希少価値があった鹿児島交通の高須経由鹿屋行きバス(筆者撮影)

ローカル鉄道の廃止反対理由として、「鉄道がなくなると町がさびれてしまう」としばしば述べられる。しかし現実には鉄道の乗客が高齢者と高校生だけとなり、利用客数が極端に減少してしまったからこそ廃止論議が起こる。消えた鉄道の沿線地域と、鉄道を代替した公共交通機関は今、どうなっているのか。今回は人口の多さでは鹿児島県内屈指の鹿屋市を中心とする、大隅線の古江―志布志間を見る。


大隅半島は大きく、根元に当たる国分から南端の佐多岬までは110km以上ある。鹿児島市は桜島を挟んで対岸の薩摩半島にあり、古来、大隅半島の多くの町からは、国分を経由するより、錦江湾を船で渡ったほうが、はるかに短い所要時間で到達することができた。

当初ほかの鉄道と接続がなかった

そのため、1987年3月14日に廃止された国鉄大隅線の前身である南隅軽便鉄道は、1915年に高須(後の大隅高須)―鹿屋間を最初の開業区間とした。さらに1916年には大隅鉄道と改称して路線延長を図り、1935年に国に買収された際には古江―鹿屋―串良間で営業していた。

私鉄時代には、最後までほかの鉄道との接続がなかったのだ。しかし、古江では航路と接続しており、鹿児島方面への輸送は海運との連携が前提の鉄道計画であった。

国分から鹿児島交通の路線バスを乗り継ぎ、古江に11時12分到着。ここから鹿屋方面へのメインルートである国道220号は内陸部へ入るが、鉄道は高須を経由していたので、そちらへ向かう。

現在では鹿児島交通の2023年10月1日ダイヤ改正による大幅減便により、古江―高須間は1日上下2本しかバスの便がなくなったが、取材時には古江港前11時52分発の高須経由鹿屋行きに乗っている。古江港前バス停は旧国鉄古江駅前でもあり、鉄道と海運の結びつきの強さを感じさせる。バスは海を右手に見て走るが、湾岸沿いルートの需要はわずかと察せられ、この時も先客はなかった。

高須からは国道269号に入り、一気に坂を登る。南九州の特徴的な地形、シラス台地だ。水利に乏しいため稲作ができず苦しんだ土地だが、今はサツマイモなどを中心とする畑作地帯となっている。

駅があった野里を過ぎると、いきなり右手に、まるで空港のような施設が現れ、滑走路を回り込むように走る。1936年に設けられた海軍の基地を前身とする、海上自衛隊鹿屋航空基地だ。周囲は都会的な風景になり住宅地の中に入る。団地があり、バスにも乗車があった。

鹿屋は大隅半島の中核

鹿屋市は2006年に旧鹿屋市と吾平(あいら)町、串良町、輝北町が合併して成立した自治体だ。大隅線が廃止された直後の1990年の国勢調査では、旧市の人口は約8万人弱。それが鉄道の存廃も関係なく増加を続け、2005年には8万人を超えている。平成の大合併で10万都市となったが現在は減少に転じており、再び10万人を切った。主な産業は農業の他、電子工業、食品加工業などだ。

町の中央を流れる肝属川と下谷川に挟まれたエリアが「かつての」中心街で、鹿屋駅廃止後、跡地に移転してきた鹿屋市役所がある。ただ、地方都市の例に漏れず、現在の商業地は市街地の北側を迂回するように建設された、国道220号バイパス沿線などに移っている。

鹿屋バス停も中心街の一角。大型スーパーマーケットや公共施設、銀行、専門店などが集められた再開発エリア「リナシティかのや」前にあった。

感心したのが、どの方面から来たバスでも、路地を一周させるなどして、スーパーの前の、道路の片側にのみ集めて設けられたバス停に発着させていたことだ。バス停を分散させて利用客に無駄な移動を強いるところが多い中、1つの見識を示している。こちらも12時24分に到着し、迷うことなく12時40分発に乗り継げた。古江港から鹿屋までは580円だった。

このバスターミナルには、垂水―鴨池間のフェリーに乗せて鹿屋と鹿児島市内を結ぶ1日4往復の鹿屋―鹿児島直行バスや、1日6往復ある鹿屋―鹿児島空港間の特急バスも発着する。広域的な公共交通機関としては、これらが主軸となる。


スーパーマーケットの目の前に設けられた鹿屋バス停(筆者撮影)

鹿屋から志布志方面への大隅線は、旧吾平町の吾平、肝付町の大隅高山(こうやま)を経て、旧串良町の串良へと向かっていた。ローカル鉄道ではありがちだが、中心都市から放射状に流れる需要に反して、散在する大小の町を丹念にたどって貨物や利用客を集めるよう、迂回を繰り返す線形になっていた例が少なからず。鹿屋から串良、志布志方面へも、ほぼまっすぐ東へ向かう国道220号を通れば近いが、大隅線はそういう経路を取っていなかったのだ。

大隅線とは違うバスのルート

垂水―鹿屋―志布志間の鹿児島交通の路線バスも、大半の便が鹿屋から東へは東笠之原、国道220号を経由し串良へと至り、吾平や高山は経由しない。鹿屋から吾平経由高山まで走る系統は、大隅半島の太平洋側にある、ロケット打ち上げ施設で知られる内之浦への路線だ。

吾平止まり、高山止まりの便も合わせると、運転時刻は偏ってはいるものの、以前は日中も1時間に1本程度、途中経由地をきめ細かく変えつつ走っていた。ただやはり10月のダイヤ改正で減便となり、最大2時間程度、間隔が空く時間帯ができてしまっている。

鹿屋12時40分発は、その内之浦行き。市役所前を通るが、利用客は数えるほどだ。県立鹿屋工業高校、工業団地前などを経由し、やはりシラス台地の上を淡々と走る。鹿屋市吾平総合支所の前まで来ると、鹿屋からはかなり南下した感じだ。吾平で東へ進路を変える。

旧鹿屋市の小規模版のようにロードサイド店が増えると肝付町だ。24時間営業のスーパーマーケットすらあった。北流する高山川を渡って右岸に入り、県道を外れて旧道に入ると13時16分に高山到着。480円だった。


狭い旧道にある高山バス停(筆者撮影)

わずかな下車客は皆、ICカードをタッチして降りる。鹿児島交通をはじめとする、いわさきグループでは独自の交通系ICカード「いわさきICカード」を販売しているが、Suicaなど全国相互利用共通ICカードは使えない。

高山バス停は、昔はにぎわっていたであろう商店街の中にある。大隅線は高山川を渡らず、左岸に駅を構えており、ここで再び進路を北に変えていた。途中、肝属川で区切られているためか、肝付町と旧串良町の間の交流は、高校生の通学を除けばわずかなようだ。

需要に応じて分断された“代替バス”

高山と串良の間を走る鹿児島交通のバスは、取材時には朝と夕方に各2往復ずつ、土休日は1日1往復しかなく、次の高山発は16時26分の志布志駅前行きであった。この上下各4本はいずれも鹿屋―志布志間の運転で、うち1往復だけはバスの運用の都合か垂水発着だった。ここも2023年10月改正で1日2往復に削減された。

 丹念に大隅線の跡をたどるなら、高山―串良間も乗るべきかもしれないが、鉄道廃止から40年近くが経過した今となっては、路線バスに大隅線の輸送を代替する意味合いはもはやない。地域ごとの需要に応じて、再編されている様子がわかった。こちらも3時間以上は待っておれず、タクシーを呼んだ。途中の風景は、これまでととくに変わるところはなく、平坦な県道を快走するだけだ。

串良では公園風にしつらえられている串良駅があった場所と、串良駅跡を名乗るバス停を眺め、14時59分発の志布志港行きを待つ。


串良駅跡を名乗るバス停もある(筆者撮影)


公園になった大隅線串良駅跡(筆者撮影)

吾平や高山を経由しない垂水港―鹿屋―志布志間の系統は、今回のダイヤ改正では大きな変更はなく、朝夕は1時間2本程度。日中も1時間から1時間半に1本程度の運転が確保されている。志布志港まで足を延ばすバスがあるのは、大阪南港―志布志間の商船三井さんふらわあのフェリーとの接続のため。ただ、乗車した時点では、ほかに利用客はいなかった。


串良に到着する志布志港行き(筆者撮影)

串良バス停も町中の狭い旧道にある。串良川を渡って東串良町の中心部も通り、国道220号に合流すると、後は整備された道を、志布志まで一直線に進むだけになった。両側には、ロードサイド店が次々に現れる。途中、道の駅や宿泊施設などが一体的に整備された「あすぱる大崎」の中に入るが、乗降はない。

フェリー接続バスもお得意様は高校生

内之浦方面からの国道448号が合流すると、ほどなく志布志の市街地。元国鉄志布志線との立体交差を過ぎて、15時30分に着いた志布志高校前で高校生が一斉に乗ってきた。閑散としていた車内が、志布志駅前までわずか4分間のにぎわいを見せた。


大隅線や志布志線が乗り入れていたころの志布志駅の跡は商業施設になった(筆者撮影)


唯一残った日南線の志布志駅(筆者撮影)

串良―志布志駅間は610円。大隅線、志布志線、日南線が乗り入れていた広い志布志駅跡は今、ショッピングセンターになっており、宮崎方面へ向かう列車の小さな駅だけが、その脇にたたずんでいる。


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(土屋 武之 : 鉄道ジャーナリスト)