部下が声をあげやすいようにするために、なんでもミスのレッテルをはらないようにしましょう(写真:PanKR / PIXTA)

あなたの組織には、異変に気づいた部下が、「何かおかしい」と率直に声をあげられる文化はあるだろうか。

それがする必要のない中断だったと判明したときに、呼びかけた人をからかったり、「間違ったな」と責めたりしていないだろうか。

それでは、いずれ誰も意見を言おうとしなくなる。そんな文化を変えるために、何ができるだろうか。デビッド・マルケ氏の著書『最後は言い方』より、そのヒントを紹介しよう。

「任務をやり遂げる」ことで頭がいっぱい

産業革命期に生まれた、上司=決断する人、部下=実行する人、という仕事の配分は、決断する人が少数で、大半は実行する人というものだった。


問題は、この分断によって、実行だけを担う人が生じてしまうことだ。

実行することに入りこんでしまうと、人は、「自分の能力をまわりに証明したい」という思考心理や、「自分の無能さが露呈することから自分を守りたい」という思考心理に陥りやすくなる。

そして、作業の完遂という目標にフォーカスが絞られ、視野が狭くなる。時間がないという切迫した感情や、やり遂げることへのプレッシャーも感じているかもしれない。

ようは、自分の任務をやり遂げることで頭がいっぱいになるのだ。

もちろんそれが正しい任務であれば問題ないが、そうでないことをやり遂げてもしょうがない。

そうして周囲が見えなくなり、「実行する仕事に取りつかれた状態」にならないように気を配る必要がある。

そのためには、作業の中断を提案したいときに誰でも使える言い回しや合図を事前に決めておくといい

最初から「言い方」が決まっていれば、チームのメンバー、リーダーのどちらからでも、立ち止まって状況を見直す必要があると発信できる。

作業の中断を呼びかける合図の例をいくつか紹介しよう。

●「タイム」と言う。

●「ハンズオフ」と言う。

イエローカードを掲げる。

手をあげる

中断は「レジリエンスの実践」である

私が艦長を務めた原子力潜水艦サンタフェでは、「ハンズオフ」というフレーズを使っていた。

最初のうちは、周囲に「ハンズオフ」と呼びかけることにためらいがあり、声をかけられた乗員は身構えることが多かったが、練習を通じて克服した。

練習の目的は、乗員がその言い回しに慣れて、中断を呼びかける行為を恥だと思わなくなることと、中断を呼びかけられたときの対処の仕方を身につけることだった。

それは不必要な中断だった(見直したところ、差し迫った問題はなかった)と判明したときに、呼びかけた人をからかったり、「間違ったな」と責めたりすれば、その後誰もが中断を呼びかけづらくなる。

そこでサンタフェでは中断のことを「レジリエンスの実践」と呼び、中断によって問題が見つかってもそうでなくても、自分どちらでもかまわないとしていた。

では、あなたの職場で基本となる前提に誰かが疑問を抱き、手をあげて、プロジェクトや業務の流れをとめたとしよう。

そして調査の結果、その前提は実際に正しく、中断などしなくても何ひとつ変えずに続行できるはずだったと判明したとしよう。

この中断に対し、あなたやあなたの職場の人たちはどのような反応を示すだろうか。その中断のことを何と呼ぶだろうか?

また、中断を呼びかけた人に対してどのような態度をとるだろうか?

私が開くワークショップで、参加者にこのような質問を投げかけると、どのグループも一様に、その中断は「不要なものだ」と答える。

そして呼びかけた人のことを、「間違っていた」または「ミスを犯した」と描写する。

それは「ミス」ではない

こうしたものの見方こそ文化的な弊害であり、「何かに気づいた人がそれを申し出る」ことを難しくする。


しかし、文化は人がつくるものであり、必ずしもこういう見方をとる必要はない。

中断を間違いやミスと呼ぶのはやめるべきだ。中断は中断でいい。

欲を言えば、レジリエンス活動やバックアップと呼ぶのはどうだろうか。

本当のところ、不必要な中断というものは存在しない。中断が正しかったかどうかは関係ないのだ。

100パーセントの確証が持てなくても、いつでも誰もが安心して中断を言い出せる文化を構築することに照らせば、呼びかけられた中断はすべて必要な中断である。

特定の合図を使う練習を繰り返すうちに、リーダーは合図への対処の仕方を学習する。また、練習を通じて、中断を呼びかけられたときの不安がなくなっていく。

(L デビッド マルケ : 米海軍攻撃型原子力潜水艦「サンタフェ」元艦長)