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世間から「大丈夫?」と思われがちな生涯独身、フリーランス、40代の小林久乃さんが綴る“雑”で“脱力”系のゆるーいエッセイ。「人生、少しでもサボりたい」と常々考える小林さんの体験談の数々は、読んでいるうちに心も気持ちも軽くなるかもしれません。第32回は「日記は更年期にいいぞ」です。

【写真】私の5年日記

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診察に役立つ

5年日記をここ15年近く、毎日続けて書いている。

書くきっかけになったのは飲み友達の勧めだった。常に言っていることがいい加減で、わがまま極まりない人物だが、日記に関しては真面目に話してきた。

「教師をしている母親から書くように言われたの。なんでもデータ化の時代だから、筆記することの大事さを教えたかったんだろうね。日記ね、書くと分かるけど、どんなベストセラーよりもいい読み物になるよ。自分のことがよく分かるから」

そう豪語されて、なんとなく私もはじめてみることにした。ちなみに飲み友達は引っ越したので現在、つき合いはない。2人の間に残ったのは、互いにコツコツと書いている日記だけだ。

こんなエッセイを書き、著作まで出版している人間なので“書く”という行為は好きだ。ただキーボードで打つ感覚に慣れてしまって、筆記となると思うようにはいかない。漢字は忘れて書けないし、思ったことがうまく表現できない歯痒さがある。

毎日60〜70文字。体調、天気を備考欄に記し、今日を綴る。書くタイミングはその日の終わり、翌朝、週末まとめてとペースはバラバラ。たまにサボりすぎて、インターネットで過去天気を調べて、メールやSNSで自分が何をしていたのかを振り返ることもある。“夏休みの友”をギリギリまでやらない症候群というのは大人になっても抜けないらしい。

ただ続けていて良かったことが、やっと自分の中に浮上してきた。

まずは中年になってから助かった「体調」の記入。ここは生理や不正出血、低気圧、皮膚の状態、更年期の症状、その他の疾患など、中年になれば必ず出てくる未病について記録している。生理は以前、アプリで管理していたけれど、もう排卵も気にしなくていいお年頃。いつ来たのかだけをチェックして、備える。以前もこの連載に書いたけれど、10代と同じようなことが襲ってくるのに迎え撃つ体はだいぶ弱っている。毎月の行事に、それなりの構えは必要だ。

どうにも気分が落ち込んだり、とんでもない食欲が出てきたり、希死念慮(ぽいもの)が勃発しても「あ〜、もうじき生理だもんね」と流すことができる。

病院に診察を受けるときもいつ、どんな体調で、どんな症状が起きたのかを日記から探る。余裕があれば、事前にスマホにまとめて、医師に報告ができるのだ。

「めんどくさいなあ」と言いつつ始めた、5年日記。いつの間にか私の健康を維持する伴走者だ。

たまにデスノート

日記だし、誰かに積極的に見せるものではない。好きなことを書けばいい。

書き始めた当初は、その日あった記録をそのまま記述していた。が、せっかく書いているのだから何かに繋げたいと欲が湧き出した頃。女優の吉田羊さんがインタビューで、日記にはいいことだけを書くようにしていると言っていた。そのほうが気持ちは前向きになると云々。

他の情報を探していくと、自分を毎日箇条書きで5つだけ、褒めるパターンも浮上。その他「未来日記」として「私は今日信じられないことがあって、心が震えた」と嬉しいことだけを予想して、書いている強者もいた。すげえな、日記。

百聞は一見にしかず、だ。とりあえず嫌なことを控えて、いいことだけを書くようにしてみたものの、なんだか釈然としなかった。そんなに毎日身の回りにいいことは落ちていない。大女優と私では雲泥の差なのだから、仕方がない。

それならばと箇条書きで自分を褒めようともしたが、これも足りない。筆が思うように進まない。そもそも褒めどころもなく、毎日ハイボールを飲んでテレビばかり見ているおばさんであることを忘れていた。

結果。私はその日にあったことを、そのままの気持ちで記録している。つまり普段、会話では控えている悪口、ここで吐露し放題。時にはデスノートにもなる。「あいつ、階段から落ちればいいのに」「絶対に地獄行き」など、気持ちは誤魔化さない。

他人から嫌なことをされたら、自分が幸せになって、思いを昇華せよと言われているけれど、とんでもない。「この恨み晴らさでおくべきか」の精神で、私は日記に残す。これは悪し様ではなく、個性だと解釈している。

こういった記録は、自分が裁判沙汰になった場合、証拠として使えることもあるらしい。大昔のことだけど、朝ドラ『虎に翼』(NHK総合)でも、主人公・寅子(伊藤沙莉)の父が、裁判に立たされたとき。母の日記書かれていたことが、裁判の勝利をもたらしたことを思い出す。馬鹿にはできない、それが日記だ。

自分を知る

この原稿を書くために改めて自分の日記を見直してみた。すると、ここ4年間、ほぼ書いていることは同じだと気づく。書かれているのは「二日酔い、眠い、痩せなきゃ、書かなきゃ、なんかいいネタないかな」。猛省。今日からなんとかします。

よく見ると文字も年を追うごとに、雑になっていることに気づく。いつ何時、何があるかわからないのに、自分しか読めないような文字では、他人に見られた時に恥ずかしい。これも正します……と、のんべんだらりとした日々では気づかないことを日記は教えてくれる。


毎年、ペンの色を変えて書いている。なんとか読める文字だと思いたい

聞いて驚けではあるが、今年ももう4ヵ月を切った。9月になれば、新しいシステム手帳や日記帳、占い本など2025年に向けての準備が始まる。もしよければ「5年日記」も選択肢の一つに加えてはどうだろうか。面白いぞ、日記。