映画監督としても高い評価を受けているお笑いコンビ・ガレッジセールのゴリさん。来年始めに公開される映画『かなさんどー』にも注目が集まっています。「第40回モスクワ国際映画祭」に出品された前作『洗骨』と同様、家族の死を描いた背景には、実母の死が色濃く影響しているといいます。(全4回中の3回)

【写真】「鼻がそっくり!」美人だった亡き母とゴリさんの2ショット ほか(全17枚)

生まれて初めて母親とふたりきりで過ごした48時間

映画撮影中のゴリさんこと、照屋年之監督

── 前作の『洗骨』では、人が亡くなってから4年後、家族がその骨を丁寧に洗うという粟国島の風習「洗骨」を中心に、登場人物たちの一筋縄ではいかない人生が描かれています。最後のシーンでは思わず声を上げて泣いてしまいました。ゴリさんが死生観を意識したきっかけはありますか?

ゴリさん:母の死の影響は大きかったです。母が亡くなった後、お通夜のために沖縄に帰ったんですね。僕は、2時間で燃え尽きる長い線香の火を消さないように見張りをしながら、48時間、畳の部屋で母の遺体の真横に寝転んでいたんです。うとうとして目が覚め、母の顔を見ながら髪をなでていたら、それまで母の髪を触ったことなんてなかったなと気づいて、「こんなに細くて柔らかったんだ」って。でも、体は冷たくて。「やっぱり死んでいるんだよな」なんて思いながら、ずっと添い寝していました。

こんなふうに長い時間、母と一緒にいたのは初めてで。僕は6歳のころから大阪の叔父叔母に預けられて、母と離れて暮らしていたから、やっぱり母を恋しく思ったことはありました。それに、うちはもともと共働きで、小さいころから両親は家にほとんどいなかったから、母と一緒に過ごしたり、甘えたりという記憶もほとんどなかったんですね。

映画『洗骨』は、2019年にトロント日本映画祭 最優秀賞を受賞するなど映画界で高い評価を得た

── それは寂しかったでしょうね。

ゴリさん:そうですね。だから、亡くなった母の隣で添い寝していたとき、「こんなに母ちゃんと一緒に過ごすのって生まれて初めてかも」なんて考えて。それで、「でも俺、この人がいなかったら生まれてないんだよな、母ちゃんもその母ちゃんが生んでくれたんだよな」って、どんどん自分の中で命がつながっていって。それがきっかけとなって、『洗骨』の脚本を一気に書き始めました。「祖先が生きることを諦めず、命のバトンを子孫に渡し続けたから今、俺がいるんだ、すげえ」って。そうした実感があったから、映画を通して「死と誕生」を描くことができたんだと思います。

あの脚本が書けたのは本当に母のおかげ。だから、エンドロールには「照屋エミに捧ぐ」と献辞を載せました。親父と兄貴2人は、劇場で映画を観たときにそれに気づいて号泣したらしくて。試写会後、長男が運転する車で帰宅したときに、親父がポツリと「俺も死んだら洗骨してもらいたいな」って言ったそうです。そしたら長男がすかさず「洗骨はめんどうだから火葬で」って返したらしくて(笑)。実際、父は火葬で見送りました。ごめんな親父。

「親は完璧」だって決めつけていた

── 来春公開予定の映画『かなさんどー』のキャッチフレーズは「本当の両親のことを知っていますか?」だそうですね。どうしてこの言葉を選んだのでしょうか。

ゴリさん:母が亡くなった後、母が書いた手紙が出てきたんです。それを読んだ親父が「あいつだってこうだったんだ」と暴露話を始めたりして(笑)。まさに、親の知らない顔を垣間見たわけですが、子どもとしては当然、聞きたくないことだってある。特に小さいころって、親のことを勝手に美化しているじゃないですか。「親は完璧な人間」「ちゃんとしてるのが当然」って理想を押しつけていたなと、大人になった今はわかるんですけど。

最愛の母との貴重な2ショット

父ちゃんと母ちゃんだって人間だし、男と女なんですよね。長い人生、生きていたらいろんなことがあったと思うんですよ、きっと。そういうのがいろいろ垣間見えたときに、イヤな気持ちにもなったこともあるけれど、でもそんなのは一瞬で、「父ちゃんと母ちゃんだって人間だもんな」って思ったんです。

来春公開の映画『かなさんどー』は、そういう自分の経験も踏まえて、「本当の両親を知っていますか」とか「許す」というテーマになった気がします。どちらかというと、『洗骨』では母のことを書いて、『かなさんどー』は父のことを書いたのかな。はっきりとは言えないけど、冷静に考えると、主人公がうちの親父に近づいてきているな…と感じます。

「TOSHIYUKI TERUYA」と名前が入ったディレクターズチェア

── お父さまが映画のモデルになりつつあるんですね。

ゴリさん:そうですね。親父ってすごく自由な人で。僕ら3兄弟は、母に何回も「おとうとは別れろ」って言ってたんです。それでも、母はいつも「あの人は優しい人だから」って取り合わない。当時はそうやってかばう意味がわからなくて、「もっとけなせばいいのに」って思っていました。

そんな親父は、好き勝手なことをしていたくせに、母が亡くなった瞬間にすごく弱くなっちゃって。「ああ、やっぱりこの人は母ちゃんがいるから自由でいられたんだな。帰ってこられる港があるから遠洋漁業に行けたのかもな」って腑に落ちた気がします。

母が亡くなった後も、親父は「今日はお母さんどこにいるんだ?」って聞いてきて、僕は「もうおかん、死んだやろ」って答えたりして。亡くなる少し前に認知症も始まっていたんですけど、「人生の終盤に思い出すのは母ちゃんのことなんだな。だったら、母ちゃんが元気なときにもっと優しい言葉をかけてやれよ」って思っちゃったり。でも、それが人間なんだろうなと思ったりもします。

PROFILE ガレッジセール・ゴリさん

本名・照屋年之(てるや・としゆき)。1972年、沖縄県出身。1995年に相方の川田広樹さんとお笑いコンビ・ガレッジセールを結成。バラエティ番組、ドラマなど、芸人としてだけでなく俳優として、また2009年からは監督した映画が高い評価を得る。2025年年始めには、照屋年之としての監督映画『かなさんどー』が公開予定。プライベートでは2児の父。

取材・文/高梨真紀 写真提供/ガレッジセール・ゴリ