K-BALLET TOKYO『マーメイド』

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熊川哲也 K-BALLET TOKYO Autumn Tour 2024『マーメイド』が2024年9月8日に東京文化会館 大ホールで初日の幕を開けた。その後、名古屋・大阪・札幌公演を経て、9月21日からはいよいよBunkamuraオーチャードホールにて再び東京公演がおこなわれる(10月6日迄)。このほど、本作の初日ステージを鑑賞した小田島久恵氏からそのレポートがSPICEに寄せられた。ご一読いただければ幸いである。(SPICE編集部)


【動画】K-BALLET TOKYO『マーメイド』初日公演映像


これは今まで誰も見たことのない究極のバレエ・ファンタジー…。古典作品の斬新な改訂やオリジナル・ストーリーのグランド・バレエの傑作を作り続け、日本のバレエの最先端の魅力を世に問うてきた熊川哲也とK-BALLET TOKYOの最新作は『マーメイド』(全二幕)。アンデルセンの童話『人魚姫』を題材にしながら、そこに新しいキャラクターやエピソードを盛り込み、目も眩むほど豪華な美術と衣裳できらびやかな宝石のようなファンタジー・バレエを完成させた。

世界初演となる9月8日は完売公演で、会場は上野の東京文化会館。本作で演出・振付・台本・音楽構成を手掛けた熊川は、観客全員が席についた後、客電が落ちる直前に、一階席の中央を通って自身の座席に向かった。5階まであるギャラリーからもハリウッド・スターを見つめるような熱い視線が注がれ、大歓声が巻き起こる。普段は目立たないように公演を見守る熊川にとっては珍しい。

一幕は海が見える港町の酒場が舞台で、プリンス(山本雅也)とその友人たち(堀内將平、栗山廉)が酒場の女たちや男たちと陽気に過ごしている。山本・堀内・栗山の三人がやんちゃな感じで踊る様子は『ロミオとジュリエット』のロミオ、マキューシオ、ベンヴォーリオの三羽烏のようだ。

©︎Yoshitomo Okuda

若者たちの動きはぴったりと揃い、跳躍力や回転のバネが卓越していて、ユーモラスな演劇性も感じられる。船乗りたちの五人群舞は跳躍も高く、酒場の女たちの賑やかな踊りも高い技術を感じさせる。八人の女たちのうち三人は娼婦で、衣裳も異なり酒場の妖しい雰囲気を暗示している。プリンスは高貴な身分ながら、こうした気楽な者たちとも楽しい時間を過ごす、自由で公平な性格の持ち主なのだ。

父である王から短剣を渡され、幻の大クジラを仕留める航海に出るプリンス。第二場では悪魔的なルックスのシャーク(石橋奨也)が登場し、『白鳥の湖』のロットバルトさながらのダークでデモーニッシュな踊りを見せる。船の甲板に現れるプリンスを海から見て、一目で恋に堕ちるマーメイド(飯島望未)。

©︎Yoshitomo Okuda

イルカの群れを荒らしに来たシャークをプリンスが一突きにすると、怒りの魔術にも思えるような大嵐が巻き起こりプリンスの乗った船は沈没していくが、この波の渦の表現が長い帯のような布を持ったダンサーたちの動きによって表現されていたのが面白かった。バレエの世界でプロジェクション・マッピングが流行りかけた頃、熊川はあくまで「舞台芸術」としてのバレエを演出すると語っていたが、この「人力」の波の渦はその言葉を思い出させた。

打ち上げられた浜辺に横たわるプリンスをうっとり見つめるマーメイドは、あどけなく純粋で「人間とはなんと美しいものなの」とでも言いたげな表情を見せる。隣国のプリンセス(日郄世菜)とお供たちがプリンスに近づき、目覚めたプリンスが彼女を命の恩人と勘違いするくだりは、モーツァルトの『魔笛』の三人の侍女のシークエンスを思い出させる。

©︎Yoshitomo Okuda

一幕四場はバレエ前半でもハイライト的なシーンで、ここで観衆は幻想的な海の世界へと一気に引き込まれる。マーメイドの仲間であるカクレクマノミ、サンゴ、ロブスターたちもダンサーによって演じられるが、その姿や動きは今までバレエの世界では見たことのない不思議な美しさに溢れている。衣裳を手掛けたアンゲリーナ・アトラギッチはこの海中の生き物を表現するために何枚ものスケッチを描き、素材にこだわり抜き、唯一無二のシルエットを創り出した。

©︎Yoshitomo Okuda

ロブスター(栗原柊)はそのユニークな姿のまま見事なグランフェッテを披露し、K-BALLET TOKYOのダンサーらが『ピーターラビットと仲間たち』など「被り物」レパートリーのエキスパートであったことを思い出した。このシーンは信じられないことがたくさん起こり、マーメイドの父としてダイヤモンドをまとった美麗な男性ダンサーが現れたり、マーメイドの姉たちが美しい踊りを見せたり、情報量が多く二度見なければすべてを把握できないほどである。

©︎Yoshitomo Okuda

マーメイドが切ない恋心を叔母(大久保沙耶)に打ち明けると、彼女の助言でシャークのもとへ行き、人間の脚を得る秘薬を得ることとなる。一幕四場の、地上に上がるシーンのラストが感動的だが、これを初めて見るバレエファンのために詳細を書くことは控えたい。

©︎Yoshitomo Okuda

二幕はマーメイドが初めて降り立った人間の世界で、不器用に彼らの作法となじもうとする様子がいじらしい。脚をどう使ったらいいのかわからない……というバレリーナの演技は悲痛でもあり、どこか微笑ましくもあり、温かい感じの笑いが起こった。マーメイドを発見した紳士たちが「お願いだから服を着てください」と目を手で覆う場面も、このカンパニーの男性ダンサーならではの上品な仕草が素敵だった。三人の女たちが三枚の布を巻き付けて、マーメイドに即席の服を与える。

マーメイドが言葉を発することが出来ない、というシチュエーションは、実は言葉を使わずボディランゲージだけで表現するバレエだからこそ、どんなアートよりも雄弁にこれを表すことが出来た。元をたどればダンサーの誰も皆、言葉を発することは出来ないのである。マーメイドにだけ、意思疎通の難しさがあるという状況を、絶妙なマイムで全員が表していた。料理として出された巨大なロブスターを「わたしの仲間よ!」といったジェスチャーで大切に抱きかかえ、海に戻してやる場面は微笑ましく、そのロブスターの色具合がグランフェッテをしていたロブスターと同じなのもたまらなかった。

マーメイドとプリンスが見つめ合うシーンでは、お互いを懐かしく感じるような温かい音楽が使われた。この新作バレエでは、全編にグラズノフの音楽が使われており、バレエ音楽の『ライモンダ』だけでなく、シンフォニーの断片やさまざまな楽曲がモザイクのように嵌められている。編曲を手掛けた横山和也氏とリハーサル・ピアニスト兼指揮者の塚越恭平氏は、この音楽制作のプロセスで大変な苦労を抱えていた。バレエの尺に合わせて日々変更が入り、横山が稽古用のピアノ譜を書き換えると、すぐさま塚越がそれをマスターする、ということの連続で、筆者は完成間近の頃にお二人に取材をさせていただいたが、熊川監督の音楽へのこだわりが徹底していて、そのことにむしろ遣り甲斐を感じながらハードな制作をこなしていた。

©︎Yoshitomo Okuda

音楽はバレエにとって命である、ということを音楽監督の井田勝大氏も知り尽くしていて、彼が指揮するシアター オーケストラ トウキョウも熱演だった。出来上がってみるとシームレスで自然なバレエ音楽で、終演後に主役二人に質問したときも「グラズノフの音楽はとても踊りやすかった」とのことだった。

バレエは悲恋のストーリーで、隣国のプリンセスとプリンスは結婚を決め、マーメイドの想いは打ち砕かれる。物語的には「悪役」の要素もあるプリンセスは、婚約式のセレモニーで華やかな踊りを見せるが、日郄世菜のプリンセスのソロが息を飲む完璧さで、妖艶さや成熟した大人の魅力もあり、「これぞバレリーナ!」というパフォーマンスだった。役柄的には「踊り損(!)」にもなってしまいがちなプリンセスが、ラスト近くでこのようなパーフェクトなバレエの美を見せてくれると、別種の感動が生まれてくる。熊川監督に「一番尊敬する振付家は?」と質問したとき「プティパです」と答えてくれたことを思い出す。『マーメイド』は現代の振付家によって心理学的な要素(アンデルセンの同性愛など)を盛り込まれた形で振り付けられることもあるが、熊川版はプティパの路線にあるバレエなのだ。勿論プティパがこの舞台を観たらヴィジュアルの進化に腰を抜かすだろう。

©︎Yoshitomo Okuda

優れたアートであり、エンターテイメント作品。日本の新作バレエでこれほどまでの「豊かさ」を与えてくれるものもないと思われた。9月21日から会場を変えて再び行われる東京公演。少なくとも二度観たい傑作。

文=小田島久恵