伊藤洋輝も続け!バイエルン「歴史上最高のディフェンダー」ベスト10
今夏のマーケットで伊藤洋輝が加入することになったバイエルン・ミュンヘン。ドイツ・ブンデスリーガで長年トップを走り続けている世界屈指の名門クラブだ。
『sportmob』から「バイエルン・ミュンヘンの歴史上最高のディフェンダーTOP10」をご紹介する。
10位:ユップ・カペルマン
生年月日:1949年12月19日
バイエルン所属:1973〜1979
バイエルンでのリーグ成績:165試合17ゴール
引退後:医師
アレマニア・アーヘンとケルンでプレーしたあと、1973年にバイエルン・ミュンヘンへとやってきたフルバック。1974年から1976年までのヨーロッパカップ3連覇に貢献し、クラブの歴史上最高クラスのディフェンダーとして評価された。
1979年には同じ町の1860ミュンヘンへと移籍して1981年までプレー。現役を引退したあとはバイエルン州で整形外科医になったという。
9位:ビセンテ・リザラズ
生年月日:1969年12月9日
バイエルン所属:1997〜2004、2005〜2006
バイエルンでのリーグ成績:182試合7ゴール
引退後:柔術選手、スケルトン選手、サーファー、カーレーサー、解説者
フランス生まれのバスク人選手であるビセンテ・リザラズ。ボルドーの下部組織でウインガーとしてブレイクし、トップチームで左サイドバックにコンバート。EURO1996を終えたあとにアスレティック・ビルバオへ移籍し、その1年後にバイエルンへと加入した。
同じフランス代表のウィリー・サニョルと両サイドのコンビを組んでプレー。6回のブンデスリーガ優勝、チャンピオンズリーグ優勝に貢献し、大きな成功を収めることになった。
2004年にバイエルンを退団したが、マルセイユでしばらくプレーしたあとに復帰。その際には背番号69を着用したことで大きな話題になった。引退後は柔術やサーフィン、スケルトン、カーレースなどのスポーツに挑戦し、解説者としても活動した。
8位:ダヴィド・アラバ
生年月日:1992年6月24日
バイエルン所属:2008〜2021
バイエルンでのリーグ成績:281試合22ゴール
現在もレアル・マドリーで現役を続けているが、それでもバイエルンの歴史上最高クラスのディフェンダーとしてレジェンドに値する存在。
セントラルミッドフィルダーやサイドハーフ、センターバック、そして左サイドバックと様々なポジションをこなし、そのあらゆる場所でトップレベルのパフォーマンスを見せた。
バイエルンの下部組織に加入した2008年から13年に渡って所属し、チャンピオンズリーグを2回、ブンデスリーガを9回制覇している。
7位:ジェローム・ボアテング
生年月日:1988年9月3日
バイエルン所属:2011〜2021
バイエルンでのリーグ成績:229試合5ゴール
ジェローム・ボアテングは、バイエルン・ミュンヘンにおいて一時代を築いたディフェンダーの一人だ。テニス・ボルシア・ベルリン、ヘルタ・ベルリン、ハンブルガーSV、マンチェスター・シティを経て2011年にバイエルンへと加入した。
1350万ユーロでやってきた彼は、やや怪我が多く不安定さがあるという評価を受けながらも、後方からのビルドアップや激しいタックル、恵まれたフィジカルで活躍。ジョゼップ・グアルディオラ監督にも信頼を受けた。
2021年に退団したあとはリヨン、サレルニターナでプレーし、来季からオーストリアのLASKでプレーすることになっている。
6位:フィリップ・ラーム
生年月日:1983年11月11日
バイエルン所属:2002〜2017
バイエルンでのリーグ成績:332試合12ゴール
引退後:EURO2024ディレクター
キャリアの最後はボランチに転向したが、それでもバイエルンの歴代最高クラスのディフェンダーであることに変わりはないフィリップ・ラーム。
初期は左サイドバックでリザラズの後継者となり、その後右サイドバックへと転向。バイエルンのキャプテンとして2013年には国内外三冠にも貢献。2017年にシャビ・アロンソとともに現役を引退した。
引退後はEURO2024を目指すドイツの名誉大使となり、さらにEURO2020のアンバサダーを務めた。後に現在行われているEURO2024の大会ディレクターに就任した。
5位:クラウス・アウゲンターラー
生年月日:1957年9月26日
バイエルン所属:1975〜1991
バイエルンでのリーグ成績:404試合52ゴール
引退後:指導者
「アウゲ」の愛称を持つ名ディフェンダー。バイエルンでの15年以上に及ぶプロ生活の中で7回のブンデスリーガ優勝を経験し、西ドイツ代表でも1990年のワールドカップ優勝を果たしている。
センターバックやスイーパーとしてプレーし、1984年から引退する91年まではキャプテンとしてチームの精神的支柱にもなった。
現役を引退したあとはすぐに指導者へと転身し、バイエルンのユースでキャリアをスタート。さらにトップチームでアシスタントコーチや暫定監督を務め、後にニュルンベルクやレヴァークーゼン、ヴォルフスブルクで指揮したが、監督としてはあまり成功を収められていない。
4位:ハンス=ゲオルク・シュヴァルツェンベック
生年月日:1948年4月3日
バイエルン所属:1961〜1981
バイエルンでのリーグ成績:416試合21ゴール
引退後:文具店経営
「カッツェ」の愛称を持った名ストッパー。リベロのフランツ・ベッケンバウアーのパートナーとして知られ、激しい守備やシンプルな弾き返しで相棒の攻撃参加を支えた。
バイエルンでキャリアのすべてを過ごし、ブンデスリーガを6回制覇。ヨーロッパカップの3連覇にも貢献しており、その最後となった1974年の決勝戦では同点ゴールも決めている。
32歳という若さで現役を引退したあとは叔母が経営していた文具店を受け継ぎ、2008年まで経営していた。バイエルンの文具サプライヤーも務めていたという。
3位:パウル・ブライトナー
生年月日:1951年9月5日
バイエルン所属:1970〜1974、1978〜1983
バイエルンでのリーグ成績:255試合83ゴール
引退後:解説者
攻撃的なサイドバックの始祖といえる名ディフェンダー。バイエルン・ミュンヘンで2度のキャリアを過ごし、1974年のワールドカップでは西ドイツ代表の優勝メンバーとなった。
また1982年のワールドカップでも決勝に進出。2大会のワールドカップ決勝でゴールを決めた選手はジダン、ペレ、ババ、エムバペ、そしてこのブライトナーしかいない。
引退後はドイツ代表監督に「17時間だけ」就任したことがあるが、指導者としてはほとんど活動していない。主に解説者やコラムニスト、スカウト、コンサルタント、アンバサダーとして活動している。ちなみに息子のマックス・ブライトナーはバイエルンのクラブ記者である。
2位:コンラート・ハイドカンプ
🔴 THREAD | Konrad Heidkamp, l’homme qui a sauvé les trophées du Bayern pic.twitter.com/Izxzh6DIxP
— Media Bayern France (@MediaBayernFR) September 14, 2023
生年月日:1905年9月27日
バイエルン所属:1928〜1936
バイエルンでのリーグ成績:不明
引退後:指導者
「コニー」と呼ばれたバイエルン・ミュンヘンの伝説的なキャプテン。アムステルダムオリンピックで西ドイツ選抜の一人として活躍したあと、デュッセルドルフSC99から加入した。
そのパワフルなキックから「擲弾兵」との異名をとったパワフルなフルバックで、タフなタックルや正確なパスで攻守に貢献したという。
1940年にはナチス・ドイツからの金属供出命令に多くのクラブが従う中、ハイドカンプらはそれに反抗し、空襲が始まる中でトロフィーを旧知の農家の倉庫に隠したという。さらにその後のアメリカによる略奪からも守り抜いた。現在それらのトロフィーはバイエルンの記念館に保存されている。
伊藤洋輝は何位?バイエルンが獲得した「歴代最高額のディフェンダー」TOP10
1位:フランツ・ベッケンバウアー
生年月日:1945年9月11日
バイエルン所属:1959〜1977
バイエルンでのリーグ成績:427試合60ゴール
引退後:指導者、会長、名誉会長
「皇帝」と呼ばれたバイエルン・ミュンヘン伝説のリベロ。最終ラインから攻守に渡って貢献するシステムを完成させた唯一無二のディフェンダーであり、類稀なリーダーシップで数多くのタイトルに導いた。
また、選手としても監督としてもワールドカップを制覇したのはディディエ・デシャン、マリオ・ザガロと彼の3名しか存在しない。
バイエルン・ミュンヘンでは監督を務めたほか副会長、会長、監査役、名誉会長も歴任。今年1月に惜しまれながら78歳でこの世を去っている。