シリコンバレーの歴史をひもときます(写真:gettyimages)

IT産業の集積地であるアメリカのシリコンバレー。なぜ他の国々が追随しようとしてもうまくいかないのか。その理由について、ワシントン大学の歴史学教授マーガレット・オメーラ氏が5年におよぶ取材の末に書き上げた著書『The CODE シリコンバレー全史』から一部抜粋・再構成してお届けします。

前編:50年前、無名の土地がシリコンバレーになった歴史

大胆なビジネスリーダーがシリコンバレーを生んだ

ロナルド・レーガンは正しかった。ハイテク革命は、アメリカでしか起こりえないものだった。そして彼をはじめ実に多くの人々は、ジョブズやゲイツ、ヒューレットとパッカードといった起業ヒーローをほめそやして正解だった。

シリコンバレーは、ビジョンを持った大胆なビジネスリーダーなしには決して生まれなかった。レーガンとその保守派仲間はまた、規制が強すぎて国有化が進みすぎた産業は起業的イノベーションの大きなハードルとなりかねないという点で正しかった――世界中の無数のシリコンバレーを目指す地域がそれを実証している。

だが自由市場と個人としての起業家、まったく新しい経済を讃える中で、シリコンバレーの神話は現代ハイテク産業における、もっとも興味深い、先例のない、本質的にアメリカ的なものを置き忘れてしまった。

というのも、こうした起業家たちは孤独なカウボーイなどではなく、非常に才能ある人々だが、その成功を可能にしたのは他の多くの人やネットワークや制度だったからだ。そうしたものとしては、両党の政治リーダーたちが口をきわめて批判し、多くのハイテクリーダーたちが眉ツバ視したり、ときには露骨に敵意を示したりした、大きな政府的な計画もある。

原子爆弾から月面着陸からインターネットのバックボーンとそれ以外まで、公共投資は科学と技術的な発見の爆発を促進し、その後何世代ものスタートアップの基盤を提供したのだ。

だがシリコンバレーの存在は政府のおかげだと宣言するのは、それが稼働する自由市場の最も純粋な表現なのだと宣言するのと同じくらい、まちがった二項対立でしかない。シリコンバレーは、大きな政府の物語でもないし、自由市場の物語でもない。その両方なのだ。

アメリカ政府がハイテクに投資したという事実と同じくらい重要なのは、そのお金がどのように流れたか――間接的に、競争的に、ハイテク世界の男女に未来がどのようなものになるかを定義づける、驚くほどの自由を与えるような形で流れたかということだ。

おかげで彼らは技術的に可能なものの境界を押し広げ、その過程で大儲けもしたのだ。もっと強力なコンピュータ、人工知能のブレークスルー、インターネット――多くのノードを持つのに単一の指令センターを持たない、驚くべきコミュニケーションネットワーク――の設計の資金提供を促進して設計を形成したのは、政治家や官僚ではなく、学術的な科学者たちだったのだ。

規制緩和とハイテクに有利な税制で巨大に

政府の気前のよさは、産軍複合体を超えて広がっていた。規制緩和とハイテクに有利な税制は、コンピュータのハードウェアとソフトウェア企業やその投資家たちのためにロビイングされたものであり、彼らにきわめて有利となっていた。

そのおかげでシリコンバレーは巨大になった。研究と教育の継続的な公共投資によって、次世代のハイテクイノベーターたちが訓練と補助を受けることになった。その間ずっと、巨大な政府計画や中央化された計画に対する政治的な嫌悪が高まり、おかげで政治や軍の指導者たちはおおむね産業に口だししなかった。

何百万ドルもの連邦投資が血脈を流れていたのに、地域のハイテククラスターは時間をかけて有機的な成長を許され、政治的な狙い撃ちを受けることはほとんどなかった。

この自由は予想外の影響をもたらした。メインフレーム時代以来、国の政治家たちはこの技術を漠然としか理解しておらず、ホッケースティック状の急成長が国内経済を促進するというだけで、その産業のデータ収集活動の規制を驚くほど軽くすませた。

政府の作ったインターネットが1990年代初頭についに商業活動に開かれたとき、民主党と共和党の政治家はどちらも、規制は最小限に抑えるべきだと合意して、利用者のプライバシーといった話になると、企業がおおむね自己統制するだけですませた。こうしたものすべては最終的に、ソーシャルメディアなどのプラットフォームにおける、コンテンツと接続性の見事な爆発を許容した。

だがインターネットのルールを設計する人々は、悪いアクターたちがこの仕組みを濫用する手口について認識していなかった――そしてこれらのツールを設計する人々は、自分の創り出したものがいかに強力で、どれほど濫用可能になるかについては、ほとんど認識できていなかった。

賢い人だらけだったが、ほとんどは他所からきていた

一見するとお馴染みの物語に、もう1つひねりが入る。

ハイテク革命は、個人の才能だけでなく、集合的な努力の結果でもあり、多くの技術関係者以外の人々も重要な役割を果たした。成功が生まれたのは、何千人もの活気ある多様なキャストのおかげで、ベストセラー伝記やハリウッド映画のネタになった、スポットライトのあたる役者たちだけではない。すばらしいエンジニアもいた。見事なマーケティング担当者、弁護士、オペレーター、金融屋もいた。多くは金持ちになった。

だがならなかった人はもっと多い。政治と金融の権力からはるかに遠い、快適で怠惰な北カリフォルニアで活動していた人々は、起業家のガラパゴスを作りだした。そこには新種の会社が生まれ、独特な企業文化の流派も生じ、ある程度のヘンテコさに対する寛容も見られた。

そこは賢い人だらけだったが、ほとんどは他所からきていた――アメリカの反対側の端、地球の裏側などだ。そしてお馴染みのものをふりすてて、未知のものに飛び込む意欲を持っていた。ある古参のハイテク業界人が夢見るように語ってくれたように「負け犬どもがみんなしてここにきたんだ。そして奇跡的にそいつらが成功した」。

シリコンバレーと金融や政府のハブ――東海岸のツタのからまるアイビーリーグ大学は言うまでもない――との地理的、精神的な分断は、その大きな長所でもありアキレス腱でもあった。イノベーションは、小さくて緊密にネットワークされたコミュニティ内で起こり、そこでは友情と信頼が、専門的なリスクを取って、専門的な失敗を容認する人々の意欲を高めた。

だがシリコンバレーの緊密なサークルは、工学と金融の世界がすべて白人男性だけの時代に生まれたので、極度のジェンダーと人種的な不均衡が織り込まれることになった――このため、どんな製品を作るか、どんな顧客に奉仕するかについての視野が狭まった。

近視眼はそれに留まらなかった。シリコンバレーの工学支配的な文化は、すごい製品を作って市場を広げることだけに対する、妄執じみた専念をもたらし、結果としてその他の世界にはほとんど関心を向けなかった。政府の制度機関や旧弊な産業の仕組みなんか、気にする必要などないだろう。そいつらをひっくり返し、はるかによいものをもたらすのが目標なんだから。未来を作っているんだから、過去のことなんか気にするまでもない。

「ニューエコノミー」と「古い経済」の深い絡み合い

だがここでもまた、革命の現実は革命の神話とはちがったものとなっている。門番の守衛どもを押しのけ、頑固な権力構造を解体し、ちがった考え方をしようという決意は確かに強かったが、ハイテクの「ニューエコノミー」は古い経済と深く絡み合っていたのだ。


ベンチャー資本はロックフェラー家やホイットニー家や、労働組合の年金基金からきていた。マイクロプロセッサは、デトロイトの自動車やピッツバーグの製鉄の原動力となった。1970年代のスタグフレーションと1980年代の脱工業化の中で、アメリカのすべてがもっと希望に満ちた経済ナラティブを求めていたとき、旧弊なメディアと旧弊な政治家たちはハイテク企業をほめそやし、そのリーダーたちをセレブに仕立てた。

この活動はすべて、第2次世界大戦中とその後の巨大な政府投資に依存していた。宇宙時代の防衛システム契約から大学研究補助金、公立学校、道路や税制までその幅は実に広い。シリコンバレーは、現代アメリカ史の主流におけるただの脇役ではなかった。それは最初からずっと、ど真ん中に位置づけられていたのだ。

シリコンバレーの物語は、起業家精神と政府、新しい経済と古い経済、遠大な発想のエンジニアたちと、そのイノベーションを可能にした技術とは関係ない何千人との物語だ。他の工業国も何らかの形でその起業精神の錬金術をまねようとしてきたが、シリコンバレー企業はその結合組織と転覆力を世界中に広げたとはいえ、これはアメリカだけの物語となる。

そしてそれは、きわめて運のいい時と場所に生まれたものだ。第2次世界大戦終戦からの驚異的な四半世紀における、アメリカの西海岸だ。そこでは技術志向で適切なコネと冒険心を持った若者には、壮大な機会が待ち受けていることもあったのだ。

(訳:山形浩生・高須正和)

(マーガレット・オメーラ : ワシントン大学教授)