。悟りや、健康意識や、危機管理などのさまざまな戦略の成果ではないからだ。

冷戦後にグローバル化した世界での「成果主義」とは逆の方向にある。信仰というのは自分を磨いたり高めたりパワーアップすることではなくて「自分の外」に出ることだとフランシスコは言い切っている。

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竹下 節子(たけした・せつこ)
比較文化史家・バロック音楽奏者
東京大学大学院比較文学比較文化修士課程修了。同博士課程、パリ大学比較文学博士課程を経て、高等研究所でカトリック史、エゾテリスム史を修める。著書に『フリーメイスン』(講談社)、『戦士ジャンヌ・ダルクの炎上と復活』(白水社)など多数。
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(比較文化史家・バロック音楽奏者 竹下 節子)