箱根駅伝で前回大会の6位を上回る成績を目指す中央大【写真:中央大学陸上競技部】

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箱根駅伝「ダークホース校の指導論」、中央大学・藤原正和監督インタビュー第2回

 今年度の大学駅伝シーズンも佳境を迎え、毎年1月2日と3日に行われる正月の風物詩、箱根駅伝の開催が近づいている。10月の出雲駅伝、11月の全日本大学駅伝で2冠を達成した駒澤大を止めるのはどこか――。「THE ANSWER」では、勢いに乗る“ダークホース校”の監督に注目。今回は箱根駅伝で歴代最多の総合優勝14回を誇る名門・中央大学で、就任7年目を迎えた藤原正和監督だ。前回大会で総合6位に入り、10年ぶりのシード権を獲得したが、近年低迷していたチームをどのように立て直してきたのか。第2回では自らの指導方針に生かされている現役時代の教訓や、2人の監督から受けた影響について明かした。(取材・文=佐藤 俊)

 ◇ ◇ ◇

 2016年に中央大学の再建を託されて就任した藤原正和監督だが、1年目は競技よりも生活面での指導に苦心し、箱根駅伝の予選会は10位の日本大に44秒差の11位に終わった。87年間続いた本戦連続出場の火が消え、まさにどん底を味わったが、多方面の厳しいプレッシャーにも負けず、自分のやり方を貫いた。その指導理念とは、どういうものだったのだろうか。

――藤原監督が大学で指導する上で軸にしていることは、どういうことでしょうか。

「大学生は育成年代の終盤ですので、例えば日本代表や実業団入りを考えている上位の選手については、その先を見据えた指導をしています。具体的には1、2年生では筋力強化、スプリント能力の向上などをやって3、4年生では体力をつける意味もあって走り込みを多くして、実業団に入っても困らない体作りを重点的に行っています。もう1つは、4年間で1度でいいから箱根を走りたいという学生向けには、4年間でできるだけレベルを高めてあげられるように1年目に基礎を作って、学年を追うごとに山を高くしていけるようにする。この2つの方針を軸にしています」

――この2つの方針を回していく上で、大事にしていることは?

「僕が実業団に行った時、行き詰まってしまい、走るのが苦しくなってしまったので、走ることが楽しいと思えるような指導を心がけていますね。あとは、4年間で燃え尽きてしまうことがないように、4年間を充実したものにして、その先でも頑張れると思えるような指導を大事にしています」

高校の恩師から教わった人間力で優位に立つ大切さ

 16年に中央大の監督に就任した時は、ホンダでの現役生活を引退した直後だった。指導経験がない中、本を読み、知識を蓄え、指導者から影響を受けたものが、監督業をスタートする際に活かされたという。

――選手時代に指導で影響を受けた方はいますか。

「大きく影響を受けた方は2人いて、1人は西脇工業高校陸上部の前監督である渡辺公二先生です。甘ちゃんだった自分が挨拶、時間を守る、場を清めるという社会に出て生きていくなかで当たり前に必要なことを徹底して教えていただきました。今、自分自身が監督という立場になって、改めてそういうことができないと社会では通用しないということを実感しています」

――高校時代の監督の影響力は大きいですね。

「先生からは『高1の時は高2の、高2の時は高3の、高3の時は大学1、2年の精神年齢でいなさい。高校生だと競技力はそれほど変わらないから、人間力とか人間性で優位に立ちなさい。精神面で優位に立てれば、レースでゆとりが生まれるし、この年代なら相手に負けないレースができる』とよく言われました。あとは、同じような練習をしていれば最後は勝ちたい、メダルを獲りたいと、どのくらい本気で思えるか。最後は気持ちという部分を高校時代に育ててもらいました」

――1998年の第49回都大路(全国高校駅伝)では2区を走り、優勝しています。

「それもいい経験でした。西脇工高では選手たちで区間配置を決めるんです。私は3年の時、キャプテンだったんですけど、アンカーをやりたかった。でも、2区は繋ぎ区間だけどすごく大事で、前年優勝時のキャプテンも2区を走っている。チームが勝つためには、どうしたらいいか、どういうところで相手より優位に立つか、そういうのを常に考える癖はその時に身についたと思います。そういう思考回路に至ったのは、高校の時のそういう体験があったからです」

――もう1人、影響を受けた指導者は誰になるでしょうか。

「ホンダ陸上部監督の小川智さんです。小川さんは、僕が中央大に入学した時の4年生で、当時は4年生が練習メニューを作っていました。僕はドラフトで言うと最下位で中央大に入ったんですけど、そのメニューですごく成長させてもらいました。この人についていきたいと思えた1年目でしたね。ホンダを選んだのも、小川さんがいたからです。13年間一緒にやらせていただいたなかで、よく言い合いをしましたし、五輪には行けなかったですけど、モスクワ、北京と2度、世界選手権に連れていっていただきました。選手との接し方とか距離感は、小川さんから多くを学びましたね」

心に刻む「人間万事塞翁が馬」の言葉

 藤原監督は30歳になってから、将来は指導者になることを考え、指導について学びを始めた。名将として知られたプロ野球の野村克也や、元ラグビー日本代表監督エディ・ジョーンズの本を読むなど、さまざまな分野から指導論を吸収していった。

――指導していく上で印象的な言葉はありましたか。

「指導者の言葉ではないんですが、『人間万事塞翁が馬』という格言があるじゃないですか。それは僕の座右の銘にもしているのですが、指導1年目で箱根の予選会を落とした時、いきなりこれだけ躓いたら、これ以上は悪くならないだろう。そういう思考回路に至らないと、やっていけなかったですね。

 ただ、ダメな時をダメだったで終わらせるのではなく、ダメな中からちゃんと学ぼうという姿勢を持つようにしていますし、良かったら良かったなりの理由を考えて次に活かしていく作業は、やってきています。それはこれからも続けていきたいと思っています」

 就任1年目に味わった苦労は、その後の藤原監督の指導に大きな影響を与えている。

藤原 正和
1981年生まれ、兵庫県出身。現役時代は中央大の中心選手として箱根駅伝などで活躍。2001年ユニバーシアード北京大会の男子ハーフマラソンで金メダルを獲得した。03年のびわ湖毎日マラソンでは日本人トップの3位入賞、2時間08分12秒のタイムは初マラソン日本最高記録とマラソン日本学生最高記録となっている。卒業後はホンダに入社。世界陸上の男子マラソンに2度出場するなどの実績を残し、16年に現役を引退すると中央大の駅伝監督に就任した。同年の箱根駅伝出場を逃すなど苦しい時も過ごしたが、着実にチームを強化。今年度は3大駅伝にフル参戦し、出雲駅伝3位、全日本大学駅伝7位の成績を引っ提げて箱根路に挑む。

(佐藤 俊 / Shun Sato)

佐藤 俊
1963年生まれ。青山学院大学経営学部を卒業後、出版社勤務を経て1993年にフリーランスとして独立。W杯や五輪を現地取材するなどサッカーを中心に追いながら、大学駅伝などの陸上競技や卓球、伝統芸能まで幅広く執筆する。『箱根0区を駆ける者たち』(幻冬舎)、『学ぶ人 宮本恒靖』(文藝春秋)、『越境フットボーラー』(角川書店)、『箱根奪取』(集英社)など著書多数。2019年からは自ら本格的にマラソンを始め、記録更新を追い求めている。