大阪メトロ20系電車。引退を前に記念のヘッドマークが貼り付けられた(撮影:伊原薫)

日本には、歴史を変えたといわれる鉄道車両がいくつか存在する。たとえば、日本初の高速鉄道用車両である国鉄0系新幹線電車はその代表格だ。

世界初の2階建て高速電車である近鉄10000系、日本初の前面展望車両である名鉄7000系などもそれにあたるだろう。

通勤用車両だが画期的

これらはいずれも特筆すべきサービス設備(スピードもサービスの一環といえる)を備えた各社のフラッグシップ車両だが、一方で技術面において大きな足跡を残したものももちろん存在する。「新性能電車」のはしりとされる国鉄101系や、日本初のオールステンレス製車両である東急7000系などは、通勤用という地味な役割ながら、日本の鉄道史を語るうえで欠かせない。

そして、この2024年3月引退の大阪市高速電気軌道(Osaka Metro、以下「大阪メトロ」)の20系電車もその1つだ。

20系は大阪メトロの前身である大阪市交通局が開発し、1984年に第1編成が登場した。その最大の特徴は、制御装置にVVVFインバータ式を採用した点。今ではほぼ全ての電車がVVVFインバータ制御を採用しているが、当時はまだ技術開発の途上であり、鉄道車両で正式採用されていたのは熊本市交通局の路面電車だけだった。つまり、20系はいわゆる普通鉄道で日本初のVVVFインバータ制御車両ということになる。

こうした流れから、この第1編成は試作車としての意味合いも含んでおり、第2編成以降とは決定的な違いがあった。というのも、第1編成は3両の電動車がそれぞれ異なるメーカーの制御装置を搭載していたのだ。もともと大阪市交通局は公営企業という性質上、同一形式内であってもいくつかの車両メーカーや機器メーカーが製造を手掛けることが多かったが、1つの編成内でメーカーが混在するというのは異例である。

「日本初」ならではの苦労も

「3社とも基本的な性能は同一ですが、スイッチングのタイミングなどが微妙に異なるため、その調整に苦労しました。また、日本初ということで細かい不具合もいろいろ発生し、しばらくその対応に追われました」と、森之宮検車場の谷口竹雄さんは語る。今年で60歳を迎える谷口さんは、入局2年目に新車である第1編成の制御器整備を担当。以来40年間にわたり、20系の面倒を見てきた。

「それまでの車両はカム軸で抵抗器を切り替える抵抗制御が中心で、カム軸を回すモーターや接点のメンテナンスが必要でした。VVVFインバータ制御は電子制御ですので稼働部や接点がなく、整備そのものは非常に楽になりました。ただ、抵抗制御とVVVFインバータ制御では検査や整備の方法が全く異なるため、最初のうちは日々勉強でした」(谷口さん)


森之宮検車場の大谷内圭介さん(左)と谷口竹雄さん。20系の検修を長年担当してきた(撮影:伊原薫)

20系は運転操作面でも大きな変化をもたらした。直接的には、それまで左右方向に動かす方式が主流だったマスコンハンドルとブレーキハンドルが前後方向に動かす方式となったが、それ以外にもさまざまな違いがあったという。

「たとえば、それまで中央線を走っていた30系や50系は抵抗制御車両のため、発車の際に『カム合わせ』という操作が必要でした。自動車に例えると半クラッチのような操作なのですが、VVVFインバータ制御車両ではこれが不要となりました。また、20系は御堂筋線用の10系と同様、停車直前に電気ブレーキから空気ブレーキに切り替わるのですが、そのタイミングやクセをつかむのに苦労したと、運転士から聞いています」(谷口さん)


20系の運転台。元々黒く塗られていたテーブル部分も長い年月ですっかり摩耗していた(撮影:伊原薫)

ほかにも、車両を立ち上げる(電源が落ちた状態から運転可能な状態にする)際や、逆に泊車(電源を落として留置状態にする)の際は、3種類のスイッチを2カ所で操作しなければならなかったのが、20系では1つのスイッチを1カ所で操作すればよくなったという。

1984年に第1編成デビュー

20系の第1編成は約9カ月にわたる試験を経て、1984年12月に営業運転を開始。翌1985年には量産車4編成が製造され、中央線に投入された。同線は同年4月に深江橋―長田間が延伸開業したほか、編成両数が4両から6両へと増強されており、20系の増備はそれらによる車両不足を補う意味合いもあった。

その後、1989年には11編成が追加で製造された。このうち中央線に投入されたのは2編成で、残る9編成は30番代に区分され、谷町線へ。両線の旧型車を置き換えた。

「中央線用と谷町線用で、走行性能に違いはありません。前面や側面帯の色が路線によって違うほか、無線機器などが路線ごとの仕様になっているくらいです」と、同じく森之宮検車場の大谷内圭介さん。大谷内さんも一時期、20系の制御器検査を担当していたという。

こうして、20系は6両編成16本という陣容になったが、1990年以降の増備は新20系へと移行した。新20系は製造コストを下げられるステンレス製車体とし、車体デザインも大幅に変更。技術の進歩に伴い、制御装置もより新しい世代のものとなったが、基本仕様は20系と同じである。

「ただ、新20系は車体の材質の関係で、20系より車重が少し重くなりました。そのため、特に高速域での加速は20系の方が若干よかったようです」(大谷内さん)

そういえば、アルミ車体の20系や10系は走行中に客扉が風圧でバタバタと音を立てている印象が強い。新20系では、扉のバタつきを抑えるために振れ止めが設置されたそうだが、こうした重さも関係あったのかもしれない。

新20系は御堂筋線などへ投入

新20系は20系が活躍していた中央線と谷町線に加え、御堂筋線・四つ橋線・千日前線にも進出。第三軌条方式の5路線すべてに配置され、その数は572両(大阪港トランスポートシステムが製造し、後に大阪市交通局が譲受した12両を含む)に及んだ。新20系は便宜上、所属線区によって21系・22系……などと形式が分けられているが、基本仕様は同一であり、グループ全体でみると全国の地下鉄車両で最大勢力を誇る。


森之宮検車場の検査線に並ぶ車両たち。左から400系、新20系、20系(撮影:伊原薫)

2004年、20系に転機が訪れる。中央線と相互直通運転を行う近鉄けいはんな線(当時は東大阪線)では、2006年に生駒―学研奈良登美ヶ丘間を延伸開業するのに合わせて、最高速度の時速70kmから時速95kmへの向上が計画された。これには車両側の対応工事が必要となるが、ちょうど20系が制御機器の更新時期を迎えていたことから、谷町線に所属していた20系全9本を、中央線の新20系9本と交換。20系に速度向上の対応工事を行うこととしたのだ。

「もともと20系は最高時速70kmを念頭に設計されていますので、制御装置だけでなくモーターなども時速95km対応のものに交換する必要がありました。制御装置は、これまでGTO素子のものを床下の両側に搭載していましたが、当時最新だったIGBT素子を使った小型のものに交換したことで、床下の片側にまとめることができました。もう片側は、重量バランスの関係で機器箱が残っているものの、その中はほとんど空っぽです」(谷口さん)

第1編成は2014年に廃車

2014年には車両運用の都合で余剰となった第1編成が廃車されたものの、残る15編成は令和になっても活躍を続けてきた。だが、2022年に10系が引退したことで、20系は大阪メトロで最古参に。中央線が大阪・関西万博のメインアクセス路線となるのを機に、全車が置き換えられることになった。

中央線への新車導入は、大阪・関西万博の開催に間に合わせるため急ピッチで進められ、これに呼応して20系の廃車も急速に進行。2022年8月から1〜2カ月に1本のペースで減り続け、2024年3月20日のお別れイベントが“最後の花道”となった。


森之宮検車場の検査線で顔を合わせた20系と最新鋭の400系(撮影:伊原薫)

引退を前にしたある日、森之宮検車場で行われた20系の最後の月検査を取材した。月検査は、8人のスタッフが1日がかりで行う。

「制御機器や台車といった走行機器を中心に、損傷やボルトのゆるみといった異常がないかを点検します。20系はVVVFインバータ制御となったことで、部品を取り外して点検・交換する必要がほとんどなくなり、かなり楽になりました」(谷口さん)


20系最後の月検査の様子。ボルトをハンマーで叩き、ゆるみがないか確認する(撮影:伊原薫)

対して、客扉の開閉装置や幕式の行先表示器は可動部があり、定期的なメンテナンスが必要だという。

「特に行先表示器は、ホコリでセンサーが故障したり幕が劣化したりするので、さんざん迷惑をかけられました(笑)。行先表示器は前面と側面で固定方法が違い、前面は取り外すのに手間がかかるんです」(大谷内さん)

引退は「やっぱり淋しい」

誕生から引退まで、まさに20系の一生に寄り添ってきた谷口さん。間もなくお別れとなる車両を点検するまなざしは、とても優しいものに見えた。

「新車の時からずっと面倒を見てきたので、やっぱり淋しい気持ちが強いですね。ただ、お別れイベントにものすごい数の応募があったと聞き、ファンの皆さんがそれだけ20系の引退を惜しんでくれているのだと嬉しくなりました」。

ちなみに、谷口さんは20系の引退を見届けた直後に定年退職の日を迎えるはずだったのだが、大阪メトロの人事制度が変わったため、あと5年ほど勤務するそうだ。

「20系と共に歩む人生なのかと思っていましたが、私はまだ引退させてもらえないみたいです(笑)」

普通鉄道での日本初のVVVFインバータ制御車両として、功績を残した大阪メトロの20系。去りゆく彼らに、惜しみない拍手を送りたい――そう考える関係者や利用者は多いのではないだろうか。


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(伊原 薫 : 鉄道ライター)