なぜiPhoneはこんなに高いのか…受託製造するTSMCが掲げる「高くても売れる商品を作る」という経営哲学
※本稿は、林宏文『TSMC 世界を動かすヒミツ』(CCCメディアハウス)の一部を再編集したものです。
■国が違えば生産コストも変わる
価格設定は簡単そうに見えるが、実は非常に複雑な要素がからみ合っているため、いくつかの原則に沿えば決定できるといった単純な話ではない。そこで、これまで述べたTSMCの過去の価格戦略に続き、ここからは一歩進んで、TSMCの価格はどんな原則に基づいて決定されているのか、そしてTSMCにはどんな価格戦略があるのかを掘り下げていきたい。
まず、TSMCの価格設定は複雑なモデルに基づいて算出されており、当然ながらそれは、各国の生産コストと密接に関係している。TSMCは中国、米国、日本に進出しているが、国が違えばその生産コストも変わる。
また、顧客から大口の発注や工場の貸し切りを打診された場合、製造コストとリスクも計算しておく必要がある。たとえばTSMCは2020年、インテルからの大量発注計画に対応するため、わざわざ新竹宝山にインテル専用生産ラインの設置計画を立て、価格モデルも算出した。だが、インテルCEOにパット・ゲルシンガーが就任すると、戦略が変わって発注量が減らされたため、TSMCも新竹宝山への投資額と価格の見直しを強いられてしまった。
■TSMCの価格は他社よりも高い
次にTSMCの価格は、先端プロセスも成熟プロセスも競合他社より高く設定されている。先に述べたようにTSMCはリーディングカンパニーとして、競合他社よりも高い良品率と早い納期と手厚いサービスを提供しているため、それに見合うだけのプレミアム価格を設定できるようになっているからだ。
特に7ナノメートル以降の先端プロセスの競合他社はサムスンとインテルしかいない。サムスンはよく値引きして受注をもぎ取っているので、TSMCの提示価格はサムスンよりもかなり高くなっている。
■毎年の値下げで長期的な関係を結ぶ
とはいえ、TSMCが法外な価格を吹っ掛けたり、好景気に乗じた大幅な値上げを行ったりしていないことは、特筆せねばなるまい。TSMCが景気の良しあしに関係なく毎年の値下げ戦略を維持してきたのは、TSMCのオペレーションの効率化が常に進化しており、値下げが顧客のメリットになるだけでなく、社内のパフォーマンスを高める効果もあるからだ。
そしてもっと大切なことは、毎年の価格の引き下げによって、顧客と長期的な関係を結び、顧客のTSMC離れを防ぐことができる点だ。好景気のときに目一杯価格を釣り上げてTSMCよりも高い価格を提示する企業もある。しかし、こうした足元を見るようなやりかたは良い顧客対応ではないし、パートナー企業とのウィン・ウィンの関係を維持することもできないだろう。
また、TSMCは一流顧客としか取引していないため、受注も比較的安定している。通常、ライバル社が発注のかなりの部分をキャンセルされるような場合でも、TSMCの顧客は大きく発注量を減らしたりはしない。
■良品率が高いので顧客離れが起きない
ウエハー生産工程には数百ものプロセスがあり、設計や受注から生産まで最低でも1年はかかる。そのため、顧客にとって価格とは、発注を決める際に考慮すべき数ある項目の一つに過ぎない。よって、わずかな値上げを理由に長年の付き合いのあるサプライヤーを変更することはあまり起こらない。
またTSMCはリーディングカンパニーとして良品率の高さと優れた技術とサービスを提供しているだけでなく、価格の引き下げによっても顧客に利益を還元しているため、顧客が増えない理由がない。
確かに過去には、TSMCの顧客が別の会社に鞍替えすることもあったが、競合他社の品質がTSMCよりも劣っているため、通常は顧客が後悔することになるようだ。
まさにそれが、TSMCとクアルコムとサムスンの間で起きたことである。クアルコムとサムスンとの提携には特殊な理由があった。サムスンの携帯端末にはクアルコム製のチップが採用されていたため、サムスンはクアルコムに発注することを条件に、クアルコムからの受注を獲得しようとした。
クアルコムはもともと、サムスンの見積価格をTSMCに見せて値下げ交渉をしようと考えていたが、TSMCから値下げを断られたため、サムスンに発注することになった。だがサムスン製チップの良品率が低かったため、クアルコムは当初期待していたような利益が得られなかった。
■TSMCの営業収入の26%がアップルからの受注
TSMCが競合他社との競争において一番の強みとしているのが、7ナノメートル以降の先端プロセスだ。これらはすべて高単価のラインアップで、競合他社がいなかったり、いたとしてもうまく作れないからだ。競争相手が少なければ価格決定権がTSMCの手に落ちるため、こうした先端プロセスからの営業収入が、TSMCの営業収入全体の半分以上を占めるようになった。
貢献利益については良品率と効率とコスト管理の進捗に左右されるため、収益が爆発的に増加するのは、学習曲線が完成してからになる。
不敗を誇るTSMCの価格戦略の裏には、もう一つの大きな要因があった。米国企業アップルの貢献である。アップルは現在、TSMCの最大の顧客であり、アップルからの受注がTSMCの営業収入の26%を占めている。
アップルはパソコン、スマートフォン、パワーマネジメント、マイクロコントローラなどに使用するすべてのICをTSMCに発注しているだけでなく、アップルと提携している他の(コンパニオンチップの)ICサプライヤーにもTSMCから調達するよう求めている。
■TSMCのチップがないとiPhoneを出荷できない
アップルのこの要求は、サプライチェーン管理のなかでも重要な部類にあたる。アップルが1年に出荷できるiPhoneの数は、TSMCがアップルに供給できるスマホ用ベースバンドチップの数と、他のサプライヤーがアップルに提供できるチップの数で決まる。このどれか一つが欠けてもスマートフォンを出荷できなくなる。
だからアップルは、他のサプライヤーのチップ生産量も管理する必要がある。この管理をしやすくするために、アップルはわざわざチップサプライヤーにTSMC製品を使用させている。そうしなければ生産能力の調節をTSMCと連携して行うことができないからだ。
以上がTSMCのおおまかな価格戦略である。だがこの戦略はTSMCの市場シェアと技術が業界トップになってからのものだ。では、それ以前はどうしていたのかと疑問に思う人もいるだろう。創業初期にはどんな戦略を立てていたのだろうか。
■確かな技術で顧客に「値段以上の価値がある」と思わせる
TSMCの設立当初のプロセス技術は2マイクロメートル(2000ナノメートル)だったが、当時のインテル、TI(テキサス・インスツルメンツ)、モトローラ、フィリップスはすでに1マイクロメートルを手掛けていたため、2.5世代から3世代も後れを取っていた。
だが、TSMCは2マイクロメートルの成熟プロセスでも、前述した台湾の人材の強みを生かして他社を上回る良品率と効率を実現できたため、価格が魅力的で、「値段以上の価値がある」と顧客が納得する製品を提供できた。TSMCは、こうした低価格製品でも十分な収益を上げることができ、年に一度の値下げ戦略を維持することもできたのだ。
こうしたことが起こるのは、TSMCのコスト削減力が他社よりも優れているからだ。だからTSMCの最初の安定株主だったフィリップスは、TSMCの提示価格を見て自社工場で生産するよりもコストダウンできることに早い段階で気が付いた。
これにより、TSMCの専業ファウンドリーというビジネスモデルがIDM(垂直統合型デバイスメーカー)よりも価格競争力をつけるようになる時代が到来した。フィリップスはTSMCに大量委託するようになり、自社工場を徐々に閉鎖させていった。
本書の初めにご紹介した、台湾半導体産業の成功のカギとなった3+1の要素の話で、台湾のエレクトロニクス産業の1つ目の競争優位は、勤勉な従業員と、残業と低賃金、そしてマネジメント・マーケティング・研究開発等の営業コストの低さであると述べた。
欧米や日本の企業には粗利率40%を切る製品は作れないが、台湾メーカーなら薄利になるどころか多くの利益を生み出すことも可能だ。これは台湾メーカーの最大の防壁であり、台湾エレクトロニクス産業の台頭期の重要なよりどころでもあった。
■「価格以外のあらゆる分野で他社をリードする」
価格設定の実践経験が豊富なモリス・チャンはかねて、CEOは価格設定に定見を持ち、その決定権を握っていなければならないと再三強調している。各種技術やサービスの受託を行う際には価格を設定しなければならないが、TSMCには価格計算と価格戦略を専門に手掛ける部門がある。この部門は社内の企業計画組織の直属で、副社長が責任者となって、週に1回モリス・チャンに報告していた。
モリス・チャンは1999年に、11項目からなるTSMCの戦略を一通だけ自筆で書き記している。この自筆書を見せられたのはわずか十数人の幹部のみで、これが企業統治の最高機密だった。このなかで最も重要な項目が、「TSMCは価格以外のあらゆる分野で、競合他社をリードしなければならない」だった。
■価格以外で優位に立てば、価格でも主導権を握れる
別な表現をすると「TSMCの価格は競合他社より常に高く設定し、技術、良品率、納期、サービスといった価格以外のすべての分野で競合他社をリードしなければならない」となる。価格以外の全てで競合他社よりも優位に立てば、価格設定でも主導権を握ることができ、顧客はTSMCの提示価格を受け入れるしかなくなるからだ。
アップルのスマートフォンは他社製品よりも高いのに消費者が欲しがるのと同じで、TSMCの顧客はTSMCのファウンドリーサービスに対して、価格はほかより高いがそれを補って余りある価値を感じているのだ。
モリス・チャンは会社の人事構造を例に挙げて「価格設定」の重要性を説いている。CEOの報酬は通常、一般的なエンジニアの50倍、作業員の400倍だが、そもそもCEOはなぜエンジニアの50倍もの報酬を得られるのか。
会社の利潤は販売価格からコストを差し引いた額になるが、仮にここで、1%のコストを削減するためにエンジニア1000人をリストラしなければならなくなったとする。この場合、価格設定に長けたCEOなら価格を1%上げて、1000人をリストラしたのと同じ効果を生み出すはずだ。CEOがもっと値上げしても製品を売ることができれば、CEOが高額の報酬を受け取ってもいいはずだ。
■差別化された商品の価格決定権はメーカー側にある
もちろん、市場競争が激しくなると従来価格の維持すら難しいのだから、簡単に値上げできない。だがモリス・チャンは、差別化されていない製品を売るときは、販売価格の決定権は販売者ではなく市場と競争相手にあるが、オーダーメイド製品を製造する場合は、価格設定の余地は大いにあると語っている。
サムスンのメモリーが汎用品であるのと対照的に、TSMCが受託する製品はオーダーメイド品が多いため、TSMCの方がより大きな価格決定権を持っている。しかもTSMCは業界のリーディングカンパニーでもあるため、むしろ積極的に価格決定権を行使できる立場にある。
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林 宏文(リン・ホンウェン)
経済誌「今周刊」元副編集長
主にハイテク・バイオ業界の取材に長年携わりながら経済誌「今周刊」副編集長、経済紙「経済日報」ハイテク担当記者を歴任し、産業の発展や投資動向、コーポレートガバナンス、国際競争力といったテーマを注視してきた。現在はFM96.7環宇電台のラジオパーソナリティや、メディア「今周刊」「数位時代」「鍶科技」「CIO IT 経理人」のコラムニストとして活躍中。著書に『晶片島上的光芒(邦訳:『TSMC 世界を動かすヒミツ』/CCC メディアハウス)』、『競争力的探求(競争力の探究)』、『管理的楽章(マネジメントの楽章)』(宣明智氏との共著)、『恵普人才学(ヒューレット・パッカードの人材学)』、『商業大鰐SAMSUNG(ビジネスの大物サムスン)』など。
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(経済誌「今周刊」元副編集長 林 宏文)