ポートレート代わりに菅付さんが使用しているイラスト。描いたのはフランス人イラストレーターのフローランス・デガ(Florence Deygas)で、『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』(スピルバーグ監督)のオープニングタイトルを手がけたことで注目を浴びたクリエイター。

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編集が日常的な行為となり、その技術や知識が誰にでも必要なものとなった今、読んでおきたいガイドブック『はじめての編集』(アルテスパブリッシング)。著者である菅付雅信さんのインタビュー後編では、あまり知られていないヨーロッパでの編集者事情や菅付さん自身のキャリアの積み方などを訊いた。

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日本のロールモデルはヨーロッパにしかない

ーー菅付さんはイベントのプロデュースや個展の開催など、紙やウェブに留まらない編集もされているのが面白いなと思っていたんです。

菅付 今まで編集者は比較的恵まれていたから、紙媒体でコツコツ働いていればフリーでも食えたんです。でも状況は変わり、複合的なポートフォリオがないと生きていけなくなった。ミュージシャンも同じで、CDだけでなくライブやグッズ販売やCMへの楽曲提供とか、色々な仕事を合わせて生活しているでしょ。だから僕らも、トークイベントや編集を教える仕事や広告もやらないといけない。

ーーでは戦略的に仕事の幅を広げていったんですか?

菅付 そうしないと、もう生きていけないかなと思ったんです。もしくはヨーロッパのように、コンサルティングもできる編集者になるか。

ーー編集者がコンサル業をする?

菅付 ヨーロッパでの編集者は人脈も教養もあるコンサルタントとして認知されていて、本業の雑誌編集で稼ぐ額のほうが少なかったりするんです。特にファッションやアートの人はその傾向が強いですね。フリーランスで数年単位の契約をしている人が多くて、スポーツ選手に近いかもしれない。

ーーそうなんですか! アメリカはまた違うんですか?

菅付 マーケットが大きいから、編集だけで食っている人もまだ多いですね。ニューヨークにはコンサル的な動きをしている人もいるけど、ヨーロッパほどではない印象です。

ーーというと、これから日本の編集者が目指す先はヨーロッパ型なんですかね。

菅付 まさに、日本のロールモデルはアメリカではなくてヨーロッパにしかないと思ってます。でも業界に「変わってください」って言っても無理なんだから、結局は個々が変わるしかないですよ。

先輩から盗むのが唯一の近道

ーーいい編集物を作るために、今まで欠かさなかったことや日課ってなにかありますか?

菅付 当たり前のことだけど、本や雑誌はとにかく読みますね。少なくとも移動中は必ず読む。特に僕はジャンルを限定せずに幅広くやっているので、各分野の専門誌や洋雑誌を読むようにもしています。

ーーそれは、情報が早いから?

菅付 そうですね、日本の雑誌は洋雑誌を見ながら企画会議をしていることが多いんです。それらを見てつくられた雑誌を見て企画を考えるとさらに遅くなっちゃうし、メジャーな総合誌はもっと遅いですから。

ーー例えばどんなものを読めばいいですか?

菅付 ファッションなら「American VOGUE」「Italian Vogue」はマストで、できれば「French Vogue」も。アートなら日本の「美術手帖」もいいけど、やっぱり「Art Forum」かな。若いカメラマンの情報は「i-D」が豊富で、インテリアやデザイン全般なら「Wall Paper」、海外の話題の人物については「Interview Magazine」ですね。国内だと専門誌なら、食は「料理通信」、ファッションなら「WWD JAPAN」、写真なら「コマーシャル・フォト」、広告なら「ブレーン」などを毎号見ています。あとは専門系のウェブもいろいろ見てますね。

ーー菅付さん自身はどう編集を学んできたんですか?

菅付 仕事をしながら勉強するしかなかったですね。僕は今まで幻冬舎の見城徹さんやスーパースクールを運営している後藤繁雄さん、ロッキング・オンの渋谷陽一さんのような一流の編集者の方々と仕事をしてこれたから、彼らに現場で怒られたり失敗したりしながらも、仕事ぶりを間近で見ることができた。編集者が成長するにはそれしかないと思います。

ーー先輩から盗んで、経験を積む?

菅付 それが唯一の近道ですよ。だから若い人は目標となる編集者を複数見つけることが大切だと思いますね。

ーーいつから編集業をやられているんですか?

菅付 昔から雑誌が好きだったので、大学1年の時に趣味でミニコミを作っていろんな編集部に送っていたんです。そうしたら月刊宝島の編集長から「遊びにきな」と連絡を頂いて、そのままバイトをすることになったのが始まりですね。すぐに原稿も書かせてもらうようになって、まったく学校に行かずに働いてました。当時の宝島には町山智浩さんがアルバイトでいて、赤田祐一さんも編集部に出入りしていた時期ですね。

マスコミに入るのは表門だけじゃない

ーー学生のうちからライターとして書いていたんですね。

菅付 でも、当時は全然珍しくなかったんですよ。その後『GORO』(小学館で1974年から1992年に発行していた男性誌)でもバイトを時々するようになるんですけど、ターゲットが20歳前後だからスタッフもその年代が多かったし。大学3年の頃には3社くらい掛け持ちでバイトしていて、大学も4年の時に中退しちゃいました。

ーー就職して出版社に入ったんじゃないんですね。

菅付 有名な編集者って、中途採用やバイト上がりの人が多いんですよ。見城さんも元は角川書店のバイトだし、マガジンハウスで『an・an』や『GINZA』の編集長を勤めた淀川美代子さんは最初はお茶汲みだったし。だからちゃんと就職できなくても、この業界で活躍する道はいくらでもあるんですよ。僕はマスコミに入るのは表門だけじゃないって、若い人によく言いますよ。

ーー菅付さんの場合は、バイトからどうキャリアを積んでいったんですか?

菅付 大学に行かずに、とにかく働いてたんです。土日も含めて毎日3時間くらいしか寝ずにテープ起こしや原稿書きをひたすらやっていて、最高月に45万は稼いでたかな。当時は今までの人生で一番いい酒を飲んでましたよ。能天気な学生だったから、入った分だけ使っちゃたんですよね(笑)。服やデートではなく、お酒と本に全部使いました。

ーーまだ20歳そこそこですもんね。

菅付 でも不思議な縁で、角川書店に頼まれたテープ起こしを持って行ったら当時「月刊カドカワ」の編集長だった見城さんに偶然会うんです。だから「大学を辞めようと思うので、仕事ください、よろしくお願いします!」って言ってみたんです、すごく軽い気持ちで、まさかこんなバイトに仕事なんてくれないだろうと思いながらね。でも2週間後に電話が来て、「2時間後に編集部に来い」って言うから行ってみたら、もう名刺ができてた。それで、いつの間にか契約社員として働くことになっちゃったんです(笑)。

ーー今じゃありえない話ですね。

菅付 それくらい勢いのある編集者もいてほしいですけどね。でも僕は色々な出会いで編集者としての経歴を積んでこれたわけですけど、まずは自分でやってみることが大事。それがすべてですよ。

ーー菅付さんもミニコミを作ったことから始まったわけですしね。

菅付 御託はたくさん並べたけど、本当にやってみるしかない。水泳と同じで、クロールの技術だけを本で読んでも、実際にプールに行って試してみないと泳げないでしょう。でも、人よりもうまく泳ぎたいのなら、しっかりした知識を身に付けた方がいいと思うんです。だからこの本は、プールに入ってみたけどうまく泳げなかった人や、もっと早く泳ぎたい人の助けになればいいなと思っています。


■プロフィール
菅付雅信(すがつけ・まさのぶ)
1964年生。『コンポジット』『インビテーション』『リバティーンズ』などの創刊に携わり、出版だけでなくウェブ、広告、展覧会までも手がける編集者。2009年には編集者としては異例とも言える、自身の作品を展示した個展も開催。現在は『メトロミニッツ』のクリエイティヴ・ディレクターも勤める。過去の著書に『東京の編集』『編集天国』がある。
菅付さんが手がけた作品のフリーマーケットを2月4〜5日に青山ユトレヒトで開催予定。詳細は以下URLで。
WEB:http://www.sugatsuke.com/
Twitter:@masameguro