宇宙開発の進展と共に、各国は宇宙空間の安全保障を専門とする「宇宙軍」を設立する動きを進めています。宇宙空間の中でも特に重要とされる地球から月軌道周辺の「シスルナ空間」の安全保障について、ブリティッシュコロンビア大学の政治学教授であるマイケル・バイヤーズ氏と、同大学の天文物理学准教授のアーロン・ボリー氏が解説しています。

Cis-lunar space and the security dilemma - Bulletin of the Atomic Scientists

https://thebulletin.org/premium/2022-01/cis-lunar-space-and-the-security-dilemma/

シスルナ空間(Cis-lunar space)はラテン語で「月のこちら側」を意味する語で、地球の周回軌道から月の周回軌道、そして3つ目の天体が安定して滞在できるラグランジュ点を含む領域を指します。ラグランジュ点では地球と月による重力と遠心力が釣り合うため、質量の小さい宇宙船や人工衛星などは月と同じ速度で地球を周回することが可能です。

このような特徴から、ラグランジュ点は宇宙開発における通信・監視装置や補給基地、さらに宇宙ステーションなどを比較的低エネルギーで維持できる場所として有望です。地球と月のラグランジュ点は全部で5つありますが、利用可能な容積は限られており、シスルナ空間の中でも特に人気が高い「宇宙空間の不動産」といえます。

シスルナ空間では主にアメリカや中国による激しい宇宙開発競争が繰り広げられていますが、地球上の望遠鏡やレーダーでは距離が遠すぎるためシスルナ空間の監視には不十分であり、月の裏側までは地球上から監視できません。そのため、宇宙空間での活動を監視するためには、自分たちもシスルナ空間に監視用の衛星やセンサーを配置する必要があるとのこと。

この状況についてバイヤーズ氏らは、潜在的な敵の活動に関する情報が不完全なせいで他国が軍隊を増強せざるを得なくなる、「安全保障のジレンマ」の条件が整っていると指摘しています。



アメリカ空軍研究所はシスルナ空間における安全保障対策を強化するため、「ORACLE FAMILY OF SYSTEMS(Oracleシステムファミリー)」というミッションを進めています。Oracleシステムファミリーでは、「Oracle-P(元Cislunar Highway Patrol Satellite)」と呼ばれる監視衛星を地球と月のラグランジュ点に配備し、「Oracle-M(元Defense Deep Space Sentinel)」という宇宙船でスペースデブリの除去などを行うとしています。

Oracleシステムファミリーについてバイヤーズ氏らは、「シスルナ空間から宇宙情勢をより詳しく認識できるように支援することは、他国が何をしているのか、あるいは何をしていないのかについてより多くの情報が得られるため、間違いなく良いことでしょう」と認めています。しかし、シスルナ空間の監視は科学研究を行っている民間宇宙船でも可能であり、軍の主導でシスルナ空間に人工衛星を打ち上げることには懸念があるとのこと。

また、Oracle-Mが見据えるスペースデブリの除去は平和的に行われれば問題ありませんが、このような技術が他国の宇宙船や人工衛星への干渉に使われる可能性はゼロではありません。そのためバイヤーズ氏らは、「重要かつ困難な作業であるスペースデブリの除去作業は、各国の宇宙機関が主導するべきです」と主張しています。

アメリカの国防高等研究計画局(DARPA)も、軌道上で大規模な構造物の作成を目指す「新規月軌道製造・材料・質量効率設計(NOM4D)」計画を打ち出しています。NOM4Dは月面に建造物を作ることはしないと説明していますが、他国の安全保障部門がこの動きを警戒するのは自然だとのこと。

バイヤーズ氏らは、「DARPAが実際に月面での活動を計画していないとしても、他国がこの発表を『月の軍事化』の意思表明だと読み取ることは容易に想像できます。NOM4Dプログラムは結果的にアメリカの計画に不確実性をもたらし、中国とロシアの双方にとって安全保障上のジレンマとなる可能性が高いといえます」と述べました。



すでに月その他の天体を含む宇宙空間の探査及び利用における国家活動を律する原則に関する条約(宇宙条約)などの国際法に基づき、シスルナ空間や月面における軍事活動は禁止されています。そのため、アメリカの行動は安全保障上のジレンマを生み出しかねないだけでなく、国際法に反する可能性もあるとのことです。

バイヤーズ氏らは、シスルナ空間の状況認識は事故防止に役立つ公共財として共有されるべきであり、ゆくゆくはラグランジュ点や軌道の利用監視、利用する機関の調整を行うためのメカニズムが必要になるだろうと主張。「月とその軌道を開発することはまだ可能です。しかし、地球周回軌道上での数十年にわたる活動から学んだように、持続可能な方法で宇宙を開発するには、先見の明や計画、協力が必要です」と述べました。