親交のある藤田光里と(本人提供)

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2021年まで日本女子プロゴルフ協会(JLPGA)の理事を務め、いまは女子ゴルフ界発展のため、そして自身のゴルフ向上を目指す、女子プロゴルファーの原田香里。まだまだこれからと話すゴルフ人生、そして女子ゴルフ界についての未来を語る。
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ゴルフを愛するみなさん、こんにちは。原田香里です。先週は、初めてのお目見えだったので、10年ぶりに試合に出て、私が改めて感じたゴルフの魅力についてお話ししました。今日は、もう少し広い視点でゴルフの良さと可能性を考えていきたいと思います。
ほかのスポーツに比べて長いあいだ楽しめるゴルフ。厳しいプロの世界でも、年齢を重ねても頑張っている人はいます。例えば、私が10年ぶりに出場した「日本女子プロゴルフ選手権大会コニカミノルタ杯」で最後まで優勝争いをした大山志保さん。彼女は何度も故障を乗り越えて、44歳になった今もツアーでプレーを続けています。
無観客だった大会ですが、テレビやネットでご覧になった方も多いと思います。最終日、最終組は、優勝した22歳の稲見萌寧さん、44歳の大山さん、そして19歳の西郷真央さんの3人でした。この世代の違う優勝争いは、ゴルフならではないでしょうか。キレのあるアイアンショットを武器にした稲見さん、飛距離がアドバンテージの西郷さん、強気のパッティングと技が魅力の大山さんと、違うタイプのゴルファーがそろった見ごたえのある試合でした。
優勝争いをしている中で記者会見に呼ばれた大山さんは、私も含めた歴代優勝者やレジェンズツアーの選手が出場していたことについて、「私もまだまだ頑張れる。そんな気持ちにさせてくださった先輩方に感謝申し上げます」と言ってくれたそうです。その話を聞いたときにもうれしかったのですが、実は大会終了後に、同様の内容で直接、メールももらっています。泣きそうなくらいうれしくて、「私がこれまでやってきたことは、間違ってはいなかったのかな」と思えた出来事です。
これまでは理事の立場で接していた選手たちとも、久しぶりの現場で、同じ選手の先輩としての立場で話したら、また違う面が見えてきました。例えば、理事をしていた時には伝わっていると思っていたことが、意外に伝わっていなかったり、選手たちが協会に何かを伝えることをあきらめたりしてしまっていることがわかったのです。
人間というのは、自分が置かれた立場で物事を考える傾向にあると思っています。でも、その中でコミュニケーションをきちんととるためには、お互いの努力が必要です。なかなか相手に伝わらないことでも、伝えようとする努力は、とても大切なのではないでしょうか。
選手たちが、いい試合、いいパフォーマンスをしているから、ツアーの人気が出てスポンサーがついてくれる。賞金もあがっていく。選手によりよい環境を作るのは、協会の大きな仕事です。そのためには、選手が考えていること、求めていることをよく知る必要があります。選手も、協会に何もかも任せきりにするのではなく、自分の思っていることを伝え続けることが大切です。お互いができる限り理解し合おうとすること、それを伝え合うこと。その努力を続けることが、将来につながると思います。
プロゴルファーは、試合に出なくなってもほとんどの人がプロゴルファーのままです。ほかの競技のように“元プロゴルファー”にはなかなかなりません。それは、試合をする人だけがプロではないからでしょう。
私のように選手から理事になって、それをやめても、プロゴルファーであることに変わりありません。だからこそ、これまで先輩たちがしてきたこと、現在のツアーのこと、選手たちが考えるべきことなどを、後輩たちに話すこと、伝え続けることが、プロゴルファーとして活動してきた私の責務だと感じています。ちょっと大げさですかね(笑)。でも、私がしなくてはいけないことを淡々と行っていきたいですね。
今の若い選手たちは、道具を使って自分のゴルフを数値化することで、客観的に自分を見ることができるようになっています。よく練習するし、いい意味でマイペースです。
私が若い頃も練習はたくさんしていましたが、あんなふうに自分を客観視することは難しかったと思います。また、マネージャーや保護者などが試合会場に来てくれることも少なく、何もかもを自分でしている人がほとんどでした。今の選手たちの多くは、サポートする人が近くにいてくれるようです。そのぶん、ゴルフに集中することができる環境にあると思います。
ただ、それを試合で生かせるかどうかは、また別な話。様々な経験を積んで、すべてを試合で生かすことができれば、結果につながるのでしょう。ここでも自分の周りでサポートしてくれる人たちとのコミュニケーションをとることが必要になるのかもしれません。
原田香里(はらだ・かおり)
1966年10月27日生まれ、山口県出身。11歳からゴルフを始めると、名門・日大ゴルフ部に進み腕を磨いた。89年のプロテストに合格しプロ転向。92年の「ミズノオープンレディスゴルフトーナメント」でツアー初優勝。93年には「日本女子プロゴルフ選手権大会」、「JLPGA明治乳業カップ年度最優秀女子プロ決定戦」勝利で公式戦2冠を達成。98年には賞金ランキングでも2位に入るなど通算7勝の活躍。一線を離れてからは日本女子プロゴルフ協会の運営に尽力。今年の3月まで理事を務めていた。
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