「才能を発掘」というけれど、そもそも「才能」などというものは存在するのでしょうか?(写真:SunnyGraph/getty)

歌が上手い、演奏が凄い。音楽の分野で優れた人を見て「あれは天性だな」と感じるかもしれません。しかし、本当に生まれつきの「才能」が全てを決めるのでしょうか。20カ国以上で翻訳され、何年も読まれ続けるロングセラーの新装版『新版 究極の鍛錬』よりお届けします。

生まれつきの音楽の才能

1992年、イギリスの小さな研究グループは「生まれつき才能がある人間」を探し出そうとしたが、結局見つけることができなかった。

誰も異存がない音楽の才能というものを彼らは探していた。一般に才能がもっとも機能すると考えられている種類の分野だからだ。音楽には才能というものが存在するはずである。ある人は歌うことが下手で、ある人は歌がうまい。そこには理由があるはずだ。

なぜモーツァルトが十代で交響曲が書けたのか。まだほんの子どもでしかないにもかかわらずピアノを上手に弾ける子もいれば、音階を弾くだけで精いっぱいの子もいるのはなぜだろうか。音楽の才能をもって生まれた幸運な人たちがいるのだと、多くの人は単純に思い込んでいる。そういった生まれつきの才能こそ上手に演奏できる主な理由だと思っている。

主に教育に従事する専門家で構成されているグループに対し、サンプル調査を行った研究がある。その結果、75%の人たちは歌ったり作曲したり、楽器を演奏したりするには特別の才能や生まれつきの才能が必要であると信じていた。この75%というのは、才能が必要だと信じられている他のどの専門分野と比べても、際立って高い数値だ。

まず研究者たちは257人の若者を対象に調査を実施した。この若者の集団は音楽の教育を受けているというだけで、その他の分野で共通点はみられない。能力別に5つのグループに分け、音楽学校の厳しい選抜試験を経て音楽学生になったトップグループから、6カ月ほどは楽器演奏をしてみたが、その後やめてしまった者までが含まれている。研究者はこの集団を年齢、性別、演奏する楽器、社会経済階層によってグループ分けした。

そして、研究者は学生だけではなくその両親にまでインタビューした。子どもたちはどのくらい練習したのか。何歳くらいで曲とわかるようなものを演奏したのかなど調査した。研究者にとって幸運だったのは、イギリスの教育制度がこれら5つの能力別グループ分けを超えた独自の演奏能力に関する評価方法を提供してくれたことだった。

イギリス全土で行われている若い演奏者の評価方法は、厳密に統一されている。具体的にいうと、楽器を学ぶ生徒のほとんどが国に評価される昇級試験を受けるからだ。評価者は、それぞれの生徒の能力を9つの等級の一つに当てはめることになっている。

生まれつきの才能の証はなかった

研究者は257人の被験者間で音楽の能力や業績に大きな違いがあることを説明するため、調査結果を2つの方法で検証した。

調査結果ははっきりしていた。最高レベルの演奏をする者に音楽での早熟の兆し──我々の誰もが存在すると考えている生まれつきの才能の証──はまったくなかった。それとは逆に、幼少期からみられた特別な才能の兆しという点においては、どのグループの調査結果も大変似通っていた。

トップグループである音楽学校の生徒においては人生の早い時期に曲を繰り返して演奏できたという点で、他の者に比べ高い能力を示していた。具体的にいうと、曲を繰り返すのに他のグループは、平均して24カ月かかっていたのを、平均18カ月でできるようになっていた。

しかし、それだけで特別な才能がある証拠だとはいえない。なぜなら被験者とのインタビューを通じ、次のことがわかったからだ。トップグループの被験者の両親は、他グループの両親に比べ、子どもに歌いかけることに熱心だった。しかし、他のいくつかの観点でみても、他にグループ間の重要な違いを示すことはできなかった。被験者はたいがいみな8歳で自分の楽器を学びはじめていた。

生徒たちは明らかに音楽の業績では大きな能力の違いを示しているのに、入念なインタビューを通しても特定の才能の証明を見いだすことはできなかった。彼らの能力のレベルの違いそれ自身が才能の証しなのだろうか。それ以外にいったい何があるのだろう。しかしこの研究は偶然にもその質問への一つの回答を得ることができた。生徒が音楽的にどれだけ熟達できるか予想できる唯一の要因を見つけた。それはどれほど多く練習するかだ。

業績の違いを分けるもの

研究者たちは全国で行われたこうした等級別試験の結果をとりわけよく研究した。もちろん他のあまり熟達していない生徒に比べ、音楽学校の入学を認められた生徒がそれぞれの等級試験にいち早くかつ簡単に合格したと思うだろう。こうした音楽学校を卒業する生徒は、通常全国のコンクールで優勝し、音楽の道を進むことになるからだ。それが音楽的に才能をもっているということなのだ。

しかし結果は逆だった。研究者たちはトップ集団の生徒たちが、それぞれの等級レベルの試験の合格に平均何時間かかったか計算した。その他のグループでも、それぞれの等級試験の合格にかかる時間を同様に計算した。その結果、両者の間に統計的に意味のある違いを見つけることはできなかった。


5等級の試験合格に必要とされる練習量は1200時間で、エリートの生徒であっても単に趣味として音楽を演奏する学生にとっても、必要とされる時間は同じであった。音楽学校の生徒は、他の生徒に比べて早い段階でこうした等級試験に合格していた。それは1日の練習量が多いからだ。

エリート集団の場合、12歳ですでに日に2時間練習しているのに、一般の生徒は15分しか練習していなかった。実に8倍の違いだ。生徒が日に少しの時間しか練習しないかたくさん練習するかにかかわらず、一定の累積時間を練習につぎ込まないかぎり、それぞれの等級レベルに合格することができないのだ。この研究チームの一員であるキール大学のジョン・A・スロボダ教授は次のように語っている。

「このことは明らかに、達人になるための近道はけっしてないということの証拠なのである」

荒っぽい言い方をすれば、5つのグループの生徒のうち1つのグループはトップレベルの音楽学校に入学し、別の1グループは楽器を演奏することすらあきらめていた。前者は後者に比べ、明らかに大きな音楽的才能に恵まれていたと一般的には思われるだろう。しかし、才能という言葉を少なくとも「容易に達人になれる能力」とするならば、トップグループの者は「才能」をもっていないことをこの調査が証明している。

(ジョフ・コルヴァン : フォーチュン誌上級編集長)