親しみやすさが人気のサイゼリヤ。人気ゆえにSNSなどでもたびたび取り上げられますが……(Photo by Naoki Nishimura/AFLO)

若者からシニアまで、幅広い世代にファンが多いイタリア料理チェーン店の「サイゼリヤ」。SNSや動画サイトなどで話題になることも多々ありますが、2009年から2022年まで社長を務めた堀埜一成さんは、その様子をどう見守ってきたのでしょうか。本記事は、堀埜さんの著書『サイゼリヤ元社長が教える 年間客数2億人の経営術』から一部を抜粋・再編集しました。

3回シリーズでお届けします。2回目は「ミラノ風ドリア」人気の理由について『サイゼリヤのホワイトソース「さらさら」の秘密』です。

(注)同書は、堀埜さんがサイゼリヤに入社した2000年から社長を退任する2022年までの経験をベースに執筆したものです。

サイゼリヤはなぜ定期的に「炎上」するのか

「最初のデートでサイゼリヤに行くなんてありえない」

SNSで定期的に上がってくる話題なので、ご存じの方も多いのではないでしょうか?

気合いが入った初デートであんな安い店に連れていくなんて、とんでもない!というわけですが、この手の書き込みがあるたびに、「なぜサイゼリヤデートが悪いのか!」と文句を言う人があちこちから現れて、その人たちが最初の投稿を「炎上」させるのです。

こうしたやり取りを見るたび、私はとても「ありがたいこと」だと思っていました。

一般に、デートに使うレストランは「ハレ(晴れ)」のレストランじゃないといけない、とされています。特別な日の「ハレ」の舞台となるべきレストランは、高級店がふさわしいというわけです。

それを「ありえない」と感じる人がいるということは、サイゼリヤは「ケ(褻)」のレストランだと思われているということです。「ケ」というのは日常です。つまり、サイゼリヤは普段使いのレストランという認識なのです。

それこそ、サイゼリヤが目指している姿そのものです。

こんなこともありました。2人組の女子高生が歩きながら「どこに行こうか?」と話していて、「サイゼリヤでもいいよ」と言ったのです。

私はそれもうれしかった。「最低サイゼリヤな」というのもいいですね。少なくともサイゼリヤなら文句はない、ということだからです。

「300円やそこらでうまいイタリアンが食えるはずがない」という安かろうまずかろう派と「値段でしか評価できない人こそ味オンチだ」「実際、食べたらわかる」というサイゼリヤ擁護派の論争も、SNSで定期的にくり返されていますが、そのたびに「まずい」と言った人たちはやり込められ、いつのまにか姿を消しています。

つまり、炎上を起こすのは、サイゼリヤの悪口を言う人ではなく、サイゼリヤのファンの人たち、サポーターなのです。自分たちが好きで通っている店に「なんでそんなことを言うんや」というわけです。

こうしたやりとりに、「中の人」は一切関わっていませんでした。

公式サイドが口を出すと、みんな引いてしまうからです。あれは、サポーターのみなさんの楽しみなんだから、自由に遊んでもらいましょう、そのように考えていました。

非公式アカウントが続々と誕生

サイゼリヤは「イタリアンは高い」という従来のイメージをことごとく覆してきました。みんなが平等に食べられるようにしようというのが、サイゼリヤの創業者である正垣泰彦会長の思いだったからです。

それもあって、サイゼリヤでは、1000円もあれば、いろいろなメニューを楽しめるようになっています。

1000円でべろべろに酔える「せんべろ」ブームに乗って、1000円で「サイゼ飲み」を楽しむための「サイゼリヤガチャ」も登場しました。ガチャを回すたびに1000円で注文できるメニューの組み合わせが出てくる仕掛けです。

もちろんこれも非公式で、メニューが改定されるとすぐに内容がアップデートされますから、作っている人もたいへんだなあと思って見ています。

X(旧ツイッター)でも、高校生がつくった「サイゼリヤ非公式」というアカウントが話題になりました。

学校の課題で、サイゼリヤのメニューを組み合わせ、その場でアレンジするアレンジメニューをまとめた「サイゼリヤ布教本」をつくり、それがバズったのです。

こうした私設応援団の活動に、会社は一切タッチしていません。

自社でブランドを管理したい会社にとってはご法度かもしれませんが、「中の人」がちょっかいを出すと、明らかに「やらせ」になってしまうし、せっかくその人ががんばってやってきたことがムダになってしまうかもしれません。

だから、一切関わらないし、「やめろ」とも言いません。

SNSでの議論は、すべてサポーターのみなさんの自由に委ねています。それで炎上することはあっても、不思議なことに、こちらに火の粉は降りかかってこないのです。

ミラノ風ドリアが「ベンチマーク」に

ファミレスやファストフードの店内でも、よくサイゼリヤが話題になるようです。

サイゼリヤのほうが安いんちゃうか?」という声を聞いたことはありませんか? 普段使いの店だからこそ、サイゼリヤはお客さまがお店を評価するときの、値段と味の基準になっているのです。

サイゼリヤに来たことがある人なら、ミラノ風ドリアが税込み300円ということは、誰でも知っています。だから、「これなら、ミラノ風ドリアが何皿食べられるよね」という会話が成り立つのです。

「ビッグマック指数」をご存じの方もいらっしゃるでしょう。

世界中で売られているビッグマック1個の値段を比較することで、為替レートだけでは見えてこない、その国の経済力を測る指標となることが知られています。

ところが、日本国内に限って言うと、日本マクドナルドは円安や原材料費、人件費の高騰を受けて、何度か値上げをしています。

さらに、都心店を中心に、立地によって価格差をつけるようになっています。そのため、ビッグマック1個の値段を聞かれても、即答できない人が増えました。

サイゼリヤの場合、ミラノ風ドリアは税込み300円、マルゲリータピザやタラコソースシシリー風パスタは税込み400円、若鶏のディアボラ風は税込み500円と決まっていて、その値段をずっと守っています。

そのため、「この値段ならミラノ風ドリアが何皿食べられる」「パスタとチキンを頼んでも1000円でお釣りがくる」ということが、パッと頭に浮かぶのです。

だからこそ、サイゼリヤはほかの店の値段や味を評価するときのベンチマークとして使われるようになってきました。「ミラノ風ドリアが何皿食べられるか」という「ミラノ風ドリア指数」のようなポジションを獲得したわけです。

それだけ知名度が上がってきたサイゼリヤですが、いわゆるマーケティング的なことはほとんどやっていません。広告すら出していないのです。


Instagramの検索では「サイゼリヤ」に関連するタグが多数存在する(画像:Instagram)

広告費を売上の5〜8%かけるのがチェーンストアの相場とされているのですが、サイゼリヤにはそれがない。サイゼリヤといえば「安いレストランの代名詞」で、お店で出している価格そのものが広告になっているからです。

広告を出さずに浮いた分のお金は、原価に組み込まれています。つまり、原価率を他社より5〜8%高くしても問題ないということです。広告に回すお金があったら、少しでもいい食材を使って、お客さまに還元する。価格と商品力でお客さまに訴求していくという考え方がベースにあります。

そのため、近くにサイゼリヤのお店があることが何よりも重要です。お店に来てもらわなければ、サイゼリヤのことを知ってもらう機会がないからです。

でも最近は、近所にサイゼリヤが出店すると、私たちが何もしなくても、地元で話題にしてくれる流れができました。ユーチューブの動画などで、サポーターのみなさんがサイゼリヤを取り上げてくれて、サイゼリヤの存在が知れ渡っているから、ということもありそうです。

ユーザー体験はお客さま自身がつくるもの

サイゼリヤの使い方は人それぞれです。お店に来てもらえばわかりますが、サイゼリヤの利用者層は実に多様です。

遅いランチから夕方までのアイドルタイムには、高校生や子連れの主婦らがお茶をしながら会話を楽しんでいます。平日の開店直後はおじいちゃん、おばあちゃんがやってきて、ワインを飲んだりしている。

ディナータイムは、サラリーマンの飲み会もあれば、一人きりで楽しむボッチ飲みのお客さんもたくさんいます。おじさんたちがワインを飲んでいる横で、子どもたちが駆け回ったりしています。

それが違和感なく混在しているのがサイゼリヤなのです。

駐車場を見ても、ベンツのような高級車がずらりと並んでいるかと思えば、小型のファミリーカーがすぐ横に停まっていたりします。お金がない高校生も、お金に余裕がある富裕層も、ついつい通いたくなる魅力が、サイゼリヤにはあるようです。


経済はモノ消費ではなくコト消費が中心になってきたとよく言われます。

モノがあふれる時代、お客さまがお金を出してくれるのは、商品そのものに対してではなく、ほかでは味わえない特別な体験(エクスペリエンス)に対してだけ、というわけですが、サイゼリヤには、お客さまの体験を会社がコントロールできるものではない、という発想が根っこにあります。

言い換えると、ユーザー・エクスペリエンスはお客さま自身がつくるものだ、ということです。お店の利用のしかたも、アレンジメニューも、SNSでのクチコミやレピュテーション(評判)も、すべてお客さまに委ねて、こちらは一切関わらない。

お客さまが好きなように利用するから、そこに愛着もわくし、自分なりの攻略法も出てくるわけで、それを企業側が管理できると思うこと自体が、そもそもおこがましいのです。

クレーマーではなくサポーター

株主総会では「どこどこの店のコーヒーマシンが汚い」とか「故障してる」とか、わざわざ言いにきてくれる人がいます。

そんなとき、私は「わかりました、担当に伝えておきます」と返すのが恒例となっていましたが、この人はクレーマーではなく、サポーターです。文句を言っているように見えて、お店をよくしたいと思ってくれているサポーターなのです。

サッカーでも、不甲斐ないゲームをしたとき、いちばん文句を言うのがサポーターです。彼らが「おまえら、何してるんや」と怒るのは、チームを愛しているがゆえです。

イヤなことがあったら離れていくファンもいるかもしれないけど、そこを叱ってくれるのがサポーターです。そんな愛あるサポーターを、会社が管理することはできません。サポーターの好きにまかせるしかないのです。

でも、その姿勢を貫いた結果、いまがあります。

(堀埜 一成 : サイゼリヤ元社長)