プロ6年目だった昨季、大ブレイクした山粼颯一郎のマウンド姿はオリックスファンのみならず、多くの野球ファンを虜にした。190センチの長身から繰り出される最速160キロのストレートに鋭く落ちるフォーク、さらにはナックルカーブやカットボールも駆使。とくにヤクルトとの日本シリーズでは、強力なセットアッパーとして4試合に登板し、日本一の原動力となった。

 一軍初登板はプロ5年目。それまでの4年間はファームで実績を積んでいたが、3年目のシーズン途中にトミー・ジョン手術を受け、一時は育成選手登録となった。その後、懸命なリハビリ、そしてトレーニングを重ねて4年目オフに支配下登録され、現在に至る。


腰の張りで離脱する栗林良吏に代わり追加招集されたオリックスの山粼颯一郎

【のんびり気質の天然キャラ】

 山粼は石川県加賀市出身。高校は隣県の福井の強豪・敦賀気比に進学する。当時から身長が180センチを超え、グラウンドにいるだけでも目立つ存在だった。性格はいたってマイペースで、「天然」「何を考えているのかわからない」と、指導者やチームメイトを困らせることもあった。

 色白な頬をピンク色に染め、寒空の下、グラウンドに走ってやってくる山粼の姿を高校時代に何度も目にした。練習中は引き締まった表情も、それ以外ではのほほんとした表情でチームメイトと談笑し、周囲の騒がしさにも動じない。だが緩やかな表情がゆえ、「覇気を感じない」と厳しい指摘を受けることも少なくなかった。

「アイツは本当に何を考えているのかわからない。こちらが言ったことをちゃんと聞いているのか......。怒っても、スイッチがどこにあるのかわからないんですよ」

 敦賀気比の東哲平監督は、山粼についてよくそういった話をしていた。

 関西出身のやんちゃな選手が多いチームのなかで、のんびり気質の山粼のキャラクターは際立っていた。先輩にいじられ、いつもニコニコ。取材時に真剣な話をしていても笑顔をたやさず、穏やかな雰囲気にしてしまう。そんな不思議な空気感をいつも持っていた。

 高校3年夏の県大会では、初戦で実力校の坂井高校と対戦。2−2のまま延長戦に突入し、エースの山粼は延長15回をひとりで投げ抜くも、勝ち越し打を許して2対4の惜敗。

 試合後、泣きじゃくり、コメントすらできないチームメイトがいるなかで、山粼は毅然とした態度で記者たちの質問に答えていた。

 その後、ドラフトでオリックスから6位指名を受ける。東監督は、山粼のポテンシャルに期待を抱きつつも、「通用すればすごいピッチャーになる可能性はありますが、ゼロのまま終わってしまう可能性もある」と語っていた。

【チーム屈指の人気選手に】

 プロに入って4年間は一軍登板がなく、大手術も経験。一時は育成契約を味わったが、その表舞台に立てなかった間に体を鍛え抜き、球団所属の日本人投手で最速となる160キロをマークするまで成長を遂げた。

 今春のキャンプでは、山粼が姿を現すだけで女性ファンから黄色い声援が飛び、球場の外に出るとたちまち人だかりができた。

 オリックスのファンフェスタでの仮装によってつけられたニックネームは"吹田の主婦"。それになぞらえ、女性ファンから「今日の夜ごはんは何ですか?」と声をかけられると、「肉系かな」と真顔で答える姿は、いかにも山粼らしい。

 プロの世界に身を置いてから丸6年が経っても、球団関係者は「今も天然ですよ」と明かすが、山粼の発する言葉に力強さが増したように思う。

 春季キャンプ後半のある日、ここまでの成果について尋ねると、軽やかな口調でこう返ってきた。

「順調にきています。今は決め球を磨いているところなんです。投げながら、『これが決め球だったらいいな』という感じで、探りながら形にしているんです。実戦で試して打者の反応を見ながら、どう完成形にしていくか。種類で言うと、カーブとフォーク系。いい感じで仕上がってきていると思います。でも、真っすぐに関してはまだまだですね。精度と威力をもっと上げていく必要があります」

 昨シーズンの自身の活躍について、どう受け止めているのか。

「期待されるのはうれしいです。去年は、最大限のパフォーマンスを発揮できたと思いますし、やるべきことはやれました。でも、去年と同じではダメ。真っすぐの威力は落とさず、変化球のバリエーションを増やす。与えられたところでしっかりと投げきる。それが今の目標です」

【中学3年時に世界一を経験】

 今季に向けた抱負を聞いたあと、日本代表について話題を向けると「もちろん、日本代表への想いはあります。侍ジャパンの一員として投げてみたいです」と、胸の内を明かした。山粼に話を聞いたのは2月下旬で、ちょうど侍ジャパンの強化合宿が同じ宮崎でやっている最中だった。

 チームメイトの山本由伸や、宮城大弥、そして昨年セットアッパーとしてともにオリックスのブルペンを支えた宇田川優希は侍ジャパンのメンバーとして招集されていたが、山粼は予備候補のため合宿には参加していなかった。それでも気持ちを切らすことなく、不測の事態に備えていた。

「いつでもいける準備はしています。(侍ジャパンのトップチームは)やっぱり憧れますよ。ああいう舞台で投げてみたい」

 じつは山粼にとって、日本代表は決して遠くない存在だった。中学3年生の時に世界少年野球大会の日本代表に選ばれ、優勝している。プロ入り後も、2年目オフにWBSC U23ワールドカップの日本代表として2試合に登板。10回2/3を投げ自責点0の快投を見せ、最優秀防御率賞を受賞した。WBC球は昨年11月の日本代表強化合宿で触れているが、今春のキャンプでも感触は何度も確認している。

 そして3月14日、腰の負傷のため離脱することになった栗林良吏に代わり、山粼が侍ジャパンに追加招集された。

「宇田川に負けないように、そして日本の世界一に貢献できるように全力で腕を振ります」

 念願の侍ジャパンの一員となった山粼は、最高峰の大会でどんなパフォーマンスを見せてくるのだろうか。その時が楽しみでならない。