今年の7月、東兵庫大会で報徳学園に惜敗した長田高校(写真:長田高校提供)

野球は番狂わせが少ないスポーツである。それは、高校野球においても同様だ。特に参加高校が多い都市部に近づくほど、その傾向は顕著になるといえるだろう。公立高校と、日本中のシニアやボーイズリーグなどから野球留学が行われている強豪私立校の差は年々広がっている。

ところが、兵庫県の公立進学校において、異例といえるチームの存在をご存じだろうか。

2016年春の選抜高等学校野球大会、21世紀枠で初の甲子園出場を果たし注目を浴びた長田(ながた)高校だ。同年夏の兵庫大会では、甲子園に出場した市立尼崎高校と接戦を演じた。

今夏の100回大会では東兵庫代表として出場する兵庫の雄・報徳学園に、ベスト8で1対0の惜敗。2010年から夏大会では、3度のベスト8進出を果たしており、激戦区・兵庫において、公立高校の中でも確たる成績を残し始めている。

長田では選手たちが育っている

そんな長田高校では、2016年は甲子園を沸かせた園田涼輔(現・筑波大学)、今年は最速147キロ右腕の橋本達弥とドラフト候補の投手が“育って”いる。橋本は報徳学園との一戦で、今秋のドラフト1位候補の好打者、小園海斗を三振含む4打数無安打と沈黙させ、報徳打線を3安打に抑える圧巻の投球を見せた。スポーツ紙・高校野球担当記者は報徳戦を振り返り、橋本の能力をこう評価する。


圧巻のピッチングを見せた橋本達弥(写真:長田高校提供)

「橋本君は、小園君を含め強打者そろう報徳打線にまったく自分のバッティングをさせなかった。

今日のピッチングであれば、高校生ではまず打てない。大阪桐蔭も取材していますが、強打の桐蔭でも、今日の彼を打ち崩せるイメージが湧かないですね」

特筆すべきは、橋本が投手として本格的な練習を始めたのは1年夏からということだ。

2年時の腰椎分離症、3年時に再度の分離症などを含め約半年も戦列を離れており、実質1年で投手として急激に成長している。また、先述した園田にしても、中学時代はまったく注目を浴びる存在ではなく、2年秋から突如頭角を現し、県下の強豪校相手にも三振の山を築いた。

部員のほぼ全員が軟式上がりで、シニアの経験者もごく少数という長田では、当然ながらスポーツ推薦は1人もいない。だが、近年の成績や好投手を排出しているのは決して偶然ではない。進学校が強豪私立と互角に戦える理由はどこにあるのか。その背景を探った。


長田高校の野球部の部員たち(写真:長田高校提供)

長田高校は、偏差値70に届く県下の公立高校としては有数の進学校だ。今春に卒業した野球部からは、京都大学1人、大阪大学5人、神戸大学4人の現役合格者を出している。

野球部員たちも、大学進学を見越して同校を選択する。当然、野球部にもスポーツ推薦や特待生はいない。

それゆえ、入学時の戦力は一般的な公立高校と大差ないといえるだろう。

野球部の監督を務める、永井伸哉氏は毎年入学してくる野球部員たちの能力をこう分析する。


長田高校野球部について説明する永井監督(筆者撮影)

「ウチに入学してくる時点で、中学時代から注目を浴びていたというような選手は皆無に等しい。それどころか、いわゆる完成度の高い選手が入部することも極めてまれです。

硬球(シニアリーグ出身)経験者も年に1人いればいいほう。むしろ一般的な公立高校と比較しても、能力面だけ見ると低いといえるかもしれません。

だから、部員たちはまずは、体力づくり。守備や走塁といった基礎練習から始めます。ただ、彼らは良い意味で染まってないんですね。だからこそ、吸収も早いし、考える能力を備えている子は多いとは感じています」

思考力を鍛える指導方法

長田高校の練習時間は短い。塾通いの生徒も多く、練習に当てられる時間は実質放課後の2〜3時間程度だ。そんな環境の中でも、選手たちは急激な成長曲線を描いている。その秘訣は集中力と思考力を養うことだという。永井監督が続ける。

「野球と学業の両立は口でいうほど簡単ではありません。膨大な量である、学校の課題をこなすだけでも大変ですから。ただ、それもあってかウチの生徒たちは、時間の大切さを理解している面はある。貴重な時間を使って野球をしている、という意識があるんです。

だからこそ、野球は野球。勉強は勉強とはっきりと線を引くことができます。たとえば練習では必ず当日の目標、中期的な目標、チーム目標を掲げて意識をすることは続けています。明確な目標を持ち解決方法を探すこと、1つのことに打ち込む際の集中力は高いものがある。2年前の園田、今年の橋本にしても1年時の夏の段階では130キロに届かない投手でした。自分で考えることをやめず、高い集中力を維持し、自発的に動いたからこその成長です」

2年前の夏、大会前の園田に何度か話を聞いた。大会直前のケガに泣き、まともな練習すらできなかった中でも、こう話していた。


永井監督の指導風景。文武不岐とは「勉強と野球は一体。どちらも高い目標を掲げ、持てる力を出し切ろう!」という意味だ(筆者撮影)

「正直、ケガの状態はよくありません。ただ、甲子園に出るには自分が1人で投げ抜くつもりです。今の状態でも、抑えることはできる。たとえば、初球で打者の反応を見て、そこで打者の狙っている球種を探るんです。

だいたい打者の反応で狙い球がわかりますし、相手の裏を突く投球ができればチームを勝利に導くことができる。考えた野球をすれば、上を目指せるはずです。チームメイトも(2016年春センバツの)甲子園を経て、たくましくなっていますから」

高校生とは思えない野球脳を感じさせる発言も、長田だからこそ養われた感覚かもしれない。

今年のエースであった橋本も、1年夏時点では野手として出場していた。現在は本格派右腕として140キロ台半ばのストレートに、一級のスライダーとフォークを操り、コントロールも抜群だが、投手を始めた段階ではコントロールは決して良いとはいえなかった。永井監督はいう。


今年の夏の大会を終えた後の集合写真(写真:長田高校提供)

「橋本はプロへ、という意識が強く、自発的に取り組むことに長けた選手でした。ケガと勉強との兼ね合いから、あまり練習できていないなかで、大幅に球速を伸ばしつつあれだけの変化球とコントロールを身につけるのは並大抵ではない。

指示待ちではなく、自発的にプロの選手のトレーニングを学び、その中でどのトレーニングが自分に合うか、という“試す力”がありました」

永井監督の指導は、生徒に「これが正しい、こうすべきだ」と答えを明示することは少ない。過程の中で、ヒントを提示することはあっても、最終的には自分で考えて答えを出さないと劇的な伸びは期待できないからだ。

就任当初は、大声を荒らげて怒りを爆発させるシーンもあったというが、思うような結果はついてこなかった。今では生徒たちの自主性と思考力を養うため、極力指示は出さないようにしているという。

定石的な野球ではなく、打ち勝つための練習を

公立校が私立に勝つための慣例は、ロースコアゲームで守り勝つことだろう。

だが、長田の場合、逆説的に練習では打撃練習に重きを置く。永井監督はその理由をこう説明する。

「公立高校で守備の堅いチームというのは限界があるというのが私の考えです。守備のミスは確かに流れを変えますが、ウチの場合はそのミスが多くていちいちダメージを受けていたらキリがないんです(笑)。

それに守り勝つ野球では、1度流れが相手にいった際に引き戻すのが極めて難しいという面もある。まずは野球の楽しさを選手に知ってもらう意味でも打撃練習にかける割合が多いです。好きなことは上達も早いですから。まずは“打てる”という意識を植え付けることからスタートです」

さらに永井監督が熟考したのは、いかに生徒の探究心を刺激するかということだ。まじめで研究熱心な生徒が多いという特徴からも、理論や方法論に明確な正解がない打撃練習は、思考力を鍛えるという意味で着手しやすいポイントでもあった。監督が目をつけたのは、生徒たちの数字面の強さだった。

野球部の黒板には、こんな文字が並んでいる。

セーフティバント4.2秒、クイック1.2秒、捕手から3塁への送球1.7秒、20メートルダッシュ3.15~3.45秒。

これは単なる1例に過ぎず、各プレーに細かい数字設定がいくつかある。選手たちは、これらの数字や自身に課せられた数字を頭に入れ、日々の練習に励む。

野球部に所属する生徒の半数以上が理系と、理系脳が占める割合が多い。それも手伝い、数字やデータがもたらす説得力は大きく、生徒たちの胸にストンと落ちた。

こうして、データを意識したID野球は効果を上げていくことになる。練習中のティーバッティングや、シート打撃でも“分析担当”と言われる部員が、タブレットで動画を回し、フォームのチェックやスイングの軌道を細かく確認する。レギュラーの選手が、試合に出場できないメンバーにアドバイスや改善点を求め、意見を交換する。そんな真摯な姿勢も、長田野球部のスタイルである。

また、進学校らしく他校のデータ分析にも余念がない。2016年夏は、大堺利紀君という学生マネジャーが主な役割を担っていたが、分析力の高さには思わず舌を巻いた。


学生コーチの大堺君(左)(筆者撮影)

配球や得意コースはもちろん、細かいクセや苦手コース、意識までまとめる分析力は思わず目を見張るものがある。伝統的に、分析班は長田にとってなくてはならない存在でもある。

数字は裏切らない――。接戦を制してきた長田にとって、データは拠り所でもあり、強みにもなっている。

一方で、ベスト8の壁を久しく破れていないことも永井監督にとっては、課題でもあるという。

取材の最後に、強豪校に勝つために必要なことは何か、とストレートな質問をぶつけてみた。

「うーん、こればかりはどこの高校でも同じだと思いますが、明確な答えは出ませんね。それほど、現在の高校野球界において私立と公立では差があるといえます。ただ、その中で自分たちがこれまでやってきた方向性や理論は間違っていなかった、とは感じています。

限られた時間や環境、戦力でどう戦うか。そのための方法論やどこまで自分たちの色を出すのか。私自身も、長田の野球があと一歩という所まで来ているという自負はあります」

練習できないハンデを強みに変えた早大学院

一方で、強くなっていく過程の野球部に在籍していた選手はその要因をどう捉えているのか。私立の早稲田大学高等学院(早大学院)はその例としてわかりやすいはずだ。

2010年頃から急激に力をつけ、2010年夏は西東京大会でベスト4、秋は東京都でベスト8、2011年夏も東京都でベスト8に進出した。今年の夏は、早稲田実業に西東京大会3回戦で敗れた。2009年の段階では、夏は2回戦、秋は1次予選敗退、翌春は1回戦敗退していることを考慮すれば、短期間で劇的にチームが変貌したといえるだろう。

早大学院も私立でありながら、野球部ではスポーツ推薦で生徒を採ることはしない。若干名のシニア経験者はいたが、同地区の早稲田実業、日大三高などの面々と比較すれば、決して野球エリートたちの集まりではなかった。当時のチームの主力であった、永野優太氏はこう述懐する。


早大学院OBの永野氏(筆者撮影)

「チームが劇的に変わったのは、1年夏(2009年)に監督が木田茂さんに替わってからですね。それまでのチームはどちらかといえば大味で、守備も打撃も“そこそこやるよね”という程度のチームだったんです。それが、監督の意向でとにかく守り抜くという方針に変わったんです。

あとは、日大三高、前橋育英、仙台育英といった強豪校との試合経験を積めたことで、自分たちの意識も変わっていった。

部員たちが、『俺たちの野球は強豪にも通用する』という自信が持てるようになり、野球に対する取り組み方に変化が生まれた。1年が経つ頃には、まったく違うカラーのチームになっていましたね」

当時の早大学院は徹底して守りに重点を置いたチームだった。大量得点は望めないが、守備力に長け、ミスが少ない、堅実な野球を展開した。

早大学院が力をつけていった背景

前出の長田高校と対照的だが、これはそうせざるをえなかったという言い方もできるだろう。

早大学院は、ほかの部活と共同でグラウンドを使用する関係から、放課後のバッティング練習が一切できない。マシンやバッティングピッチャーを使った練習は、朝練で1日60球に限定されている。学校規定により朝練を行うのが週2日なので、計算的には週に1人20球のみだ。バッティングに充てる絶対的な時間は少なく、これは圧倒的なハンデといえる。

それでも、早大学院が力をつけていった背景にはこのハンデがうまく作用した。永野氏は言う。

「バッティングに充てられる時間は少なかったし、絶対量も足りなかった。ただ、その環境が選手たちに『それでも俺たちは強いと証明しよう』という、モチベーションにもなった。ハンデがあるからこそ、短い時間の中でみんなが非常に集中することができた側面もありました」

バッテイング練習がほとんどできないという環境が、これまであいまいだった早大学院の野球を形づくった。俺たちのチームには、一試合の得点チャンスは3回ほどしかない。そのすべてを何が何でも点につなげる――。

部員たちの意識は統一され、バントやスクイズ、エンドランなど小技や守備の練習に費やす時間が増えていった。結果的に鉄壁の守備を誇り、接戦に強いしぶといチームが出来上がったという。

近年の高校野球は、番狂わせが少なくなった。強豪私立と、それ以外の高校の差は今後も簡単には埋まらないだろう。

高校生は何かのキッカケで爆発的な成長を見せ、特に進学校が強豪校を凌駕するケースも散見される。その背景にあるのは、強豪校では考えられないハンデや環境を、自分たちの工夫で乗り越えてきたからこそで、偶然やラッキーという言葉で片付けられるものではない。そんなドラマも高校野球の醍醐味であり、人々の胸を熱くさせるのだ。

(文中一部敬称略)