「大久手山本屋」の味噌煮込みうどん(写真:大久手山本屋)

ラーメンやうどん、寿司、牛丼など海外へ進出して成功を収めている日本の外食チェーンは多い。外国人が抱く日本の安心・安全なイメージや、チェーン店ゆえに国籍を問わず、誰が食べてもソコソコおいしいのが成功の秘訣だろう。逆に言えば、好みが分かれる個性的な味では海外ではウケないのである。

人気の秘密は、職人に対するリスペクト

しかし、そんな定説を覆した店がある。昨年7月、香港の大圍(たいわい)に出店した味噌煮込みうどんの「大久手山本屋」がそれだ。店はMTR大圍駅直結のショッピングモール内にあり、1日平均600人が訪れるという人気ぶり。さらに、昨年11月には香港の海港城(ハーバーシティ)のオーシャンターミナルに2号店も開店し、こちらも人気のようだ。


香港の大圍(たいわい)のショッピングモール内にある「大久手山本屋」のオープン時の様子(写真:大久手山本屋)

味噌煮込みうどんは、愛知県岡崎産の八丁味噌など豆味噌ベースの味噌とムロアジやサバ節などからとった出汁、小麦粉と水だけで打ち上げたコシのある麺が特徴。今でこそ知名度は全国区となり、愛知と岐阜、三重の豆味噌文化圏以外で暮らす人も好んで食べるようになった。

しかし、味噌カツや味噌おでんなど味噌を使った名古屋名物の中でもっとも豆味噌の味が前面に出ているため、日本人でも苦手な人がいるのも事実。筆者が6年前にタイ・バンコクへ取材に行ったとき、名古屋で人気の味噌カツ店が閉店の憂き目にあっているのを目の当たりにした。これも味噌カツの味の要である豆味噌ベースのたれがタイの人々に受け入れられなかったといわれる。

にもかかわらず、香港で味噌煮込みうどんが大人気となっているのはなぜだろうか。海外出店を手がけた「大久手山本屋」の5代目で専務の青木裕典さんに聞いてみた。


手打ちコーナーにはいつも多くの人だかりができている(写真:大久手山本屋)

香港の飲食店は合理化されていて、セントラルキッチンで調理したものを店で仕上げていることが多いんです。ウチは創業当時から手打ちにこだわり、だしも毎朝店でとっています。日本の職人による手作りの味が評価されているのではと思っています」

店の入り口の横にはガラス張りの手打ちコーナーがあり、店を訪れた客は青木さんの弟でうどん職人の晃佑さんが麺を打つ姿を眺めることができる。5代目自らが店頭に立って職人の技を披露している。小麦粉と水を手でこねるところから始まり、麺棒で生地をのばして、麺切り包丁で切るという工程をあえて客に見せるのは、職人の技を体感してもらうと同時に、安心・安全もPRすることが狙いだ。

「世界の山ちゃん」の故・山本会長の“遺言”

青木さんが海外進出を意識したのは、9年ほど前。それまでショッピングセンターやアウトレットモールなどから東京や大阪、福岡での出店のオファーがあったが、すべて断っていた。地元以外の場所でご当地の醸造文化はなかなか受け入れられないと判断したためだ。また、意気揚々と東京や大阪に進出したものの、撤退を余儀なくされた名古屋の飲食店も数多く見てきたのも理由の一つだった。

そんな中、知人から日本の鮮魚や生鮮品などを中心に香港の日本食レストランに卸しているゴーゴーフーズの宮松茂幸社長を紹介されたのがきっかけだった。

「『海外で日本人を活躍させたい』という宮松社長の言葉に惹かれて、日本人向けの店ではなく、現地で暮らす人々を相手にした店を出したいと思うようになりました。しかし、私の父である4代目は昔気質の職人なので、絶対に反対するだろうと。そこで、まずは観光で名古屋を訪れた外国人の方に来ていただこうと思いました」(青木さん)

名古屋は外国人観光客が少なく、英語や中国語表記のメニューを置いている店も少ない。しかし、GoogleマップやFacebookなどの口コミを見て来店する外国人の客もいるのは間違いない。当時、「大久手山本屋」には、中国や韓国、インドネシア、マレーシア、タイなどから来た観光客が訪れていた。


「大久手山本屋」5代目で専務取締役の青木裕典さん(右)と弟でうどん職人の晃佑さん。裕典さんがマネジメント、晃佑さんが調理と兄弟でそれぞれ役割を分担して海外進出を実現させた(写真:大久手山本屋)

ムスリム(イスラム教徒)向けに店が情報を公開

青木さんは英語や中国語表記のメニューを用意したのは言うまでもなく、開店までの時間を利用して、外国人観光客向けにうどんの手打ちが体験できるイベントを企画、開催した。自分で打った麺を食べることはもちろん、別料金で天ぷらやおでんなどのサイドメニューやお酒も注文可能にした。これが好評を博して、昼や夜の営業よりも多く売り上げたこともあった。

さらに2019年からは、ムスリム(イスラム教徒)向けに店が情報を公開し、食べられるかどうかはムスリム自身に判断を委ねる「ムスリムフレンドリー」という考えを用いてムスリム対応のメニューも提供した。

今でこそムスリム対応の店は少しずつ増えているが、当時はインドカレーの店くらいしかなく、ネットや口コミで評判は広がった。月に約600人のムスリムが訪れるようになり、今でもその数をキープしているという。

「おかげで4代目に香港への出店の話を切り出しても反対はされませんでした。海外進出は香港のゴーゴーフーズの宮松社長ともう一人、『世界の山ちゃん』を運営するエスワイフードの創業者の故・山本重雄会長からも大きな影響を受けました」(青木さん)

青木さんは山本会長に指導を仰いだことがあり、それがちょうど「世界の山ちゃん」がタイ・バンコクにオープンした頃だった。その際に
「名古屋のいろんな味を世界に伝えたい。オレ、山本だから山本屋をやらせてくれ」と、山本会長に言われたことが忘れられなかった。そして、夢が実現しないまま山本会長は亡くなった。それが青木さんにとって海外進出のモチベーションのひとつとなった。

さて、香港の店だが、大圍の1号店は45席で、海港城の2号店は85席。鶏肉と玉子が入った定番の「親子味噌煮込み」は、日本よりも200円高い1850円。煮込みうどんは味噌以外にカレーやおすましも用意しているほか、味噌おでんや味噌カツ、どて煮、手羽先唐揚げなど名古屋名物も豊富だ。


「大久手山本屋」香港2号店の店内。窓からはシーサイドの夜景が眺められる(写真:大久手山本屋)

海外勤務を目標に頑張る名古屋のスタッフたち

香港で“名古屋”という文字を見たことがないんです。名古屋の食文化を伝えることで、香港の人々に名古屋へ行きたいと思っていただければ。名古屋であんかけスパや台湾ラーメンの店を営む仲間たちに期間限定でメニューを提供することも考えています」(青木さん)

香港の店には、日本人の職人が1人ずつ在籍している。前に書いた通り、客は日本の職人による手作りの味を求めて店に来るのと、接客などのサービス面においても日本のクオリティをキープできるようにチェックする役割も兼ねている。現地の日本人スタッフの仕事は多く、責任も重大である。現地での暮らしや言語の課題も多い。ところが、名古屋の店で働くスタッフには海外勤務を希望している者もいるという。


名古屋市千種区にある「大久手山本屋」本店(筆者撮影)

「特に若い世代は世界で通用する人財になる重要性をわかっていますね。円安もあり給料面の魅力もありますが、それ以上に海外で挑戦して成長していきたいという想いを持つスタッフが多いです。その想いに応えて、日本人が海外で活躍できる場所を創っていきます」(青木さん)

今年4月にはインドネシア・ジャカルタに出店することも決まっている。ショッピングモール内にある香港の店とは違い、ジャカルタは路面店。愛知県産の肉や野菜、三河湾や伊勢湾で獲れた魚介などを使った炉端焼きをメインに、締めに味噌煮込みうどんを食べるというスタイルとか。

インドネシアは、総人口の9割近くをイスラム教徒が占めているが、日本国内でムスリム対応のメニューを提供してきた経験も存分に生かされることだろう。名古屋の味噌煮込みうどんがアジアを席巻する日も近いかもしれない。

(永谷 正樹 : フードライター、フォトグラファー)