今年4月にJFA会長への就任が予定されている宮本恒靖氏(筆者撮影)

「史上最強」との呼び声もあるサッカー日本代表は、14日からアジアカップ2023(カタール)に挑む。前回2019年UAE大会の決勝でカタールに苦杯を喫した森保一監督は5度目のアジア制覇を果たすべく、目の色を変えている。

ちょうど20年前の2004年中国大会でも日本は優勝しているが、当時、キャプテンとしてチームを牽引したのが、現在日本サッカー協会(JFA)専務理事を務めている宮本恒靖氏だ。

凄まじい反日ムードの中、重慶で行われた準々決勝・ヨルダン戦のPK戦で中村俊輔(横浜FCコーチ)と三都主アレサンドロが劣悪ピッチに滑って連続ミスしたのを見逃さず、主審に「これはアンフェアだ」と詰め寄り、ゴールを反対のものに変えさせたのが彼だった。勇敢な行動力と高度なリーダーシップには日本中から称賛の言葉が贈られた。

40代の若さで日本サッカー界のトップに

その宮本氏が今年4月にJFA会長に就任することになった。彼は昨年11月に次期会長選挙に立候補。対抗馬が立たなかったため、唯一の候補者として12月24日の臨時評議員会で「会長予定者」として承認された。田嶋幸三現会長の後任として今春から40代の若さで日本サッカー界のトップに座ることになる。

宮本氏の経歴は実に輝かしい。1977年、大阪府富田林市出身の彼はガンバ大阪ジュニアユース時代から年代別代表に選ばれ、1993年U-17W杯(日本)、1997年U-20W杯(マレーシア)、2000年シドニー五輪と年代別世界大会を総なめにし、2002年日韓・2006年ドイツ両W杯に参戦。日本代表として全年代の世界大会を総なめにしたのは中田英寿、小野伸二、久保建英(レアル・ソシエダ)ら限られた選手しかいない。

しかも宮本氏は2度のW杯でキャプテンマークを巻いている。その後、オーストリアのザルツブルクでもプレー。国際経験も積み重ねた。ヴィッセル神戸でプレーした2011年に現役を退いたが、まさにエリート中のエリートと言っていいキャリアを歩んだのだ。

当時は高卒でJリーグに進むのが成功例と言われたため、大学進学が難しかったが、宮本氏はプレーしながら同志社大学を卒業。文武両道を実践した。

若かりし日の彼は、「僕はサッカーも大事だけど、勉強も大事。大学の人間関係もものすごく貴重」とサラリと語り、サッカー一辺倒の選手とは一線を画していた。

英語力も抜群で、引退後には国際サッカー連盟(FIFA)が主宰する大学院・FIFAマスターを受講。「ボスニア・ヘルツェゴビナの町・モルタルで民族融和に寄与する子供向けのスポーツアカデミーを設立することは可能か」をテーマに修士論文を発表している。

いったんは現場指導の道に

その後、すぐにマネージメントの方向に進むかと思いきや、意外にも現場指導を選択。2015年から古巣・ガンバ大阪に戻ってアカデミーのコーチに就任する。2016年にJFA公認S級ライセンスを取得すると、2018年途中からトップチームに監督に。2020年J1・2位、天皇杯準優勝という結果も残した。しかし2021年途中に成績不振で解任という憂き目に遭う。

これが彼の分岐点になったのだろう。約1年の空白期間を経て、宮本氏は現場を突き詰めるのではなく、マネージメント方向に転換。JFA理事に就任し、新設の会長補佐として田嶋幸三現会長を支える道を選ぶ。この時点で「次期会長候補」と目されたのだ。

そして2023年に専務理事となり、事務方のトップとして「JFA中期計画・2023ー2026」を中心となって策定するなど、日本サッカー界の中枢を担う人材として力をつけてきた。そういった流れもあり、宮本氏の会長就任はシナリオ通りだったと言っていい。

選手・監督としてこれだけの実績があり、国際的なネットワークやコミュニケーション力を誇る40代のサッカーに精通する人材を探そうと思ってもそうそういないのは確か。日本サッカー界のイメージアップにも寄与してくれるクリーンで清々しいイメージもある。だからこそ、田嶋現会長がわざわざ会長補佐というポジションを作って彼を迎え入れ、2年間実務を覚えるように仕向けたのだろう。

そういった環境を与えられた宮本氏も努力を惜しまなかった。中期計画の中では、これまで取り組んできた日本代表の活躍、スポーツ・サッカーの拡大、社会課題への挑戦、新たな成長モデルの構築といったテーマをより追求していくことを強調している。

とりわけ、宮本氏が取り組まなければならないのが、財政面だろう。2020年からのコロナ禍で日本代表戦を開催できず、観客制限も長く続いたため、2022年度(1〜12月)からの決算は収入191億1149万円に対し、支出は239億9271万円と約48億8000万円の赤字となった。コロナ禍の影響を踏まえ、もともと46億円超の赤字予算を組んでいたうえ、JFA特定預金を取り崩したことで、実質的な赤字は3億5000万円程度に縮小されたが、厳しい状況に陥ったのは間違いない。

2023年度はJFAハウス売却益などが加わって前年比100億円増、67億円超の黒字となる見通しだが、それほど楽観できる状況とは言いがたい。少子化の影響もあり、選手登録数は2014年度の96万4328人をピークに下降線を辿っており、2022年度時点では81万7375人。JFAが定めた2005年宣言では「2050年までにサッカーファミリーを1000万人にする」という目標が掲げられていたが、それが難しくなりつつあるのだ。

その対策の1つとして「JFA Passport」というアプリを2022年カタールW杯直前の11月にローンチし、誰でも無料で入れる新たな登録の枠組みを構築したが、本格展開は道半ばにあるようだ。アプリ自体のダウンロード数も思うように伸びていない模様。代表戦の地上波放送減少もあって、ライト層への遡及が難しくなっている今、いかにしてサッカーの魅力を広く伝え、マネタイズしていくかというのはハードルの高いテーマだ。

サッカー新拠点「blue-ing!」を立ち上げ

宮本氏は「収入増の新たな方策を見出したい」と熱望。彼が積極的に関与して企画・準備を進め、昨年12月23日にオープンした東京ドームシティ内のJFAサッカー文化創造拠点「blue-ing!」の運営に期待を寄せている。

同施設にはこれまでJFAハウス内にあった日本サッカーミュージアムの展示品が一部移設し、新たなテクノロジーを使った有料体験型ゾーンを整備。飲食スペースなども併設して、より多くの人々に気軽にサッカーに触れてもらうことを目指している。

アジアカップ・日本戦の際にはパブリックビューイングを実施するなど、さまざまなイベントを開催し、集客と増収につなげたいという。宮本氏は12月21日のオープニング会見に登壇し「サッカーの魅力に触れてほしい」とアピールしていたが、今後の動向が気になるところだ。


「blue-ing!」の立ち上げを主導した宮本恒靖氏(前列中央/筆者撮影)

宮本氏が中心となって昨年12月から始めたもう1つの企画が「JFAクラウドファンディング」だ。JFAがプロジェクトを起案し、個人や団体などの支援者を募って事業を実行することに加え、JFAがプラットフォーマーとなって全国の地域協会や関連団体、選手、指導者、審判員といった個人にクラウドファンディングの場も提供。2024年末までの1年間で支援総額10億円、起案数350件を目指しているという。

第1弾として「日本代表の未来をみんなでつくろう!ユース育成から世界トップへ」と銘打ち、育成年代強化のためのプロジェクトをスタート。3000万円を目標とし、高額支援者は2024年元日のタイ戦(東京・国立)に向けた千葉県内での日本代表合宿時に選手と直接交流できる場も提供されたが、1月9日時点の総額は1369万3000円。まだ半分に達していない。

JFAとしては「自分たちがアクションを起こさないと始まらない。そのためのテスト的なチャレンジ」と位置づけて着手。賛否両論も多かったが、「資金不足に悩むサッカーファミリーを支援できることなら何でもやりたい」という思いが宮本氏の中にあったのだろう。実際、関連団体からの問い合わせも増えているようだ。

もちろんJFA会長の仕事はサッカー普及や財政面のテコ入れだけではないし、各年代の日本代表や国内リーグの強化、社会課題の解決、関連団体との連携強化などやるべきことは数多くある。実務経験わずか2年という若いトップがそれらをすべて完璧にこなすのはやはりハードルが高い。

調和型のリーダーとして

本人は会長立候補時のマニュフェストの中で「私は『俺についてこい』というタイプのリーダーではありません。仲間の意見に耳を傾けながら、仲間を後押ししながら、逆に後押しされながら、これまで日本サッカーを支えてきたみなさんと、これからの日本サッカーのために一緒になって前へ進んでいきたいと思っています」と語り、調和を大切にしながら進んでいく覚悟だ。

となれば、周りを生かす能力がより強く問われるところ。キャプテンとして中田英寿ら突出した個の集団をまとめきれなかった2006年ドイツW杯、リーグ制覇まで手が届かなかったガンバ大阪監督時代の反省を踏まえ、宮本新会長がいかにして協会、そして日本サッカー界をマネージメントしていくのか。選手・監督時代の彼は、難局に直面すると自分の殻に閉じこもりがちになるところも垣間見えただけに、オープンマインドを心がけてほしい。

宮本氏の立候補を後押しした岡田武史副会長も「『エラー&ラーン』が非常に大事だ」と強調していた。Jリーグ発足から右肩上がりできた日本サッカー界が難しい時代に突入する中、彼には田嶋現会長の路線を継承するだけではなく、独自色をしっかりと確立してほしいものである。


日本代表として共に戦った中村俊輔氏(前列中央)の引退試合に参加した宮本恒靖氏(前列右から3番目/筆者撮影)

(元川 悦子 : サッカージャーナリスト)