東京五輪、「経済効果」の発揮は簡単ではない
2020年に開催される東京五輪は、日本全体に良い経済効果をもたらす期待をかけられています。ただ、そううまくいくとは限りません(写真:gandhi / PIXTA)
2020年東京五輪は、日本の「失われた20年」を取り戻し、成長を加速させるチャンスになる――。この可能性に希望を抱く人や企業はたくさんあるだろう。
東京都が2012年に発表した推計によると、東京五輪によって2013年から2020年までに、東京都内だけでも約1.7兆円、日本全国で約3.0兆円の経済波及効果があるという。また、大和証券も同期間でなんと150兆円の経済波及効果があると発表した。
もちろん、どこまでを「経済波及効果」ととらえるかによって、分析結果が変わることはあるだろう。それでも、この景気の良い数字に気分を高揚させてしまうのは私だけではないと思う。
当然のことだが、経済効果を期待されるのは、何も東京五輪に限ったことではない。どの五輪でも「人」「モノ」「カネ」「情報」が大量に動くので、経済効果は必ず見込まれるし、そこに可能性を感じるのは、当然だ。
五輪で良い経済効果を出すのは、簡単ではない
しかし、実際はそれほど単純な話ではない。過去の事例を見ても、五輪によって経済が活況になるとの予測の裏で、失敗してしまった国家や企業が存在していることをご存じだろうか。その失敗の原因は明確だ。
それは、五輪という「甘い果実」しか見えなくなった組織の「近視眼的な戦略・投資」、そして、「利益の先食い体質」。イソップ物語の「アリとキリギリス」の話はご存じだろう。失敗の共通原因は、いわば「キリギリス」的な思考や姿勢であった。
具体例を挙げていこう。1976年、カナダで開催された「モントリオール五輪」。当時、五輪に心を躍らせた市長・組織委員会は、世界初といわれた開閉式屋根の巨大な競技場を計画。当初予算の6倍に跳ね上がったものの、建設は実行された。しかし、その後、なんと数回程度しか屋根は開閉されなかった。その上、この競技場を本拠地とした野球チーム、大リーグのモントリオール・エクスポズは撤退、米国に拠点を移してワシントン・ナショナルズに名を変えた。その巨額な投資に見合う活用はされていない。
2000年のオーストラリア「シドニー五輪」でも手痛い失敗があった。11万人収容できるとされた巨大スタジアムは、五輪後1年間で稼働したのは、わずか7日間のみ。その結果、民間の運営会社、スタジアム・オーストラリアは、約9億円の赤字となった。その後、命名権の売却がなされ、2002年からはTelstra(電話通信会社)スタジアム、2008年からはANZ(銀行)スタジアムとなり、民間企業による改修が進められている。
2008年の「北京五輪」はどうだったか。当時、五輪の活況の波に乗ろうと「鳥の巣」というメインスタジアムが約340億円で建設され、話題を呼んだ。五輪後は、スポーツの試合やイベントの開催での利用機会はほとんどなく、維持費の大半は観光客の入場料で賄うことになっている。ただし、2010年までは年間450万人程度の入場者数があったものの、その翌年には、半分程度まで減ってしまった。
そして記憶に新しい2016年の「リオ五輪」。約900億円かけて建設した選手村は、大会後は民間住宅として販売される予定だったが、3604戸中たったの6.6%の240戸しか売れず、販売は中断されたという。また、自転車とテニスの会場は、大会後は民間に管理権を譲渡する計画だったが、入札には1社しか参加せず、譲渡は中止された。
いずれも「オリンピックは儲かる」と盲信し、五輪後の世界を冷静に見抜けないままに近視眼的な戦略・投資を行った結果だ。では、日本はどうだろうか。残念ながら、過去にはこれと全く同じことが起きていた。
1998年「長野五輪」のお寒いその後
1998年、合計10個ものメダルを獲得し、日本全土に感動をもたらした「長野五輪」。その当時は活況に沸いた長野。しかし、時が経てば、それも忘れられてしまう。大会後の長野は「負の遺産」との戦いの日々を送ることとなった。
当時、長野市は、長野五輪のための施設建設などに、約1180億円にも上る金額を拠出した。それだけの金額を投じて、豪華で巨大な施設が誕生した。しかし、開催から2年後には、全ての施設が赤字経営に陥った。さまざまな施設活用の施策を試すものの、現在でもその維持運用費がかさんでいる状況だ。
こうした結果になる可能性は、長野五輪による経済効果が叫ばれる中で、全く指摘されていなかったのか。いや、そんなことはない。
長野五輪前年の1997年の9月時点で、外国人報道関係者が利用する「メディア村」の建設によって約7億円の赤字が出ることはすでに報道されていたし、五輪4施設は収入1億1000万円に対して、管理費はそれを大幅に上回る7億3000万円を見込むことも報道されていた。だが、そのまま突き進んでしまった。そして、20年近く経つ今も、その財政的な負担による懐の寒さをずっと味わい続けている。
ここまで見てきたように、五輪という「甘い果実」に惑わされ、近視眼的な視点に陥って失敗した事例は枚挙にいとまがない。だが、唯一、こうした「キリギリス型思考」による失敗に陥らず、将来を見据えて五輪をうまく活用した「アリ型思考」の成功事例がある。
それが、2012年に行われたロンドン五輪である。その五輪の経済効果は総額7兆円だったと言われている。経済効果の多寡に関する考察は他の研究に譲るとして、実は、もっと注目すべきところがある。特に、注目すべき点は次の2点だ。
ひとつは、経済効果約7兆円のうち、「五輪後」の経済効果が約4.1兆円であり、五輪前よりも大きな割合であること。もうひとつは、経済効果の内訳のうち「貿易・対英投資の増加」が約3.5兆円と、およそ半分を占めていることだ。
この注目すべき2点からわかる、成功の要件がある。それは「五輪の先を見据えた成長モデルを構築すること」だ。至極当たり前に聞こえるかもしれないが、この要件が、先述した各国五輪の失敗例では確実に抜けていた。
失敗例において、重視されていたのが何かというと、「五輪の活況時だけを見た投資・商品設計」である。しかし、ロンドン五輪は違った。
「五輪」を1つの通過点ととらえていたからだ。「ブリティッシュ・ビジネス・エンバシー」という対英直接投資と英国企業の海外展開を促すPRイベントを開催し、各国の重要人物を囲い込む戦略を採った。五輪を自国全体のマーケティングイベントとして活用したのだ。
五輪を「点」でなく「線」でとらえる発想
ここには、明らかに五輪を「点」ではなく、「線」としてとらえ、長期的な利益を取りに行く狙いを見て取れる。五輪を契機に、イギリスへの積極的な投資を誘致して五輪後も発展できるような市場環境を整備し、五輪後に海外に自社の商品やサービスを展開できるようにする。これこそ、五輪の甘い果実をすぐに取ろうとせず、将来にわたって長く味わおうとする「アリ型思考」である。
この結果、英国では旅行者1人当たりの消費が、五輪前後で7%も向上したそうだ。そして、ロンドンオリンピックによる経済波及効果は2020年までに約14.1兆円まで拡大すると推計されている。当然、この指針に沿って活動を行った企業も、五輪で衰退するどころか、生き残り、発展を遂げていくことは想像ができる。
ロンドン五輪に見る「アリ型思考」を、2020年東京五輪でも持つことができるのか。そして、その思考に基づいた、戦略を立案、実行できるのか。
この視点の差が東京五輪で衰退するか、あるいは、生き残って発展を遂げるかを決めていくと言える。では、具体的にどのような戦略に落とし込んでいけばよいだろうか。「日本を持ち帰る」というテーマで、「種まき→育成→刈り取り」のステップで、アリ型思考に基づいた戦略の一例を考えてみよう。
まず初めの"種まき"は、「顧客訪日前の話題醸成」である。それは、東京五輪にあやかるビジネス展開をするといったような、短絡的なものではない。東京五輪で訪日する顧客そのものに着目し、「日本にはこんな商品があるのか」という関心を事前に獲得することが重要だ。
海外に向けて、訪日したくなる理由や動機付けを事前に仕込んでいくことで、開催時の短期的な効果も期待できる。今や、SNSで世界中の人々とすぐに気軽に繋がることができる。訪日外国人を迎えるうえで、国内インフラの整備も重要ではあるが、その前にまず、アピールしたい商品・サービスを発信しておくのが得策だろう。
次の"育成"は何か。「訪日時の高品質体験の提供」である。興味を持った訪日客に対して、他国では真似できない高品質を目指し、満足度の高い体験やサービスを実際に提供することだ。この体験を通じて、顧客の心に、自社商品・サービスを深く浸透させる。それと同時に、その体験や経験を自国にも「持ち帰らせる」工夫をする。
こうすることで、五輪が終わった後も、顧客の生活の延長に自社商品・サービスが広がっていく。2013年、IOC総会でオリンピック・パラリンピック招致に向けて、日本が伝えた「おもてなし」の精神。我々は、どこまで訪日外国人の心をつかむことができるのか。それが試される。
そして、最後の"刈り取り"は「帰国後ビジネス」だ。「日本で得た思い出の追体験」がキーワードになるだろう。
国内向け商品にも海外展開の可能性
たとえば、日本で抹茶をたてる体験をした訪日外国人は、五輪後にはコーヒーメーカーならぬ、「抹茶メーカー」の購買意欲が増すかもしれない。これまで茶道に親しんだ国内シニア層向けだった商品が、「日本で得た思い出の追体験」を目的に、意外にも訪日外国人に大ヒットする可能性だってあるのだ。これをラッキーパンチではなく、「狙って仕掛けて当てる」のが重要だ。
このように、アリ型思考に基づき「種まき→育成→刈り取り」というステップをしっかり踏めば、時間は掛かっても、五輪を成長機会として確実に生かすことができる。
2020年まで、あと3年。企業の中期ビジョンや、それを達成するための戦略はまだ変えられる。目先の3年ではなく、5年先、10年先を見据えて、2020東京五輪をどう活用するかこそが、大切なことだ。
先に紹介したアリ型思考に基づいた戦略は、あくまで一例だ。大切なのは、五輪という目先の甘い果実に惑わされず、長期的な発展をするために舵を切ることである。
五輪を「点」で見るのではなく、「線」で見てみる。そうすることで、既存ビジネスの中にも、たくさんの選択肢や可能性が広がっていくはずだ。
そうするためにも、2020東京五輪に向けて、まずは政治や社会、そして経済やテクノロジーに起きている足元の変化をできるだけ正確にとらえる必要がある。そして、そこを基点にして、五輪後にはどのような日本になっているのかを推察していくのが、次に進むべきステップになる。