カルーセル麻紀さんが『徹子の部屋』に出演。下肢閉塞性動脈硬化症、脳梗塞後の生活を語る「入院がきっかけでグレイヘアに。華やかに生きていきたい」
2024年9月6日放送の『徹子の部屋』に、タレントのカルーセル麻紀さんが出演。姉妹2人での現在の暮らしや、健康法について語ります。今回は、下肢閉塞性動脈硬化症、脳梗塞後の生活について伺った『婦人公論』2021年12月14日号の記事を再配信します。******10年ほど前、歩くことも困難になるほどの脚の痛みに襲われたカルーセル麻紀さん。下肢閉塞性動脈硬化症と診断され、以来、血管を広げるためのカテーテル手術を何度も受けてきました。そして20年には脳梗塞に。すべて血管に関係する病です(構成=丸山あかね 撮影=川上尚見)
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<前編よりつづく>
かかりつけ医に助けられて
新聞やテレビで「カルーセル麻紀がカテーテル手術によって下肢閉塞性動脈硬化症を克服し、再び13センチのハイヒールが履けるようになった」って報じられたからでしょう。病院や街中で、「麻紀さん! 私も脚がね……」と話しかけられるようになりました。
「新聞記事を読んでこの病院へ来たんです」とかね。閉塞性動脈硬化症が悪化したら切断するしかないというのが通説だったようで、つまりあたしは希望の星だったわけです。
でも血管の病は一筋縄ではいきません。だってあたし、すでに6回もカテーテル手術してますから。痛くなって手術を受けると普通の生活に戻ることができるけど、しばらくするとまた痛みが出てきて生活に支障が生じてしまう。この繰り返し。
そればかりか目にも悪影響が出てしまって、実は今、右目が見えないんです。ある朝、起きたら飛蚊症に襲われて。チラチラと黒い点が見えるというレベルじゃなくて、蜘蛛の糸みたいなのがバーッと絡み合って塊になってるような感じで、左目を閉じると何も見えないの。
慌てて近所の眼科へ飛び込んだら、黄斑浮腫だと。眼の毛細血管が詰まって、血管に瘤なんかができると、血液中の成分がしみ出してむくみが生じると説明を受けました。
眼科医は手術をすすめたけど、その言い方が冷血で、悲しくなったというより頭に来ちゃってね。眼の不具合も血管由来だとわかったので、閉塞性動脈硬化症の担当医に看ていただくことにしたんです。最初から総合病院内の眼科へ行けばよかったなと思いました。
かかりつけの医師がいる大切さ
そもそも大事なのは、かかりつけの医師がいるということ。脳梗塞になった時も、マネージャーの采配で、閉塞性動脈硬化症を診てもらっている総合病院と担当医を救急隊員に伝えて搬送してもらったんです。
いざという時、人はパニックになったり、思考停止状態になったりするので、かかりつけの病院や医師のことは紙に書いて冷蔵庫にでも貼っておくことを強くおすすめします。あたし、病院で担当医の顔を見て心底ホッとしました。
とはいえ、脚と違って頭部のカテーテル手術はやっぱりちょっと怖かった。それに、どういうメカニズムなのかは知らないけど、手から頭のほうへとカテーテルを通す時の異物感が酷くて、嘔吐したりして。でも担当医が太鼓判を押す脳外科医が執刀してくださったので、「大丈夫」って自分に言い聞かせて、すべてを委ねることができたんですよ。
病気をきっかけにグレイヘアに
現在は3ヵ月に一度通院して、MRI検査を受け、血液をサラサラにするための薬などを処方してもらっているのだけれど……。MRIの検査室が地下にあるせいか、いつも寒いの。そこへきてビキニのパンツの上に薄手のガウン一枚で検査を受けるじゃない? 途中でおしっこに行きたくなっちゃって、大変なんですよ。(笑)
はっきり言って目下の一番の悩みは尿漏れ問題よ。今日も朝から、何度行けばいいの? ってくらいトイレに駆け込んでます。あたしの場合、パブロフの犬現象で、水道の蛇口をひねってチョロチョロっていう水の音を聞くと尿意をもよおすの。下手するとちょっとちびってる時なんかもあって、冗談にならないんです。
「脳梗塞になって、洗髪できない日が続いたのでロングヘアをばっさり。毛染めもやめてグレイヘアに。これはこれで気に入ってます」
脳梗塞になってグレイヘアに
だからショッピングモールでも映画館でも、まずトイレの場所をチェックして。人前で本格的に漏らしちゃったら、と考えるとゾッとします。脳卒中より怖いのよ。対策として薄いナプキンをあててます。それだけで安心だから。
健康維持のためにしているのは体操。柔軟運動とかストレッチといった軽いものですけれど。それと、ずいぶんと前から一日一食主義に徹してます。毎日17時半からがディナータイムと決めていて、主に和食をいただくの。
和食と言っても質素なものよ。お茶碗一膳の白米とお味噌汁に、サラダと魚、みたいな。朝はヨーグルトとリンゴ酢、姉が作ってくれる野菜のスムージーを飲んで、そのあとにコーヒーを飲むという感じで、お昼はなし。
おかげで体形はずっと保ってますね。このあいだ『徹子の部屋』に出た時も、45年前に初めて出演した時のレオナールのドレスを引っ張り出して着ました。やっぱりおしゃれは楽しい。あれを着ようかしら、それともこっちにしようかしらと考えてるとワクワクするんですよ。
脳梗塞になって、洗髪できない日が続いたのでロングヘアをばっさり。毛染めもやめてグレイヘアに。これはこれで気に入ってます。大好きな赤がもっと似合うようになった気がして。あたしね、華やかに生きていきたいの。それになんだか死なない気がする。宇野千代さんの境地ね。(笑)
せっかく生きるなら健康でいたい
でもあたし、死ぬのはちっとも怖くないんです。あちらの世界には会いたい人がたくさんいますから。石原裕次郎さんとか菅原文太さんとか……。
親友というか戦友だった太地喜和子が死んで、もうすぐ30年になります。喜和子はあたしが「舞台観に行くからね」って連絡すると、その日は「今日は麻紀を泣かせるぞ」って周囲の人に言ってたらしい。楽屋を訪ねると、「さぁ飲みに行こう!」って。「あんた、化粧くらい落としなさいよ」と言っても聞かないの。
あたしたちの間に隠し事はなし。誰とやったとか赤裸々に告白しあって、豪快に飲んで豪快に笑って、すごく楽しかった。一生こういうつきあいが続くと思ってたから、喜和子が車ごと海に落ちて死んだ時は信じられなかった。あたしがあの世へ行ったら「やっと来たか」って言うわね。一升瓶片手に。
純ぺぇ(藤圭子さん)が死んだ時も驚愕したわ。とても受け入れられなかった。彼女とは事務所が一緒だったんですよ。最初は生意気そうな子だわと思ったけど、向こうがやたらと慕ってきてくれて。この楽曲はレコードのA面にしたらいいか、B面にするべきかなんてことまで、しょっちゅう相談相手になってました。
純ぺぇは麻雀が好きでね。あたしに乳飲み子預けて雀荘へ行っちゃうの。あの時の子が宇多田ヒカルだもの。びっくりしちゃうわよ。再会したら「待ってたよ〜。麻雀しよう」って言うでしょうね。あたしも会いたいわ。
でも生かされている限りは、こちらの世界で頑張らなくちゃ。せっかく生きるなら健康でいたい。やっぱり煙草、やめようかしら?