山梨学院大学のグラウンドで練習する富士山の銘水・陸上競技部のメンバー(記者撮影)

富士山を望むグラウンドで黙々と駆けるランナーたち。彼らは「富士山の銘水」の社員だ。「業務」は陸上。1月1日にはニューイヤー駅伝を走った。

ニューイヤー駅伝の正式名称は全日本実業団対抗駅伝競走大会。1月2、3日の箱根駅伝が関東の大学対抗なのに対し、各地区の予選を勝ち抜いた社会人チームが競う。群馬名物のからっ風が吹き下ろす中、ランナーたちは前橋市の群馬県庁を発着点とする7区間の100キロ、タスキをつなぐ。

陸上競技部を設けた理由は

第68回大会となった今年、8年ぶり4回目の優勝を決めたのはトヨタ自動車だった。ほかにも出場41チームには名だたる大企業が連なる。3連覇を逃したホンダ、地元・群馬県太田市の工場にチームがあるSUBARU、最多優勝回数を誇る旭化成……。


群馬県庁前でスタートを切ったニューイヤー駅伝の選手たち(写真:松尾/アフロスポーツ)

その中で大会に初出場を果たしたのが富士山の銘水だ。従業員数は372人。本社を山梨県富士吉田市に置く。2010年に創業し、富士山の標高1000メートル地点で汲みあげた水とウォーターサーバーを販売している。

初出場となった今大会は39位に終わった。だが選手を出した富士山の銘水の陸上競技部はなんと創部2年目にすぎない。会社が陸上競技部を設けた狙いとは――。

「宣伝効果ではありません」。記者が想定していた答えを、粟井太一朗・陸上部長はきっぱりと否定した。富士山の銘水で管理部長を兼務する。

今年のニューイヤー駅伝のテレビ生中継は、平均世帯視聴率が関東地区で11.2%。箱根駅伝(復路)の同28.3%には及ばないが、到達人数にして全国で2830万人が目にしている計算だ(数字はいずれもビデオリサーチ調べ)。

箱根駅伝は受験生集めに絶大な効果を発揮するため、力を入れる大学が次第に増えてきた。同じく、企業にとってもニューイヤー駅伝のPR効果は抜群と思われるのだが……。

「いい会社だと思ってほしいんです。社員、社員の家族、それに地元の山梨県、富士吉田市の方々に」。粟井部長はそう話す。社員の半数は富士吉田市の本社工場に勤務し、地元出身者が大半という。

「いい会社と言うには、給料をはじめ待遇ややりがいなどさまざまな要素がありますが、『応援できる存在があること』も大事だと思っていて」


ニューイヤー駅伝で5区を走った富士山の銘水の佐藤颯選手(写真:松尾/アフロスポーツ)

創部2年目での初出場には「思っていたより早かった。出場すれば応援しやすいので、常連になって順位を少しずつ上げていってほしい」と、期待を寄せる。

「名将」にもらした社長の一言

陸上競技部は2022年4月に創部。そのきっかけをもたらしたのは、箱根駅伝で名を馳せた名将だった。

山梨で駅伝といえば、山梨学院大学の名が浮かぶ。同大学を箱根駅伝の強豪校に押し上げたのが、上田誠仁氏だ。

1985年に陸上競技部監督に就くと、無名だったチームを箱根駅伝に初出場させ、さらに3度の総合優勝に導いた。2019年に監督を退き、現在は山梨学院大学スポーツ科学部の教授になっている。

富士山の銘水とは、同大学出身の短距離の女子選手を社員として受け入れてもらったことから関わりが生まれたという。

「駅伝も強くしたいな」――。

ある時、富士山の銘水の粟井英朗社長がふともらした一言を、上田教授は聞き逃さなかった。「本気でお考えですか?」。

ほどなくして2021年10月、陸上競技部設立の起案書を会社に持参した。「山梨の地元に企業の陸上チームがあればいいなと思っていました」(上田教授)。

起案書は、自身がこれまで教え子を実業団チームに送り出す中で観察してきたことや、スポーツ経営学を研究する大学同僚の意見を基にまとめた。起案書の冒頭にまず記したのは運営の目的だ。上田教授は次のように語る。

「駅伝チームは企業によってさまざまな位置付けがあっていいと思いますが、地方の企業は大企業とは違います。富士山の湧水で企業活動をしているのだから、地元の方々に応援してもらって結びつきを強めていくことにつなげられると思いました」

企業スポーツは道楽とはいかない

目標とするニューイヤー駅伝出場までのロードマップも描いた。「企業経営ですから、スポーツは道楽というわけにはいきません。結果をシビアに判断されます」(上田教授)。

掲げたのは「5年でニューイヤー駅伝出場」。徐々に活動を加速させ、地元に支援の輪を広げて長続きする姿を描いた。

そして、監督として高嶋哲氏の起用を推した。起案書作成にも協力してくれた愛弟子だ。上田教授の監督時代に山梨学院大学の陸上競技部でマネージャーを務め、順天堂大学大学院スポーツ健康科学研究科で修士の学位を取得。これまで監督として2つの陸上競技部をニューイヤー駅伝初出場に導いた経験を持つ。


陸上競技部のメンバーを前に話す高嶋哲監督(記者撮影)

富士山の銘水の陸上競技部は、高嶋監督と山梨学院大出身の選手2人で始動した。そこにほかの実業団や大学卒の選手が加わってゆき、駅伝のエントリー要員を超える14人まで増えた。そのうち大学時代に箱根駅伝を経験しているのは4人にすぎない。いわゆる「雑草軍団」だ。

活動のインフラも選手が食事をとるクラブハウス、移動用のワゴンと少しずつそろっていった。そして迎えた2023年11月の予選会。12位以内に入ればニューイヤー駅伝に出場できるところ、後半で追い上げて11位にすべりこんだ。

元日のニューイヤー駅伝当日は、社員40人ほどが群馬に足を運んで選手に声援を送った。号砲前のチーム紹介では、1区の才記壮人選手が、エスコートキッズと一緒にペットボトルの水を飲んでみせた。

「水の会社だから、水をアピールしようと思って」。才記選手は笑顔で振り返る。正月の駅伝が終われば、陸上界は中長距離の個人種目のシーズンに入る。才記選手は1500メートルでパリ五輪出場を目指している。

富士山の銘水チームの特色の1つは、選手が「陸上専業」であることだ。

工場に拠点を置いているメーカーなどの実業団チームだと、選手が半日、あるいはフルタイムで業務に携わりながら陸上に取り組むケースが多い。だが富士山の銘水の選手は、会社のイベントに参加するほかは陸上に専念している。

工場のある富士吉田市と、練習場所である甲府市内の山梨学院大学グラウンドが離れているためではあるが、高嶋監督は、そこに覚悟を求める。

「業務を逃げ道にはできない。陸上競技でお金をもらうのだから、付加価値を生まなければなりません。応援したくなるような、会社の誇りとなるような姿勢で取り組めば、成績はついてくる」

陸上チームの付加価値とは

業務に携われば「職場の同僚を応援する」雰囲気が生まれる。だが、それがない分、駅伝直前の合宿は富士吉田市で行い、地元で選手を目にする機会につながるように気を配った。

高嶋監督が「陸上チームの付加価値」を強く意識するのは、かつての経験も影響している。市役所のチームをニューイヤー駅伝出場へと導いたが、市長が替わると活動縮小の憂き目にあった。その際、陸上部の活動のPR効果を算出した論文も公表している。

「チームがあることで、地域貢献なりブランディングができることが大事」(高嶋監督)。そのために良い成績を出すことは必須だが、成績だけでも満たせないという。


ニューイヤー駅伝当日、陸上競技部のメンバー(写真:富士山の銘水)

キャプテンの小林竜也選手は「会社に入って、何のために走るのかと迷いもありましたが、ニューイヤー駅伝に出場して、こんなに社員の方々が熱を入れて応援してくれるんだと気づきました」と語る。

「今回は初出場のご祝儀的なところがある。応援してもらえるのが当たり前だと思ってはダメだと選手に言っています」。高嶋監督はそう気を引き締める。次回2025年のニューイヤー駅伝は、関東地方の出場枠が2つ減ると見込まれ、「狭き門」となる。

ニューイヤー駅伝の顔ぶれは時代につれ入れ替わってきた。業績悪化を理由に廃部に至った企業がある一方、新たに登場した企業もある。投資効果をどう発揮するか。選手たちは走り続ける。

(黒崎 亜弓 : 東洋経済 記者)